Defenderピヨピヨ日記(NO20 八ヶ岳のおうちの冬支度、ころぼっくるひゅってのボルシチ、Rockのカレー)

Defender購入後日記

 名古屋で朝夕の気温が心地よくなってくると、長野は日によっては零下になったりする。両親(と言うよりおふくろと姉が退職金をつぎ込んで建てたのだが)の別荘の防人を任されているこの僕は、「そろそろ、別荘の冬支度、つまり、閉栓&水抜きに行かないとなあ」という気持ちになる。それまでの別荘の開栓と閉栓作業はおふくろが頼んでいた人がボランティアでやってくれていたのだが、去年その人にやり方を教わって、今年から僕一人でやることになったのだ。今年の開栓時はネジの閉め忘れなどがあり、栓を開いて室内に入ってみたら至る所から水が噴き出していて、大変なことになった。さーて、閉栓作業はうまくできるかな。

 今回は娘を子分に従えて行くことにした。早朝4時に起きて、さきもりちゃんのエンジンをスタート。多治見から19号をひた走り、8時に奈良井宿、9時に松本着。下宿に行くと、娘殿はサイクリングモード100%で、清里まで自転車と娘を運搬し、そこでさっさと降ろせと言っている。なんたることかッ!そこで、

「今日は霧ヶ峰でボルシチを食べ、甲斐大泉でお洒落なCafeに入り、夕食は清里のRockだぞ」

というと、

「わかった、だったらそうする」

とあっけなく同意。まあ、娘の思考の中心はいつも食べ物なので釣るのは簡単だ。それにしても娘の頭の中はどうなっているのだろう。親として食べ物をいろいろ与えすぎたことも、与えなさ過ぎたこともなく普通に接してきたつもりなのだが、娘の食への関心、貪欲さは目を見張るものがある。大学の友達と女鳥羽川(大学の隣を流れる川)で沢蟹を取り、それをみんなで食べたとか(大丈夫なのか?何人かは下痢をしたそうだ)、スイカ農園での仕事帰りは貰ったスイカを友達の家に持っていき、その引き換えに夕飯をご馳走になっているだとか(自分で作れよ!)、カディスフライ(トビゲラ)のラーバ(幼虫)を女鳥羽川で採ってきて食べただとか(イワナやアマゴが食べるところを沢山見たけど、我が娘がこれを食べるとは目が点だ!それにしても近所の女鳥羽川が学生たちのたんぱく質の供給源となっているとは、令和のこのご時世においては不思議な感じだ)、…もう親の手の届かないところに娘が行ってしまったようで一抹の寂しさも感じる今日この頃である。「とにかく今日はきちんとした飯を食べるぞ」と宣言してさきもりちゃんをスタート。

 まず、我々が目指すのは、霧ヶ峰のビーナスライン沿いにあり、1956年からやっている山小屋の”ころぼっくるひゅって”だ。ここはボルシチが有名で、一度それを食したみたいと思っていたのである。下宿を出発して、すぐにビーナスラインに向けての登りになり、エンジンを唸らせながらさきもりちゃんは高度を稼いでいく。

木曽福島の道の駅に立ち寄る。
木曽の御岳山が中央に見える。
よく立ち寄る奈良井宿のSL広場。トイレもあり、なんだか落ち着くのである。ここから、松本まで1時間強である。
娘をピックアップ後は、ビーナスラインに向けてひたすら高度を上げる。すすき野が広がり、最高に気持ち良いドライブだ。

 松本からまず県道67号線、松本市道2725号線で漁樵カオスというキャンプ場?を過ぎ、扉峠、三峰茶屋、和田峠、八島ヶ原湿原を経て霧ヶ峰へ。現れた十字路を車山高原に向けて進み、車山が眼前に現れると、お目当てのヒュッテの駐車場だ。さきもりちゃんを停めて、階段を上がり少し歩くと”ころぼっくるひゅって”に到着した。目の当たりにしてみて何となく思い出したのだが、ここは昔来たことが、と言うより脇を通ったことがある。僕が通った(もちろん中さんも通った)小学校では、五年生で林間学校があり、それが白樺湖のホテルに泊まり、色々な自然体験をするというものだった。その中の大きなイベント(だったと思う!)に、車山から霧ヶ峰まで歩くというのがあり、当日は霧の中(時折雨も降り、気温は低下してあまりいい状況ではなかった)を班ごとに歩いたのだった。そして、中間点のトイレ休憩場所がここだったような気がするのだ。今回、”ころぼっくるひゅって”を見て昔の記憶がフラッシュバックしたということか。霧と寒さの中、歩き終わって疲れ果て(疲れていなかった?イヤ、多分疲れていたと思う)宿屋に帰り、飯を食べ、その後宴会みたいなものがあったのだが、そこで、友達がラッツ&スターの”め組のひと”を顔を黒く塗って歌い、ウケていたことも思い出した。

後ろの丘が霧ヶ峰。昔、小学校のスキー教室で来たけど、とても小さなスキー場だ。上から下まで直下滑で5秒ぐらいで滑りきれる。曲がる必要もなかったような。
ルーフキャリアーに登り、「あれが八ヶ岳だ。右隣は富士山だ」と娘に説明する防人。立ち位置といい、フォームといい、申し分ない。日頃のトレーニングの賜物だ。
娘も登りたいというので許可したが、彼女は根本的に理解していないことが判明。彼女の足は、キャリアー上にはなく、直にさきもりちゃんのルーフを踏みつけていた。何たるチア。
ヒュッテの駐車場からは車山がよく見える。
"ころぼっくるひゅって”登場。
もう少し近寄ってみると…、この周辺だけは木々に囲まれていてとてもいい感じだ。
さらに近寄ると、くまさんのぬいぐるみがお出迎えしてくれた。
テラス席がお勧めなのだが、この日は寒くてそれなりの恰好をしていないと無理だった。流石に半袖短パンだとね、10月の1800M地点はね。
ボルシチセット(パン二つと飲み物が付く)と、ハニーチーズトーストだ。寒い日にはボルシチ最高。トーストも厚くてフカフカで美味しい。

 ”ころぼっくるひゅって”の立ち振る舞いについてまとめておこう。

(1)まず店内に入ったなら、席を確保する。

(2)オーダーする食べ物、飲み物を決める。

(3)代表者が(みんなでゾロゾロ行ってはいけない)取りまとめて、レジに注文に行き、そこでお金を払い名前を告げる。

(4)名前を呼ばれたら、みんなで(?)取りに行く。

 席としてのおすすめは多分外のテラス席だろう。車山や周囲の景色を眺めながらの食事はここならではの醍醐味だ。しかし、である。今日は寒く(10月だから当たり前だが)、それに反して僕は短パン・ディフェンダーTシャツなのでとても外で食べれたものではないし、娘も「寒い、寒い」と言うので迷うことなく室内にした。まあ、室内も隙間風だらけなのでそんなに暖かいものではないけど、1956年から使い込まれてきた歴史が、独特な雰囲気を醸し出していた。

ここは車山スキー場。昔よくスキーをしに来たが、ここは春になると全面アイスバーンとなり、エッジをしっかり研いでおかないと大変なことになった。コケると止まらないし。
車山から白樺湖に降る途中に富士山が良く見える場所がある。中央左のズデーンと横たわる裾野が八ヶ岳。その右手奥雲の間からチョコンと頭を出しているのが富士山。
白樺湖の脇にある駐車場にさきもりちゃんを停めて、写真を撮る。中央の黄色矢印が蓼科山。
甲斐大泉を出発し、北杜八ヶ岳公園線(県道28号)で八ヶ岳高原大橋を越えたところにあるパーキングからみる八ヶ岳は最高だ。

 ”ころぼっくるひゅって”での昼飯後は、一度茅野側に降りて、そこから八ヶ岳ズームライン(県道484号)、八ヶ岳高原道路(県道11号)途中から甲斐大泉へ降下。カレーで有名なヴィラ・アフガン(小学校の時、家族でよく通ったお店屋さんだ)を通り過ぎ、小海線の甲斐大泉駅へ。そこにある、Moon Cafeという所が 次なる目的地だ。場所は駅のすぐ近く。駐車場も停めやすく、Cafeの建物の雰囲気もナチュラルな中にもモダンでシャープなテイストが施され僕の好み。室内の雰囲気も上々だが、やっぱりここは外でコーヒータイムを満喫すべきだろう。今度は上着をしっかり着て(下は短パンのままだが)、木のそばの所に椅子を持って行ってもらい、そこに陣取ることに。娘は三種のチョコレートによるパフェ、僕は果物で彩られたパンケーキを注文。その後は、庭を歩いたり、食べたり、飲んだり、隣のお客さんのワンちゃん(柴犬)と戯れたり、のんびりとした時間の経過を楽しんだ。

「さて夕飯は…、」

と考えながら、イヤイヤッ、今回のメインテーマは山の家の閉栓だ。のんびりしていられないぞ。慌ててお金を払って店を出て、さきもりちゃんとともにGo!

駐車場にさきもりちゃんを停めると、ちらりとお庭が見えるが、とてもいい雰囲気だ。
入り口の雰囲気もいいし、建物もクールだ。間違いないね。
防寒対策として上着を着て、今度は外の席を選ぶ。車山とは違って風は吹きつけて来ないのでそんなに寒くはない。
池を挟んた対岸より見るとこんな感じ。駐車場に停めたさきもりちゃんがちらりと見えて、それが写真全体の雰囲気を引き立たせている。
一口ずつパンケーキに異なる組み合わせの果物と生クリームを乗せ、毎回異なる味を楽しむ。
娘が注文したチョコレートパフェ。美味しそうだ。娘は余裕で完食。
そうか!夜になるとこの池に月が映るのか。だから、お店の名前が"Moon"なのか。これから中秋の名月だから、そんな時は御団子とかがメニューに加わるのかなあ?

 当然ただ飯を娘に食べさせているわけではない。別荘で立ち働いてもらうために食で娘を釣って、ここまで連れてきたのである。別荘についてから娘はそのことに気が付いたようで、なんだかブーブー言っていたが、まだ、夕飯の切り札もあるため大人しくこちらの指示に従って立ち働いてくれた。室内をほうきで掃くのをまかせ、こちらは雑巾がけ。そして、ひと段落した後、水道の栓を閉じた。台所、洗面所、お風呂、トイレのあらゆるところの残り水を排水し、虫が上がってこないようにサランラップで蓋をして、シャワーなどは取り外す。慣れないモンキーレンチ(三種類)をおたおたと使い、ネジを緩める。外に出てボイラーの水抜き。教えてもらったことをメモッたノートに沿ってアタフタと冬支度を進めていく。雨戸を閉め、扉を閉め、玄関のカギをしめて冬支度完了。慣れていないのでなかなか大変だった。これで本当に大丈夫なのか?今度来るのは来年の4月くらいかな。

シャワーもこうやって取り外して、水を完全に取り除く。このタオルを布団にして、シャワー君には越冬してもらう。
シャワーを取り外した後の風呂場。排水溝の所もきれいに掃除し、水をふき取りサランラップで穴をふさぎ虫が上がってこないようにする。
トイレのこんなところも外して、水を抜き取らなくてはならないのだ。当然、タンク内の水も抜く。
一通り終わり、茫然と佇む娘。白樺林の間を吹き抜けてくる風は、冷たくなり、夏から秋、そして冬への季節の移ろいを感じる。

 夕飯は清里のアイコンとなったカレー屋さんRock。ここはバブル期の乱開発以前からお店を営んでおり、両親に連れられて清里に遊びに来た時は(当時の清里は清泉寮とフィールドアスレチックの公園くらいがあるのみで、建物もほとんどなく、土日でも閑散として自然豊かなところだった)、ヴィラ・アフガンかこのRockによく寄ったものだ。その後、中さんとサーフやパジェロを買う買わないとやっていた頃は、千曲源流、北相木、南相木川などでフライフィッシングを楽しんで、帰りには必ずこのロックに寄って、カレーを食べながらその日の釣りの話に夢中になった。もちろん、四駆談義にも花を咲かせたと思うが、詳しいことは忘れた。その時は、まだ山小屋風の二階建てで、飯を食べるところは二階だったと思うのだが、現在は建て直され(一回火事で焼失した。その翌日(2016年8月9日)、僕は偶然にもRockの前を通り、何か様子がおかしいと思ったのだが、まさか火事で焼失したとは思っていないので、そのまま通り過ぎた。その日の夜、名古屋に帰ってから、なんだか胸騒ぎがして調べたところ、Rockが焼失したことを知り衝撃を受けた)、非常に開放感があり、混んでいてもあまり気にすることなく、くつろげる店内となった。また、クラフトビールも手掛けていて、一度飲んでみたいのだけど、ここに来るときは必ず車なので、今後も飲むことはないかもね。僕としては飲むことより食べることの方が好きだしね。

現在は"萌木の村Rock"と呼ぶようになった。
清里開拓の父、ポール・ラッシュ博士とも関係があるRock。
防人はベーコンカレーのBig(ごはん三杯分の量)を注文したが、かなりボリュームあり。まあ、この年ではレギュラー(ご飯二杯相当)で十分だと思った。カレー以外にもハンバーグとか、チキンソテーとか他の選択肢もあるのが嬉しいね。
娘はスモークサーモンのサラダ。「これだけ?」と尋ねると、「少なくても、無限に食べてもお腹が空いた状態であるので、夜はこれだけ」との衝撃的セリフを聞き唖然とする防人。娘の食欲は無限大だったのだ。父を遥かに超えた娘。
サーモンだけではお腹が空くだろうから、ハムの盛り合わせも注文した。これ以外にも、フライドポテトとか、冷ややっこなんかもある。
見てください!このボリューム。ちなみに、ベーコン二枚にもできるけど、僕の胃袋は娘と違って有限だ。無限ではない。
ビールを作るところも店内に併設されている。この反対側ではビール、ソーセーやベーコンなどが売られている。
夜の帳が降りてきた。ちょっとお腹いっぱいになりすぎた。運転していて眠くならないかなあ。何事も腹八分目が大事だね。

 夕食後は、松本の下宿に娘を送り届け、中山道(国道19号)を走り、途中睡魔で危なくなりかけるも復活し、名古屋には0時30分に到着した。さきもりちゃんを家の前に停めて、家の明かりを見たとき、ふと、いやな予感がした。落ち着いて考えて戸締りの時を反芻してみて、電気についてある行為を完全にし忘れていることに気が付いて、体から力が抜けてヘナヘナとその場にへたり込みそうになった。

「ブレーカーを落とし忘れたッ!」

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