
道の駅の朝。左上は月山富田城の馬乗馬場だ。

朝日を浴びてさきもりちゃんの上でラジオ体操する防人君。
目が覚めると周囲は明るくなっていた。時計に目をやると、朝5時30分だった。疲れは取れていて熟睡した満足感が得られて、体は心地よい。道の駅-広瀬・富田城でDefender90の車中泊(追記:実はディフェンダー90のセカンドシートはフルフラット化できるのである。であるから、車中泊はもっと心地よくなるのだ)はうまくいったぞ。世界初の快挙だ!?天橋立におけるテント泊よりはるかによく眠れて心地の良いものだった。但し、体を完全に伸ばすことは無理で、いくぶん丸まって寝ることになるが、それでも十分眠ることが出来た。まあ、車を停めたところが、川のそばで、その川に沿って心地よい風が吹いていたことも大きい要因だったのだろうが。銭湯で使ったタオルや汗で湿っぽい掛け布団(これを体の下に敷いて荷物の凸凹感をなくすのに役立った)をさきもりちゃんにかけて干し、コーヒーを入れ、スープを作り(と言っても、粉にお湯を注ぐだけ)、ロールパンにハムやポテトサラダを埋め込んでサンドイッチを完成させ、トクチンと朝食をとる。
我々は今から、目の前にそびえる難攻不落の城として、戦国時代屈指の要害だった月山富田城に攻め入るつもりなのだ。この城は、あの大内氏が大群で攻めたが落とせず、毛利元就も攻めたが、力攻めではどうしても落とすことができなかったのだ。そこで、知将元就は兵糧攻めに切り替えた。麓の歴史資料館で見た富田城周辺の赤色立体図では、我々が登城しようとしている場所以外の山々の至る所に曲輪らしきものが点在し、この富田城を中心に多数の支城がネットワークで結ばれていたことがわかる。元就は地道にこのネットワークを分断し、補給路を断ちじっくりと尼子氏を孤立させていった。そして、尼子義久は1年半にわたる籠城の末、永禄9年(1566)に降伏し、城を明け渡すことに。第一次月山富田城攻めから実に23年が経過したことになる。こうして尼子氏は、実質的に滅亡し、毛利氏は中国をほぼ平定したのだった。なので、我々も朝はしっかり食べてこれからの戦、じゃなかった、山城登山へのエネルギーを蓄えておかなくてはならないのだった。

登城口からいざ出陣!

ここは馬乗馬場(うまのりばば)だ。

太鼓壇(たいこのだん)には時を知らさる太鼓櫓があったらしい。現在は尼子家再興のため命を懸けた山中鹿之盛の銅像がある。

正面の高いところが三の丸、二の丸、本丸(主郭)だ。月山頂上(標高190m)でもある。いまから頑張って登るぞ。

七曲りの急登を行く。汗が噴き出してきたぞ。

三の丸の前面に立ちはだかる石垣。

二の丸にある東屋にはいろいろな時期の富田城の写真が。、

三の丸。写真に写る鳥居の向こうが石垣。眺めは最高。木の下でのんびりお弁当食べたら最高だな。

本丸に立つ山中幸盛を偲ぶ石塔。

やっと本丸に到着!
まず、登り始めは横堀みたいなところから始まり、しばらく行くと馬乗馬場(うまのりばば)に到着する。ここは150mくらいある広い曲輪で、馬の調練場だったそうだ。更に、山中御殿平(さんちゅうごてんひら)という石垣が巡らされている広大な曲輪を通り、そこから月山頂上に向けて七曲りの急登を登ると堅牢な石垣群が現れ(吉川広家時代の石垣らしい)、その上は三の丸の見晴らしの良い曲輪となる。ここは最高のお弁当スポットだ。そして、ほぼ同じ標高の二の丸、本丸と続く。もちろん、それらの間は大きな堀切で遮断され、敵の侵入を阻む構造となっている。頂上まで来ると夏だと暑くて汗だくになるが、木陰に入ると(まだ朝だったこともあり)、気持ち良い風が吹き抜けて行き、汗を拭きとってくれる。周囲には支城と思われる構造物が至る所に見て取れて、とても一日で見て回れるものではない。いくらでも時間をかけて探索できる場所なのだが、大宰府防衛を任された我々はそこまでのんびり道草をしているわけにもいかない。それに、今日は、我々にとっての亀嵩駅、すなわち、JR山口線の篠目駅にたどり着くことも重要な目的の一つなのだ。後ろ髪を引かれる思いで下山し、さきもりちゃんのエンジンをスタートさせる。喉が渇いたので、近くのファミマでコメダのまろやかコーヒーを買い、がぶがぶと飲みながら運転をする(ここのところ毎日飲んでいるなあ)。松江城塩見縄手経由で宍道湖脇をドライブし、出雲の出雲大社で道中の安全お参りして、9号線をひたすら西へ。

松江市内に入る。ここは以前、トクチンと列車の旅で来て、松江城を中心に市内を歩き回ったところだ。

宍道湖を右に見ながら。養生テープを取り忘れているのが気になるなあ。アサリの味噌汁とか美味しいだろうなあ。

八百万の神様が集まって会議をする出雲大社に到着だ。

左側が拝殿でこれが有名だけど、右奥が本殿で、こっちが国宝らしい。
9号線を西に向けて、大田市を走っていたとき、それは直線の極めて走りやすい状態の道だった。さきもりちゃんの感覚では、70~80㎞出していても、50㎞弱に感じてしまうような凸凹もなくきれいに舗装された直線の道。前の車は遥か彼方。ふと気が付くと警察の車と警察官が道脇の広場に!スピード違反の取り締まりだ!反射的にさきもりちゃんのスピードメーターに目を落とすと”58㎞”!警察官たちは旗を振る気配もなく我が車はその場所を通過。さきもりちゃんに迫ってきていた後続車は旗を振られ、その広場に誘導され捕まっていた。セーフである。何故、わがさきもり号が60㎞未満で走っていたかは本当に偶然でしかない。まあ、最近は燃費を意識してアクセルをあまり踏み込まない運転を心掛けていたから、それが功を奏したのか。去年、一時停止違反で捕まり、7月に駐車違反でシールを張られ、最近警察のお世話になることが多いだけに命拾いした。ふと、右目に日本海を見ながら僕は20年以上前、インタークラーターボ2800パジェロで北海道の北見を走っていた時のことを思い出していた。その時は網走に日暮れまでにはたどり着こうと急いで走っていたのだ。北見市内でも名古屋走り(車線をチョコチョコと変更して、車を追い抜くせわしない走り方)を繰り出し、かなりスピードを出していた。周りの車はなぜこんなに大人しく走っているのだろう。ふと気が付くとルームミラー越しに赤色の点滅ライトが写し出され、覆面パトカーに追走されていたことを知るに至る。時すでに遅し。27㎞オーバーで捕まってしまった。罰金2万7千円なり。そして、3カ月が経ち違反点数が消えてからたった二日後に、今度は滋賀県木之本で32㎞オーバーでガツンと一発免停となった不名誉な過去が、免停講習やその後の試験問題のことが記憶によみがえった。罰金6万9千円、免停講習料2万円なり。本当にもったいないことをした。ちなみにその年は、黒部東沢で11万円のフライロッドを落とし、黒部北の又谷でカメラを水没という踏んだり蹴ったりの年だった。それにしても、今回も場合によって免停になってもおかしくない状況だっただけに、今後の道中はより一層気を引き締めて運転することを肝に銘じたのだった(新型のディフェンダーは80㎞くらいで走行していても4~50㎞くらいに感じてしまうので、オーナーの皆さん気を付けましょう)。
大田市、江津市、浜田市、益田市を過ぎ、9号線とJR山口線が並走し出すと、目的の篠目駅、すなわち、我々にとっての亀嵩駅も近い。津和野駅に立ち寄り(三木 謙一の情報を得るために、今西刑事と吉村刑事が三成警察署に行く際に降り立った駅はJR山口線の津和野駅だ)、長門峡を過ぎると篠目駅も近くである。まず、阿東徳佐中の線路沿いの道を探さなくてはならない。ここは、ドラマの砂の器で、秀夫が学校を抜け出し、汽車で亀嵩(篠目)駅から大阪に向けて(三木巡査の計らいで、大阪で出頭することになったから)旅立つお父さん(千代吉)にもう一度会うため、ひた走るシーンで登場する場所である。そこをさきもりちゃんとひた走りたいという願望が僕にはあり、どうしても寄りたい場所の一つだった。地形を見ながら9号線から別れ、狭い道をゴソゴソ走り、山口線を眺めながら走っていると、ついに発見した。ドラマと同じように、直線の線路に沿って道が走りのどかな田園風景が広がる。さきもりちゃんを停め写真を撮り、線路脇を走り、そのシーンに感情移入するように瞑想する。その気持ちを維持し、さきもりちゃんを走らせ、狭い道(橋を渡ったが、ディフェンダーの幅とガードの幅が両側ともスレスレだった)を走り、篠目駅を目指すと踏切が見えてきて、その向こうに給水塔が!ついに我々の心の亀嵩駅にやってきたのだ。踏切を渡り亀嵩駅、じゃあなかった、篠目駅前にさきもりちゃんを停めて、駅舎に入ってみると砂の器撮影当時の写真や説明文が掲載されている。それを読んで、いよいよ、ホームにでると、まさに我々の亀嵩駅が眼前に広がっているではないか。架空の走り去る蒸気機関車を設定し、トクチンをホームに沿って走らせるが、なんか、フォームが元気よすぎてイメージと違う。役者失格だ。仕方ないので僕が和賀英良の大人時代の役をすることに!
和賀(秀夫)は宿命完成を控えて、この曲の最後のピースを埋めることが出来ず悩んでいた。このピースを埋めるためには、彼の人生の分岐点になった亀嵩駅を、あの父と別れ、その後、本浦秀夫から別人の和賀英良の人生を歩むことになった転換点のあの駅を、そして宿命の最後のピースを埋めるためにはどうしても本浦秀夫に戻る必要があり、戻ることが出来る唯一のこの駅を、訪れなくてはならなかったのだ。和賀はホームの端まで行き跪いて、「ウォー」と叫び、自分の、秀夫としての重い宿命と向き合ったのだ。亀嵩駅(篠目駅)の改札では今西刑事がその一部始終を見ていた。和賀は今西刑事の所に行き、
「僕に宿命を弾かせてください」
という。今西の
「あなたの宿命は完成したのですか?」
という問いに頷く和賀。今西は宿命の披露コンサート後の逮捕に向けて、逮捕状を取るのだった。
このシーンが展開された場所が、今こうして我々の眼前に広がっているというこの現実は筆舌には尽くしがたいものである。僕もホームの先端に行き、1000km以上に及ぶ運転疲れを、テント泊車中泊の疲れを、ランドローバー京都においてSVクラスに認定された世の中の不合理を、防人としての宿命と向き合い「ウォー」と叫ぶのだった。

山口県山口市阿東徳佐中の線路沿いの道。この道を秀夫は走った。

篠目駅前にさきもりちゃんを停めて!やっとここにたどり着きました。

これが給水塔ですな。蒸気機関車が走っていた時に使われていたそうだ。大事な鉄道遺産だね。我々にとってはこの給水塔がないと、亀嵩駅ではないのだ。

ホームを走るトクチン。なんか、元気よく走りすぎていてイメージと違うぞ!

テント泊、車中泊の疲れに耐えかねて、跪いて「ウォー」と叫ぶ防人。

篠目駅と給水塔とさきもりちゃん。

「カメダヶは変わりないですか」 「相変わらずだ」
ちなみに、本当の亀嵩は2019年夏にトクチンと木次線に乗って訪れており、当時の写真を載せておく。また、砂の器では、蒲田のスナック”ゆうこ”で三木謙一と和賀英良が話しているとき、三木のしゃべり方が東北訛りがあったという証言が、捜査を混乱させていくのだが、西日本の奥出雲弁は東北弁の発音に似ているということが分かり、亀嵩が特定されていく。そのため地元の人の話し方に注目して聞いてみたのだが話し方はズーズー弁ではなく普通で、奥出雲弁が東北弁と似ているという印象は受けなかった。地元の人同士の会話も、東北弁と似たようなしゃべり方をしているとは感じなかったなあ。


亀嵩駅の出入り口に立つ三木巡査。よく見ると、手には砂の器の台本を持っている。

木次線亀嵩駅のホーム。TBS版砂の器で登場する亀嵩駅より現実の駅はかなりコンパクトだった。

1974年の映画で亀嵩駅として使われたのは、木次線の八代駅だ。我々はたまたま八代駅近くに宿を取り、そこに行くためにこの駅で降りて、この事実を知ることになる。

八代駅には映画のロケの様子が説明されている。駅にいたおじいさんが、ロケ当時のことを詳しく教えてくれたが、その人の話し方もズーズー弁ではなかったなあ。

八代駅もなかなか味のあるいい駅だった。亀嵩よりも八代の方が亀嵩っぽいと思ってしまった。これも映画の影響。影響されやすい性格?しかし、我々にとってはやっぱり給水塔がある篠目駅が亀嵩だね。
9号線に戻り、山口市内のシェフというレストランでハンバーグを食べた。とても美味しいハンバーグでごはんが進む。特に熟成されたデミグラスソースがたまらなかった。トクチンも気に入ったようだ。その後は銭湯で汗を流し、今夜の車中泊場所を探す。

レストランシェフ。ここのオーナーはバイク好きで、色々なところを旅しているようだった。

ここのデミグラスソースは濃厚でとても美味しかった。ちょっとまねできない味だ。オムライスもあるようなので、このデミソースがかかったら最高だろうなあ。

人がおらず、寂しげな山口市のアーケード街。

昭和な、さびれた感じの山口市内。

今宵は山口市内の清水湯という銭湯で汗を流した。多くの人が訪れ賑わっていた。
恥ずかしい話!車中泊場所を探し、山口市内から夜の国道435号線を走っていて、「秋吉台」という標識が出てきて目を疑ってしまった。僕は「秋吉台」は九州の宮崎とか大分とかにあると思い込んでいたのだが、この山口県にあったのね。後、京丹後半島から車で走っていて、鎧駅に行ったとき、ここが兵庫県であることを知り、驚いてしまった。兵庫県は日本海側に接していないと思っていたのだ。過去にも「小豆島」を「こまめとう」と読んだり、名古屋が愛知県にあることを知らなかったり、僕の地理の学力は相当なものだ。ちなみに、僕は入試でセンター試験は地理選択で、本番は37点だった。全部カンでマークを埋めたが、運が悪かったかなあ。
今宵は下関近くの「道の駅きくがわ」で車中泊することにした。着いた時間は11時30分と遅くなった。トクチンは助手席で寝るという。助手席はあまり平らにならないのだが、彼はいつもここで熟睡しているので大丈夫だという。流石、鈍感でタフな我が息子。そのおかげで、後部座席を独り占めできる。昨日と同じく隙間を荷物で埋めて、広めの領域をベッドにして…。それではおやすみなさい。
コメント
月山富田城、難攻不落の城で子供の時から好きで以前訪れました。勇猛武将、山中鹿之介も好きです。
亀嵩駅は行ったことないです。三木巡査と台本まで持ってるんですね。凝ってますね。今度行ってみたいです。
スナックゆうこは近くなんで東京に着た際はお声がけください。
シェフのレストラン濃厚そうで美味しそうですね。いいな。
追伸、私のディフェンダーPDIに入って既に3週間、未だに出てくる気配なし。どんだけ船内でぶつかったのか?ボコボコなのかもしれません(笑)
PDIに入った場合、早いと10日、長いと一カ月弱くらいと大きなずれがあると聞いたことがあります。特に、てんぷらさんの船の前にも、別な船が着船していたので、きっと混んでいるのかも。まあ、それにしても、ヤキモキしますね。東京に行ったときは是非ともスナックゆうこに行きましょう。そして、ひそひそ声で「カメダは変わりないですか」みたいな会話をしますか。しかし、待てよ、このような会話をするということは、その後、どちらかが蒲田操車場で殺さる?(笑) それと、シェフのデミソースは本当に美味しかったんですよ。山口市に行った際には是非ともお立ち寄りを。
とにかく、ディーラーにてんぷらさんのディフェンダーが陸送されたり、対面したり、納車予定が決まったりしたら、即連絡くださいよ。こちらも楽しみにしてますので。