Cafe Lagrange(晴耕編 松本城 2023.4.1)

Cafe Lagrange 晴耕編

この春から娘が信州の松本で学生生活を始める。そのための引っ越し作業を4月1~2日にかけて行うことになった。「110ならともかくも、90で引っ越しの運搬をするとはかなり冒険ですね。ハイエースとかレンタルしたほうが…」というM田氏のアドバイスを無視して、前日から荷物を積み込む。下宿は家電家具が付いているので、何とかなると思ったのだ。入念に荷物の積みこむ順番を考え、無駄な空間を作らないように計算しながらの作業は楽しい。17世紀初頭、ニュートンの万有引力発見の試金石となったケプラーの三法則で有名な、ヨハネス・ケプラーは、「同一の球を最も効率よく三次元空間に詰め込む方法は、果物屋のオレンジの積み方と同じ」という予想(ケプラー予想という)を立てた。が、一見簡単に見えるこの命題の証明にかかった年月は実に400年。「フェルマーの最終定理」に並ぶ超難問として知られ、20世紀末に天才数学者ヘールズがコンピューターを駆使して最終証明を果たした(ケプラー予想: 四百年の難問が解けるまで (新潮文庫―Science&History Collection) 参照)。ディフェンダー90の空間にもっとも効率よく荷物を積み込む方法は?ウーム、この問題も解決には400年以上かかるのか。一つの方法として、「エクスペディションルーフキャリアーとサイドマウントギアキャリアーを装着して、そこにも荷物を積み込むというのが最適」というのが、ケプラー予想ならぬ防人予想。ただ、サイドマウントギアキャリアーはシルバーであるが、我がさきもりちゃんに装着するとなると、どうしてもフジホワイトにしなくてはヤダという条件が付くので、それが予想をより複雑化している。まあ、今回はどうにかこうにか荷物積み込みに成功し、娘の自転車も装着し、家族四人で松本を目指す。

後部座席の一人分を完全に倒し、その下や上に荷物を無駄のないように積み込んだ。もちろんルームミラーで後方確認はできない。
更に、家族4人も乗り込んで、はちきれんばかりのさきもりちゃん。自転車も背面タイヤに装着してる。まあ、もう一台装着する余裕あるけどね。
運転すること3時間。松本市内に突入。正面に見えるのは松本城。古い建物もあったり、なかなか、町の感じは良い。

予定より早めに松本に到着し、下宿にも迷わずに到着。鍵の受け渡しもすぐに大家さんが来てくれてスムーズに行われた。早速、荷物をさきもりちゃんから降ろして、下宿に搬送する。このような作業は、日頃、クライミングや登山で体を鍛えている防人の独擅場だ。その後、部屋に運び込まれた荷物を色々と分類しながらの細かい作業は奥さんが采配を振る。1分後、役に立たないトクチン(息子)が奥さんから解任宣告を受ける。2分後、防人も解任される。仕方ないので、二人で散歩を兼ねて松本城を目指すことにする。

名古屋は桜が満開を過ぎていたが、松本はちょうど満開を迎えて、多くの人が繰り出していた。この川は女鳥羽川(めとばがわ)というらしい。信州大学の脇を流れていて、その流れに沿って歩いてくると、四柱神社にたどり着いた。
なわて通り商店街の入り口にあるカエル。商店街のあちらこちらにカエルさんがいる。
それいにしても、観光客が多い。外国からの観光客も沢山いて、町には活気がある。
いい感じの建物だ。右が江戸時代かな、左は明治大正あたり?現在も使っているところがすごい。町中にこのような建物が点在していて、歩いていて楽しい街だ。松本は。
これもいい味が出ている建物だぞ。
旧開智学校。日本最古の校舎の一つで、1870年代らしい。現在は保存修理作業のため休業中だが、中には明治期の教科書とかが置いてあるらしい。古いものを維持するのは、お金がかかるよね。

女鳥羽川に沿ってのんびり歩いていくと、松本市の中心街にたどり着く。四柱神社の周囲は桜も多く、多くの人々が花見に繰り出していた。もはや、コロナの自粛ムードから完全に復活している感じだ。松本城に向けて、川から離れて歩き出すと、至る所に古い建物が散見されて、町の雰囲気は最高だ。10分ほど歩くと松本城に到着した。

桜並木に現れた太鼓門
太鼓門を正面から見る。
左側の石は巨大だ。
右から松本城天守、黄色の矢印が常念、青矢印が槍ヶ岳。ここは常念と槍があたかも一続きの山のように見える唯一のスポット。そこに松本城も加わり最高の眺め。
それにしても、美しい城だ。背後は北アルプス。蝶ヶ岳、常念岳、燕岳、餓鬼岳、…は登ったことがある山たちである。北アルプスは山も谷も大好きだ。
近寄ってみるとこんな感じ。5階建てと思うかもしれないけど、実は6階建てなのだ。

松本城の前身は深志城といって、小笠原氏の本城である林城の支城として築かれたようだ。その後、武田氏の進行に伴い、林城が滅ぶと、武田氏は深志城を改修した。武田氏滅亡、本能寺の変を経て、旧領を復活した小笠原貞慶が深志城に入り、松本城と改称。その後、徳川家康の関東移封に伴い、豊臣秀吉の部下である石川数正が松本に入り、家康ににらみを利かすため、松本城の防御力を高め、近世城郭としての体裁を整えた。徳川時代には城下町や城郭の拡張が進み、水野時代に完成を迎えたようだ。ここまで書いてきて、「ところで、小笠原氏とは誰⁉」という基本的なところが分かっていないことに気が付き愕然。まあ、次回(実は、次の日にトクチンと行った)、林城のことを取り上げるので、その時に調べればよいか。

松本城の天守へは30分待ち。仕方なく行列に並んで、のんびり桜を見ながらトクチンと待つことに。天守の中はアトラクションのように急な階段を登ったり降りたり、楽しいのだが、人が多くて渋滞発生。このお城は、中に入るより外から眺めるのが一番良いなあと痛感した。

天守からの眺め。北アルプスの常念、蝶ヶ岳が見える。
観光客がひっきりなしにのぞき込んでいたが、人の切れ目を突いてパチリ。
桜と天守閣。春爛漫だな。天守閣内では、日本人はほぼみんなマスク装着、外国人観光客はほぼみなマスク未装着。そのコントラストに思わず笑ってしまう。外国の人多かったなあ。

天守の渋滞につかれて、トクチンとアイスクリームを買って、天守見ながらCafe Lagrange timeとする。今回はコーヒーセットを持ってくるだけの荷物の余裕なし。もし、サイドマウントギアキャリアーを装着してあれば、持ってこれたのになあ-。いよいよ、マウントギアキャリアー装着に意識が高まる防人だった。

その日の夜は、北アルプスの雪のように、白(フジホワイト)に塗装したサイドマウントギアキャリアーをさきもりちゃんに装着する夢を見たのだった。

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