「ハイラックスサーフSSR-Xを買ったから、今度俺のサーフで釣りに行こうぜぇ」電話の向こうで中さん(ピヨピヨ日記4で登場した幼馴染)が吠えている。「くそっ、自転車ロードマンの購入では先手を制したのに、四駆では後手に回ったか!」何とも言えない焦りを感じ、一刻も早く行って、見て、触って、走行中の安定性や加速感を体感してみたいという思いが湧き出てきてドキがムネムネして(これって釣りキチ三平君のよく使うセリフだったな)いてもたってもいられない状態となった。
そもそも、四駆という響きに僕の心は何故にこうも敏感に反応するような構造になっているのか。渓流釣りにおいては、なるべく道なき道を行き、越えがたき滝を越え、たどり着いた源流部には桃源郷が(お魚さんがいっぱい泳いでいる領域が)あるという幻想が釣り師には、少なくとも僕と中さんにはある。舗装道路から谷に沿って走る林道へ入り、普通の車ではスタックしてしまうようなところを突破し詰めれるだけ林道を詰める。ここで、車の性能という観点からの第一の選別が完了する。さらにトレイルを歩けるだけ歩いて谷に降りる。これで、持久力という観点からの第二選別が完了する。更に、谷を詰めてゴルジュ帯(谷の側壁が迫り河原がないため泳がないと突破できないところ)や滝を突破する。これで、技術力と根性という観点からの第三段階の選別が完了する。このような選民思想のもとたどり着いた先が桃源郷なのだ。現実は、漁協が管理している里の川の方がよく釣れたりするのだけど。つまり、第一の選ばれし民になるために性能の良い四駆が必要なのである。そして、車から降りて釣りの支度をするとき、泥だらけの四駆にフライロッドを立てかけて…なんていうのはすごく絵になると思ってしまう自分がいるのだ。自分の中に「フライフィッシング=四輪駆動車」という方程式を発見に至らしめた雑誌が、確か、中学生の時に読んでいたてOutdoor アウトドア 第10号 フライフィッシング・ザ・本栖湖(1980年)であった。現在、非常に残念ながらこの雑誌の行方が知れず、内容がしっかりと確認できないのだが。本栖湖に潜む巨大なブラウントラウト(シューベルトの”鱒”に登場するマスはたしかブラウントラウトだ)を釣ることを夢見て全国から集まるフライフィッシャーにインタビューしたり、釣れた場所を解析したりといった本栖湖特集がメインで載っていたはずだ。それらのフライフィッシャーの中には「30フィートのフライラインを自在に操っていたのはトーナメントキャスターの鈴木さん(ピヨピヨ日記2のワチェットの鈴木寿さんだ!)」なんていうのもあって、もちろん、当時僕は中学生だったので鈴木さんとはその後に知り合うことになるのだが、その時はそんなこと知る由もなかった。そして、本栖湖に集まってくるフライフィッシャーの多くがランクル、レオーネ、パジェロなどの四駆に乗っていて、室内を改造してフライロッドなどの釣り具がきれいに積載できるようにしていた。また、雑誌の後半は3月の雪の多い渓流(奥只見の渓流だったかなあ)にジムニーで行き、クロスカントリースキーで雪原を歩き、河原にたどり着いてフライフィッシングをするという記事。夜は雪原にテントを張り、焚火のもとお酒を飲みつつ夜空の星を眺め眠りにつくという究極の大人の世界を感じさせる内容だ。少年の僕は「クゥー、早くこんな大人になりたいぜぇー」と切に願ったものだった。この雑誌のおかげで、僕にとってフライフィッシングをたしなむうえで四駆は欠くことのできない道具の一つという思いがこびりついていったのである。中さんから電話があった時、僕はスカイラインでダートを走り、そこを擦ったりスタックしたりしている現実と雑誌で夢見た理想のギャップもあり、一刻も早くサーフの走破性とフライフィッシングとのマッチングを目の当たりにしたいという思いがこみ上げてきたのだった。

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