早朝4時に起きて、中山道(国道19号)を松本へと向かう。今日は奥さんも一緒で、二人で娘の所に行って、引っ越しのための大清掃と信州上田へのさきもりちゃんによる荷物の運搬作業があるのだ。木曽川の流れを見ながら、ふと、食堂SSのことを思い出し、朝飯はそこにしようと決心する。
奈良井宿、道の駅”木曽ならかわ”を過ぎて少し行くと、左手に現れるのが食堂SSだ。昭和な食堂で、映画トラック野郎に登場しそうな感じの建物だ。前々から気になっていたので、今回はその思いを達成しなくては。奥さんは眠いので車に残るというので、僕一人で食堂に入る。

奈良井宿のいつも休憩するSL広場に到着。

奈良井宿から10分弱で食堂SSに到着。

店内は昭和そのもの。寅さん、トラック野郎の世界そのものだ。とても落ち着く。

朝食なのでさっぱり目玉焼き定食610円。席からは19号線、奈良井川の景色が良く見える。

3月31日(日曜日)に再びやってきました。日曜日ということもあって、多くの人で賑わっていました。トラックより一般車の方が多く、中には食堂SSの休業を惜しむかのように、愛車との写真を何枚もとっている人もいた。

日曜日で、もうじき休業なので、家族、旅行グループ、一人でドライブを楽しんでいる人、トラックの運ちゃん、など色々な立場の人が入れ替わり立ち替わり店にやって来ていた。ちなみに、何故"S.S”という名前なのかと聞いてみたのだが、これは創業者のサトウ・ススムさんのイニシャルからつけられたらしい。

今回(3月31日)はっきりわかったが、ここの名物料理は"サバの煮つけ"だ。煮汁がしっかりしみ込んで、煮汁の味付けも絶妙で、最後はご飯に掛けて食べるとこれまたとても美味しかった。写真は豚汁定食だ。サバの煮つけはテイクアウトも出来るようになっている。

息子は"から揚げ定食"。ボリュームあり。娘は"普通定食"。普通定食とは、サバの煮つけを中心に、お味噌汁を何種類かある中から自由に選べる設定になっているようだ。基本は、豚汁定食と同じようなものかな。
席について店内を見渡すと、昭和な世界がそのまま再現されていて、自分がトラック野郎の星桃次郎になった気分。沢山の定食があり迷ってしまうが、朝と言うこともあり目玉焼き定食を注文する。待っている間、周囲をくまなく観察していると、”4月29日より休業”という文字が目に入る。定食を持ってきてくれたおばちゃんに事情を聴くと、
「厨房のスタッフが去年入院して、いまだ退院できないでいるところに、更に今年(2024年)に入り、もう一人の厨房スタッフが入院することになってしまい、継続が難しくなってしまったんです」
とのこと。再開のめどについて尋ねると、
「気持ちとしては再開したいけど、今のところどうなるか見当もつかないわ」
ということらしい。定食は安くて美味しいし、食堂からの眺めも良いし、19号線の食堂として景色に溶け込んでいるので、ここが休業になってしまうのは残念でならない。おばちゃんの話では60年間続いてきたらしい。やる気がある人が現れたら、建物ごと譲っても良いと言っていた。なんとか、この食堂SSが今後も継続して中山道の旅人の胃袋を幸福にし続けてくれることを祈りながら、店を出たのだった。
さきもりちゃんの所に戻ってみると、奥さんは爆睡していたが、僕がドアを開ける音で目覚めたようだった。
「食堂SS良かったでェ!でも、4月29日から休業だって。ギリギリ、食することが出来て良かったけど、良かっただけに残念だなあ。兎に角、娘の所に向けてGOかッ!」
と言って、スタートボタンを押す。さきもりちゃんのエンジンがスタートして、ギアをドライブに入れようとしたその時、エンジン回転数の変調を感じた。
「ムムッ!なんかいやな予感がするぞ」
とつぶやくと同時に、タコメーターの針が上下に振動しはじめ、エンジンの震えが体に伝わり出す。
「何何何ッ!どうしたの?」
不安げな奥さんの問いに、僕は
「例のエンストの前兆現象だ。もうじきエンジンが停止するよ」
と答える。初めてエンスト現象を目の当たりにした奥さんは極めて不安げで、
「爆発するんじゃあないの?」
と聞いてきたが、もう慣れてしまった僕はあまり動揺がない。回転数上下しながらだんだん低下し、そしてエンスト。例のヤツだ。燃料ポンプとその端子も交換したはずなのだが、これらが原因ではなかったのだ。その後、スタートボタン押すもセルモーターがキュルキュル回転するだけで、エンジン始動しない。この場合、しばし待ってからスタートボタンを押せばよい。経験に従ってボタンを押すと、今度は何事もなかったかのように、いつものようにエンジンスタート。エンジン警告灯点灯。全く同様の展開に、しかし、この3カ月の修理による長期入院のことが走馬灯のごとく頭を駆け巡り、何ともいえない徒労感を感じつつM田さんにメールを送る。警告灯が点灯しているが、もはやあまり気にならなくなっているので、19号を松本に向けて運転し続ける。まあ、何があろうと明日までに下宿を退去しなくてはならないので、ここでさきもりちゃんがドナドナ(車両運搬車で京都に搬送されること)されていなくなってしまっては一大事なのである。奥さんは初めてのエンスト現象を目の当たりにして、最初は困惑していたが、その後、怒りが込み上げてきたみたいで、
「一体どうゆうこと!いくら払ったと思っているの。こんなエンストする車はすぐ返品して頂戴。ホントッ、腹立つわーッ」
とすごい剣幕である。
「まあまあッ!エンジンがかかればその後は、しばらくは、大丈夫だから」
「大丈夫なわけないでしょッ!道の真ん中でエンストしたらどうする気なの!」
「はい、スイマセン」
と何故謝らなければならないのか?マークのままひたすら平謝りの僕。そんなさなかM田さんから連絡があり、
「サービスと連絡を取り合って、今後の対策を考えます。後ほど、サービスから連絡させます」
とのこと。この一件以降、エンジンは全く元気な状況で、今まで二回のエンスト現象と全く同じ経過をたどることに。一体、何が原因なのだろう。この原因は究明できるのだろうか?不安を抱えながら、松本に到着し、娘の下宿のドアをあけると・・・。

はいはい、またエンジン警告灯点灯だね。このオレンジ色の警告灯も見慣れてきてしまったなあ。

蝶ヶ岳、常念、大天井、燕岳の山々が美しい。ついつい、3回目のエンストも忘れて、山々を眺めてしまう。
泥棒が入ったのかと思われるような散らかり具合で、奥さんはしばし立ちすくむ。一方、僕の方はというと、姉、オヤジの住んでいた実家の3年以上にも及ぶ強烈な片付けでタフになっているので、動じることはない。ただ、明日までに退去なのでのんびりしている時間はないので、早速、台所の片付け、清掃に突入する。こうなってはエンストを気にしている場合ではない。黙々と清掃し、荷物を運び出し、さきもりちゃんの後部座席、ルーフキャリアーに入念に積み込む。天気予報によると明日は吹雪になる可能性もあるらしいので、急ピッチで作業を進めた。そのおかげで、午後二時にはメインの清掃、荷物のさきもりちゃんへの積み込みが終了。奥さんは下宿に残り清掃を続け、僕と娘は荷物を上田に運搬するためにさきもりちゃんと共に松本を出発。エンジン警告灯は点灯したまま、三才山(みささやま)を越えた。

引っ越し先の下宿は3月31日にならないと空かないので、それまでの間は娘が探してきたトランクルーム(コンテナ)に荷物を預けておくのだ。ここに来て初めてルーフキャリアーの適正な使い方がなされて満足するさきもりちゃん。

これで運搬した荷物はすべて。コンテナ大きすぎてまだ余裕ありすぎ。これくらいの荷物なら、ルーフキャリアー装着した90なら、二人乗って、まだまだ余裕である。90で単身者の引っ越しやれまっせー!ただ、冷蔵庫と洗濯機があると二回ぐらい往復しなくてはいけないかも。
追伸 3月31日に代車のディフェンダー90であったが、この日はルーフキャリアー、サイドマウントキャリアーはないので全て室内に入れ込むしか方法がなかったが、コンテナ内の荷物は一回で運搬できた。それも、助手席は娘が乗っている状態である。もちろん、サイクルキャリアーはスペアータイヤに装着しておいて自転車はこれで運搬したが。名古屋から新下宿への荷物の運搬では、布団を二セット持っていきたかったが、今回は家族4人での移動であり、ルーフキャリアーがなかったので、布団は一セットのみで二セットの積み込みは断念せざる負えなかった。逆に言うと、90でもルーフキャリアがあれば相当量の荷物(布団2セットなんかはルーフに載せてしまえば楽々よ)を運搬できる手ごたえをつかんだのである。110とか130とか長くしなくても、工夫次第で十分行けますぜェー。

トランクルームがある場所は、巨大な倉庫群、たくさんのパワーショベルが並べられている殺伐としたところだった。一方、対応してくれた人々はとても親切で、暖かい人々だった。

奥さんが、夕飯はお蕎麦を食べたいというので、竹渕というお蕎麦屋さんに行ってみたが、とても美味しかった。おにぎりは本来この二倍の大きさがあるが、その大きさに恐れをなし、今回は小さく握ってもらった。
荷物を上田のトランクルーム(押入れ産業という会社のコンテナ)に一時仮置きさせてもらい、引っ越し先の下宿が空く3月31日の日に、このコンテナから荷物を運びこむという手はずだ。一通りコンテナへの運搬を終え、松本に戻るためにさきもりちゃんのエンジンスタートボタンを押すと、やっとエンジン警告灯消灯した。
松本のルートインに泊り、次の日は早朝から娘の下宿に行き、最終の清掃を行い、大家さんの立会いの下、鍵の返還を行う。下宿の駐車場からふと、北アルプスを見やると、雪雲がかかり始めていた。中央道は雪のため冬タイヤ規制の表示が出ているので、我がさきもりちゃんは入場できない。仕方なく(ではなく喜んで)中山道(19号)に向けてステアリングを切る。帰り道の中山道は奈良井宿あたりから横殴りの雪となったが、どうにか無事に、エンストすることもなく名古屋にたどり着いたのだった。その夜は、「これからさきもりちゃんの未来はどうなるのか?」と一抹の不安を抱きながら床に就いたのだった。

どうです。きれいになったでしょう。奥さんと二人力を合わせた結果がこれです。大家さんも大満足のようだったですね。
コメント