冨山房から『小さな魚(モンテ・カッシノの陥落)』2025.4.29 再再版!

Cafe Lagrange 雨読編

 僕が小学校低学年から高学年にかけて、読む本と言えば『釣りキチ三平』の漫画ばかりであった。あまりに本を読まないものだから、両親は心配したのだろう、ある時から江戸川乱歩の『怪人二十面相』シリーズを与えられ、僕の中でもこのシリーズ群の本達とは何故か位相が合い、それを読むようになった(それしか読まなかったと言った方がいいかも。ただ、このシリーズは全部読んだと思う。”死の十字路”はお気に入りだったな)。この二十面相シリーズの読書以外は勉強らしきこと(このシリーズを読むことが勉強と言えるのかどうかははなはだ疑問だが)は全くしていなかったわけで、もっぱら釣り(フライフィッシング)やスキーに明け暮れていた。そんな我が家で、ある時両親は僕に向かって「英会話教室に通え」と言ってきた。何でも、一年後くらいに外国人が我が家の近くにやって来てしばらく暮らすので、最低限の会話位できないと困るのだという。更に、食卓の上にはいつもの二十面相シリーズとは毛色の異なる本が一冊置かれていた。ふと目をやると『小さな魚』という題名が目に入って来た。何でも、今度来る外国人が書いた本で、それをオヤジが訳したものだとか。これからはその人の本を少しでも読んで勉強しておけと言う事であった。

 二十面相シリーズで鍛錬を積んだからだろうか?『小さな魚』を読みだした僕は、すぐにその世界観に引き込まれて行った。と言っても、戦争の惨禍の中を生き抜く過酷な子供たちの様子をどの程度感じ、理解したのかというと、それはかなり怪しい。当時、僕はクラスの女の子に惚れた腫れたといった感情を持ち始め、少年期から思春期の入り口に入りつつあった悩み多き少年、○○ちゃん(具体的名前を書くと、幼馴染の中さんにすぐに感づかれるので秘密秘密)のことが好きだという恋心を持て余す程度のありがちな少年の一人であった。そんな、僕がこの『小さな魚』を読んだ時、真っ先に興味を持ったのは、主人公のグイドでもなく、《だぶだぶ》じいさんでもなく、ピエトロ神父でもなく、それはアンナだった。クラスの女の子に抱く感情と似たようなものを感じ、彼女がどのようになってしまうのか気になりすぎて、一気に読み進めることが出来たのだった。ページをめくるうちに、グイドにライバル心を抱くようになったが、いかんせん、彼の精神性の高さ、深さはどう逆立ちしてもかなうはずもなく、何とも言えない嫉妬心に苛まれたことを記憶している。

 2025年4月29日、『小さな魚(モンテ・カッシノの陥落)』が再版された。新版の装丁は青を基調に、初版本と同じ挿絵が効果的に使われていて、とても美しい。

 例の外国人、すなわち、『小さな魚』の作者”エリック・C・ホガード”氏は僕が小学校6年生の中ごろに来日した。何でも、父と武田氏の興亡を研究し、最終的には小説にまとめようということらしかった。毎週日曜日は甲府のホガードさんが滞在している県の官舎で勉強会が行われ、父のお弟子さんなど沢山の人がやって来た。夕方6時~7時くらいに勉強会が終わると、今度は我々が住む県の宿舎(防人が実家じまいした家ではなく、当時は母が務めていた女子短大の宿舎に住んでいた)に場所を移し、大人数による大変賑やかな食事会が始まるのであった。母や姉は前日くらいから食事作りを始め、日曜日一日台所で立ち働いて、10人以上の食事をひたすら作り続けていた。そして、月に一二回は武田氏の史跡を訪れ、現地を見て感じて実感するという実地勉強会、これは小学生の僕にとっては極めて楽しいイベント、が行われた。新府城、岩村城、高天神城、二俣城、三方ヶ原、長篠城と設楽ヶ原、天目山、岩殿山、…などなど沢山の武田氏ゆかりの場所を訪れた。小学生の僕は、何台も車を連ねてドライブすることが楽しくて仕方がなく、当時は若くスリリングな運転をしていたYaさんの車(水色のシルビア?だったかな)に乗せてもらい、ご機嫌極まりなかった。あれは岩村城に行った時だっただろうか。当時、中央道は全面開通しておらず、所々下道を走ったりしながらの走行だったし、恵那山トンネルは片方しか開通しておらず、対面通行状態の不便極まりないものだった。トンネルの随分前から高速道路であるにもかかわらず速度が40㎞制限となっていたのだが、母はそれに気が付かずにそのまま70㎞ちょっとの速さで走行し、ネズミ捕りを実施していた岐阜県警に検挙されてしまった。母の怒りはたいそうなもので、「こんなミスを犯しやすいところで、ネズミ捕りを実施するなんて、わざと罪人をしたて祭り上げているだけではないかッ。あんた等、もっと取り締まるべき巨悪があるだろうッ」と周囲の警察官を一喝!威勢の良い母の後ろ姿に感動したがッ、後日免停講習に通っている悲しげな母の後ろ姿を、その時のホガードさんの申し訳なさそうな困った顔を今でも鮮明に覚えている。僕が中学一年生の夏になる頃にはホガードさんの息子さん(マーク・ホガードさんと彼女のパトレシアさん)も日本にやって来て、父が愛する谷で、児童文学館を作ろうと夢想していた東北の薬師谷という谷にみんなで向かった。この時はマークお兄さんには鬼ごっこやイワナ釣り(これは僕の方が上手かったが…自慢である)をしてたいそう遊んでもらったものだ。薬師谷での滞在期間中、日本のエーデルワイスとして有名なハヤチネウスユキ草が咲き乱れる早池峰山に登ろうということになった。しかし、当日はあいにくの雨。それも激しい雨であった。登山道には泥水が川のように流れていて、登山上級者には躊躇するレベルではなかったが、ほとんどの人が登山初心者(Ya氏は山岳部員なので唯一の上級者だったが)なので、普通なら中止にするはずのレベルであったと思われるが、父は構わず登り出してしまった。そんな状況で、多くの人が登山素人であることを感じ取っていたホガードさんは「Stupid(愚かな)、Stupid!」と叫びながら下山を開始したのである。このホガードさんの訴えが聞こえなかったのか、構わず登り続ける父。父には従わず下山していくホガードさん。他の多くの人々も下山してく中、Ya氏や登山なれした人は登り続けた。僕は当時すでに山登りが好きだったので、オヤジの後を付いて登ってい行ったが、頂上辺りにたどり着くころには晴れ間が広がり、そこはハヤチネウスユキ草が咲き乱れそれはそれは美しいところであった。「下山した人々はもったいないことをしたよなあー」と当時の僕は思ったが、山慣れした現在は明らかにホガードさんの行動が正しかったと確信するのだが。その後どのように父とホガードさんが仲直りしたのか知らないが、夕飯の時間には仲良く談笑する二人がいたのだった。僕の英会話教室での英語修行は早々に頓挫し、両親の期待は空振りに終わっていたが、優秀な通訳の人がいたので、その人を通してホガードさんのアイルランドでの生活の様子や戦争体験などを聞くことが出来た。今思うと、あの時もっと真面目に英会話教室に通っていれば、ホガードさんやマークさん(本来はエリックさんやマークさんと書くところか!しかし、当時僕も含め周囲のみんなも”ホガードさん”と呼んでいたのでこれでいいのだッ)と直に会話できただろうし、現在になるまでに多くの外国の友達が出来ていたかもしれないが、今さら後悔しても遅すぎだ。

 山梨県白州町の橋場文庫には父の本を保管展示してもらっている。おかげで、この文庫を訪れる多くの人に見てもらえることになり、ホガードさんも父もきっと喜んでいるだろう。
 今回、橋場文庫の原先生に新版『小さな魚』を寄贈させて頂いた。左から、再再版(今回出版されたもの)、再版、初版『小さな魚』である。

 少年時代、恋心にも近いものを感じたアンナはホガードさんにより生み出され、父の翻訳による日本語でその存在を意識したのだった。二人のおじちゃんによって僕の心に刻み込まれたアンナ、しかし、僕の中ではおじちゃんたちとは独立に、一人の少女としてもっと昔から存在していたかのように錯覚してしまうのである。今回、40年ぶりに読み直した『小さな魚』の世界は、戦争のない平和な世界を作ろう的な空絵ごとを声高に叫ぶのでもなく、ハリウッド的勧善懲悪的世界を描くのでもなく、遺産が入って最後は主人公幸せ的イギリス小説の結末とも程遠く、戦禍に翻弄されながらもたくましく生き抜こうとするグイドとアンナを淡々と描いていた。彼らはその後どうなったのだろう?無事戦争を生き抜くことが出来たのだろうか?彼らは結婚したのだろうか?

 第一次世界大戦、第二次世界大戦、印パ戦争、中東戦争、ミャンマー内戦、朝鮮戦争、ベトナム戦争、カンボジア内戦、フォークランド紛争、ルワンダ紛争、シエラレオネ紛争、ボスニアヘルツェゴビナ紛争、そして、ロシアのウクライナ侵攻、イスラエル・パレスチナ戦争、イスラエルのシリア侵攻、…人類の歴史は戦争の歴史と言っても良い。

「グイド、どうしてあなたはにくまないでいられるの?」

「ぼくだってにくんでいるんだよ、アンナ…でも、そんなにひどくではないんだ…」

ぼくはうまく説明できなかった。アンナには、ぼくがいい人だとか、ピエトロ神父のように悪を許すんだなどと思ってもらいたくなかった。「戦争や」僕はふたたびいいだした。「災難ーきっとそこに問題があるんだ。…」(『小さな魚』より)

 戦争だけでなく、SNSで気に食わない相手を徹底的にバッシングし、時に死に至らしてめてしまう現在のありようを目の当たりにする時、立場の異なる相手も自分と同じ人間なのだという当たり前ともいえる事実に、この本はグイドやアンナを通して気づかせてくれるのだ。この殺伐とした現代社会を生きる人々の心の中に、グイドやアンナが生き続けられる隙間を、わずかな間で良いから、築き上げていってもらえたらと切に思うのである。

 

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