明日のD-dayを控えて、僕の心は大きな達成感に満ち溢れていた。1990年頃、4×4Magazineでその存在を知り、2000年、フライフィッシングの師匠の鈴木さんのDefenderを目の当たりにしてほれ込んでから、20年の年月が流れた。そして、明日、あの奥さんを説得して京都にディフェンダーの試乗に行くのだ。ベルリンの壁崩壊、大政奉還、関ケ原の戦い、…など歴史の転換点は数多くあるが、これほどの大きな変革が有史以来あっただろうか。あまりのワクワク感で寝ようと思ってもうまくいかない。
翌朝のD-day当日、あまり眠ることはできなかったがワクワク感が勝り眠気はない。6:00AM、京都に向けてパジェロのギアを入れて、アクセルを踏み込んだ。ファミマで僕の大好きなコメダ(名古屋人のソウル喫茶)のコーヒー牛乳を購入し、それをチューチュー飲みながら、伊勢湾岸道、新名神、途中、土山パーキングでトイレタイム。その後、一気に入洛。勢い余ってちょっと早い9:00に到着してしまった。二条城近くのコインパーキングに駐車。



二条城は初代将軍徳川家康が築城をはじめ、徳川最後の将軍、慶喜が大政奉還の表明を行ったところであり、日本史の大きな転換点にあった城であるが、家族でディフェンダーの試乗に漕ぎつけたという我が偉業からすると、はるかに霞んで見えてしまうのは僕だけだろうか。ほとんど上の空で見て回り、その後、二条城から南下して京都三条会商店街で昼飯の買い物をして、中さんちへ。



昼飯後、腹ごなしに桜で満開の哲学の道を歩きながら、ディフェンダーと自己との実存的意義をカントの唯物弁証法的自然観の観点からアウフヘーベンしていると、ディーラに行くべき時間が迫っていることに気が付き、騒然とする。いよいよ、歴史的転換点を迎えるのだ。
中さんのレンジと僕のパジェロでジャガー・ランドローバー京都に到着、車庫入れをしようとギヤをごそごそやっていると、美しい女性が現れてドアを開けて、
「中にお入り下さい」
という。外国車のディーラーは自分で駐車場に入れなくていいんだということに感動しつつも、慣れない状況にドギマギしながら車を降りて、入り口に。中さんが
「こちらが営業の…さん」
「初めまして、防人です。後田さんですか?」
「いや、逆です。M田です」
「アッ!失礼、今日はどうぞよろしく」
慣れない挨拶をして、お出迎えのDefender90の脇を通って奥のテーブル席に案内される。すると、絶妙なタイミングで「お飲み物は」と聞かれ、メニューを渡される。自動販売機のボタンをポチッと押すのではないのかぁー!感動‼席には、中さん夫婦、防人家族4人、営業のM田氏の総勢7人の大所帯。そこに、飲み物が運ばれ、Land-Roverと書かれたビスケットも提供され、そのうちステーキやスープも出てくるのではないかと妄想が膨らむ僕であった。M田さんからは昨今のディフェンダーの状況が説明され、その後僕の妄想するディフェンダー像を確立させるためにコンフィギュレーターで仕様を決めていく。これは楽しいひと時でもあるが、恐ろしいことでもある。なりふり構わず盛り込んでしまうと、ベースの価格からとてつもない額に跳ね上がってしまうからだ。その点、僕は前もって自分でコンフィギュレーターを操作して予習をしていたので、おおよその方向性は決まっていた。タスマンブルーでルーフはホワイト。ホィールもホワイトペイントのスチールのヤツ。そう、初めて見た鈴木さんのディフェンダーが僕にとってのディフェンダーなのだ。それから、電装品は極力つけず(そのため、インパネはアナログメーター、サスペンションはコイルを選択)、シートはファブリック。リアデフロック(電子制御アクティブディファレンシャル)とサイドステップは絶対。その他はM田さんと話し合いながら、必要なものを選んでいった。570万円の車体価格から出発して最終価格はコミコミで760万円となった。コンフィギュレーターで予習していないと驚いてしまうかもしれないけど、僕は大体こんな感じになることはわかっていた。だけど、奥さんは驚くだろうなあ。ちらっと見ると、中さんやお嫁ちゃんと楽しそう話している。
「そろそろ、試乗されますか」
M田氏に促され、僕を筆頭に、奥さん、中さんとM田氏が外に止めてあるディフェンダー110ディーゼルタイプに向かう。側面には007の最新映画、NO TIME TO DIEというデカールが張られたゴンドワナストーン(黄土色!?)のヤツだ。運転席に案内され座るのであるが、緊張のためと初めての進化したオートマのため頭が真っ白に。いままでの30年間はMT車のパジェロしか運転したことがなかったからだ。まず、イグニッションキーが見当たらない。サイドブレーキがない。クラッチがない。あるわけない。ゆえに車をスタートできない。茫然自失となり涙目でM田氏を見ると、手際よくボタンを押してエンジンをスタートしてくれた。後はシフトレバーをDにすればよいだけなのだが、これがまたできない。「どッどッどうしよう!もう試乗をあきらめて名古屋に帰るか」と思っていると再びM田氏が手際よくDレンジに入れてくれる。ウーム、よくわからないまま運転することになったが大丈夫か。今僕はブレーキペダルも踏んでいないのに車は停まったままだ。オートマってクリーピング現象で本来はブレーキ踏んでいないと動き出すんじゃあなかったか????色々な?マークのままアクセルをそっと踏み込むとディフェンダー110は前に動き出した。目の前の白川通を左折し南下を開始。オーッ、ドライビングポジションがとても高ーい。パジェロも高いはずなのに比べ物にならない。周囲の車を見下ろすような状況に「くるしゅ-うない、面をあげいッ」という将軍様のような気分になる。左右の区別がつかない僕は、M田氏の「そこを右折してください」という指示を受けて、天王町の交差点を左折。中さんが
「M田さんの目が点になっているよ」
と突っ込んでくるが、僕にはそのような余裕はない。鹿ヶ谷通りを北上し、銀閣寺の所を今出川に向かう。このころから少し余裕が出てきたので、アクセルを強めに踏み込んでみる。110は力強く加速し走行レーンの車を次々と追い抜いていく。簡単に80㎞以上になり危ないアブナイ。これは、エンジンの力強さに加えて室内の静粛性がスピード感を鈍らせてしまうからかもしれない。更に驚異的なのは車のねじれ感が全くなく、運転者との一体感がすごく気持ち良いということだ。僕のパジェロは車がねじれるというか、フロントの反応がねじれながらリアに伝わっていく感じがあるのだが、ディフェンダーはそれが全くない。運転者の行為が瞬時に車全体を統制してくれるという気持ちよさがある。楽しい!僕は車の運転はMTじゃあないと面白くないとずっーと思っていたが、ATでもそれは関係ないのだなあと今までの誤認を反省する。ディフェンダーの運転楽しいぞ!高野川の所を右折(今度はうまくいった)し修学院経由でディーラーに戻ってきた。今まで代車とかで乗らされた車は本当に運転がつまらなかったが、パジェロは楽しかった。ディフェンダーはさらに楽しい。いったいこれは何が違うのか?
「ディフェンダーいいよ!運転していてウキウキするよ」
と奥さんにアピールすると
「よかったわね。私も乗っていて安定感があったかな」
「それじゃあ…」
「待ってよ、だからって買うというわけじゃあないからね」
ウーム、なかなか手ごわいぞ!そのやり取りを見てすかさずM田氏は僕のパジェロの下取り価格を調べてきて、
「防人様のパジェロは現時点で165~170万円です。1年前に乗り換えられたことが功を奏しまして、非常に高い下取り価格となりました」
と絶妙なタイミングの援護射撃。これには奥さんも驚いた様子。中古パジェロの購入が無駄にならず、逆にお得に2万5千キロ乗れたということになったのだから。
「しかし、それでも500万以上のローンになると…、我が家にはそんな余裕はないです」
運転の楽しさにしびれてしまった僕は、もう埋蔵金のことを切り出すしかないと決断!
「ディフェンダーはキャッシュで買えるんだ。ローンの必要ないのだよ」
「えッ、どういうこと」
今まで、お金を毎月タンス預金してきたこと、それを数えてみたところ現在580万円あること、すべて告白したわけである。「というわけで契約してもいいんじゃあない!」と促すも「急にそんなことをここで言われても、いったん家に帰ってくわしく説明して頂戴。今日はとにかく試乗に来ただけなんだから」。我が嫁は手ごわいぞ!助けを乞うような目でM田氏に助け舟を求めると、
「そうですね、お家でゆっくり話し合っていただいて」
夫婦によっては営業さんの前で壮絶なバトルを演じたり、家で奥さんに詰め寄られてその言い逃れとして営業さんを悪者にしたりと営業さんも大変な立場だと思うのだが、M田氏はその辺はクールにかわしそうな雰囲気である。この埋蔵金の告白がその後の夫婦喧嘩の火種になるのだが、それをM田氏のせいに転嫁できるわけもなく、ひたすら「お金の存在を隠していてスイマセン」と謝り続けることしか僕にはできなかった。
「名古屋に戻って、話し合ってまた連絡します」
と伝えて、ランドローバー京都を後にして、中さん夫婦とも別れ、京都東インターから名神に乗った。養老サービスエリアに到着した時、M田氏から「ローンの審査通りました」という連絡が入った。すべて払ってしまうのではなく、購入後の維持費のため200万円ぐらいは残しておいた方が良いかなあと思ったからである。名古屋でハンバーグを食べ、家に着いたときは十分疲れてバタンキューだった。明日からの奥さんとの交渉に備えて十分な休養を取る必要があったのだ。
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