小学生の頃『トラック野郎』という映画が大好きだった。11トン車・一番星号の運転手・星桃次郎(菅原文太)と、4トン車・やもめのジョナサン号の運転手・松下金造(愛川欽也)の2人が繰り広げるドタバタ劇は、リズミカルで面白く、ちょっとエッチなところが最高だった。そして何よりも防人が少年時代を過ごした昭和の良き風景が登場して、現在見返すと、とても懐かしくなるのである。家を持たず(数学者のポール・エルデシュみたいだなあ)、稼いだ金を11tトラック一番星号のカスタムに費やし、日本列島一人旅を意気がる星桃次郎が好きだったし、何と言っても、デコレーションされた『一番星号』には憧れていて、プラモデルも造ったし、将来は本当にトラック運転手になって、デコトラ(昭和の当時、一番星号みたいなきらきらするトラックをデコトラと言った。チャリをキラキラにカスタムしたものをデコチャリとかいったなあ!小学校の友達だったNが乗っていたのを羨ましく眺めたもんだ)を所有することを夢見ていたのだ。トラック野郎に登場するような美味しい定食屋さんを全国各地に見つけ出し、美しい日本の自然の中を颯爽とステアリングを操り、トラックの車体には「南十字星」とか「男一匹一人旅」とか「玄界灘」とか好きな言葉を書き込んで、夜になるとイルミネーションを点灯して日本中を駆け巡る、そんな人生を夢見ていたのだった。現在、さきもりちゃんと色々なところをドライブしているのだけど、これは、少年の頃抱いたトラック運転手(長距離トラックの)への夢の縮小版を楽しんでいるのかもしれない。
防人家の実家の片付けもいよいよ佳境に入り、家の中はガランとした空洞になりつつあるが、その分、庭や駐車場にはソファー、タンス、テーブル、椅子、本棚、その他もろもろの廃棄物で溢れ何とかしなくてはいけない状況になってきた。その上、実家の庭にはなんだかよく分からない物がいっぱい詰まったイナバの物置みたいなヤツが8棟もあるのだ(これって異常だよね。防人の両親、姉は物を人一倍買い、イヤ、人百倍買い、それらを貯め込み捨てることをしない種族だったのだ。はっきり言ってバカ!)。この大量のごみをさきもり号で処分場まで運搬したら、何回往復したらいいのか見当もつかない状況だ。甲府市のゴミ処分場は盆地の南側の境川という所にある。一方、防人の実家は盆地の北側だ。処分場は5時閉店なので、一日どのように頑張っても三回の往復が限度に思われるので、さきもり号で運搬したら一体何日費やすことになるのかわからない。であるなら、2tトラック借りてガツンと運べばいいではないかと言うことになった。

最初、2tトラックは軽トラックに毛が生えただけのほぼ自動車的な感覚の物だろうというイメージを持っていた。しかし、現物を目の当たりにしてみると、明らかにトラックであった。

防人が憧れているトラックはこんな感じ。前輪が二つで、後輪が4×2=8つのタイプだ。最近は前輪が4つのヤツもあるけど、やっぱりこの絵のようなトラックを操ってみたい。
2月12日(水曜日)の朝、8時に甲府市のカースレンタカー甲府バイパス店(ガソリンスタンドコスモ石油がやっているレンタカー屋さん)にやってきた防人が目の当たりにしたものは、まぎれもなくトラックの形状をした車(つまりトラックだ)であった。書類にサインをして、パワーゲートの使い方の説明を受け、荷室の扉の開け方を教えてもらい、キーを渡されてガソリンスタンド内でいきなり方向転換をすることに。涙目になりながらも、憧れのトラック運転手として、方向転換をして、スタンドから這い出して、何とか実家に向かったのだった。

早朝3時30分に名古屋発。6時30分に八ヶ岳のパーキング着。8時のトラックのレンタル時間に間に合うように、不本意ではあるが下道は使わず、オール高速であった。

7時30分に甲府バイパスにあるカースレンタカー(コスモ石油バイパス店)に到着。今日レンタルするトラックと並ぶさきもりちゃん。横幅は同じくらいだが、高さは全然違うね。

ディフェンダーとトラックではハンドルの角度が違う。トラックのハンドル角度は水平に近い感じを受ける。10時間ほど運転して、その後ディフェンダーを運転してみたら、普通乗用車のような物足りない感じを受けたのだった。運転と言う意味では、防人にとって断然トラックの方がよりワクワクする。

2tトラックショートタイプはディフェンダー90と同じで、何だかかわいい感じがするね。中古で200万円くらいで手に入るようだ。

防人にとってリアタイヤが二重になっているところが大好きなのだ。
今回のトラックは12時間レンタルで13650円+パワーゲート付帯料金2200円+燃料&アドブルー代1518円の合計17365円なーり!
更に、ごみ処理場での処分費は1回目9616円、2回目9823円、3回目6617円、合計26066円なーり!
今回、2tトラックを借りたのは、この5年間にも及ぶ実家の片付けにおいて出たごみを運ぶためではない。ここ数カ月で運び出されたものだけを処分するためである。以前も書いたが(よほど防人は根に持っているらしい)、姉が他界した時、大量の衣服、数百着の着物、レコード、…ありとあらゆるものが上の家を占拠し(下の家はオヤジが暮らしていた)足の踏み場もなかった。それらを二年の歳月をかけてメルカリで売ったり、セカンドストリートに売りに行ったり、人に貰ってもらったり、最終的にはゴミに出したりしてやっとの思いで上の家をある程度空っぽにしたのだった。その後、リフォームして、倉庫(イナバ的物置群)からオヤジの数万冊の本達を家に搬入し、今度は1年半かけて図書館、翻訳グループ、古本屋さんを開業する若者、個人経営の文庫、児童文学書の愛好家…etc に譲渡してきたのだ。そして、2024年元旦にオヤジが他界し、今度は下の家の整理が始まった。そこには児童文学の本とは違い、歴史書、全集(日本国語大辞典などの色々な全集!最近では全集関係は古本屋さんも引き取ってくれない。お金をかけて処分するしかないのだ)、専門書などが大量にあった。更には、あろうこうとか、閉店間際のビデオレンタル屋さんからもらってきた未曽有のビデオカセットが積み上げられていた(なんとまあ、時代の流れを読まない行為をしでかしてくれたことか!本当に腹立わッ!)。これらをガンガン捨てまくり、防人が小学生頃使っていた布団など布団更新の度にも捨てずにとってある布団群(普通は捨てるだろうッ!)、何百着の背広、大量の腐ったジャム、…など目に付くものは徹底的に捨てて行った。思い出に浸るなんて言うオセンチなこと(この5年間、しんみりするというより、どちらかと言うと腹が立つことの方がはるかに多かったのだッ!)をやっていてはこちらの人生が終わってしまうから、何も考えずどんどん捨てた。そして、やっと昨年末に目途が立ってきたと思ったのである。その後、テーブル、本棚、椅子、棚、etcを運び出し、敷地に運び出していったのだが、これがまた大量にあり、もはや隙間がなくなってしまった。つまり、今までもガンガン捨て続けてきたが、今回はテーブルとかソファーとか一つ一つの物がデカいため、さきもりちゃんでは苦戦が強いられるだろうから、トラックを借りてごみ処理場に運搬することになったのである。当日、手伝ってくれたのは、昔からオヤジの身の回りの世話をして頂いていたSさん(大量のジャムの処分を引き受けてくれて、下の家の片付けの口火を切ってくれた実家整理の要の人である)、不動産や倉庫の解体で相談に乗ってくれて大変頼りになり、かつ若手で体力溢れているK澤君の最強の二人だった。

今回レンタルしたトラックにはパワーゲートが装着されていた。まさか、自分がパワーゲートを扱う日が来るとは思いもしなかった。付帯料金2200円だがその価値十分にあり。

甲府盆地の南側にある境川のゴミ所分場にやってきました。手続きをして、トラックを計量し、慣れないトラックで慣れない処分場内へいざ出陣じゃッ!

敷地を埋め尽くす家具、本棚、椅子、ソファーなど。まずは木製の家具を中心にトラックに積み込み、一回目の運搬を試みる。若手のK澤君のおかげで、極めて順調に積み込み完了。

トラックの荷室から、処分場所の空間に向けて家具を思いっきり投げつける。だんだん腹が立ってきて、無意識に「糞ったれーッ」と叫んでしまった。

家の敷地内にある8棟もある物置内の物品の運び出しに着手する。スチール本棚、スキー、ストーブ、ガスレンジ、テレビ、布団、しまいには洋式便器までもが出るわ出るわ、底なし沼の様相を呈してきた。防人家の三人には捨てるという概念が全くなかったのである。アホかッ!この写真の背後には実家最大の物置があるのだが、今回コイツには着手できなかった。糞―ッ!

手前の物置内には冷蔵庫がある。つまり実家には三つもの冷蔵庫がある。テレビやピアノもあるので、リサイクル料や搬出費用で10万円位かかるだろうなあ。まあ、ピアノは搬出で5万円以上なら自分でバールや斧を使って破壊するつもりである。

物置の家具を取り出してみたら、その背後に本がギッシリ詰まった箱が40~50箱ほど見つかる。もううんざり。更に、上の家にあった大量のビデオも倉庫に仮置きしてあったので、これらも運び出さなければならなかった。もう中も見ずにトラックにどんどん積み込む。

ここは可燃物処分場所。扉の向こうにはスタウォーズに出てくるような巨大な空間がぽっかりと口を開け、運び込まれるごみを容赦なく飲み込んでいく。どんな高価な本も、全集も、ここでは鼻をかんだちり紙と同等と化す。

手前の鋼鉄製のアームに向けて、トラックの荷台から本が入った箱を投げ捨てていく。本の神さまがいたら、防人は地獄に落とされるだろうか。知的営みのつもりの本収集の行きつく先が、チリ紙も本も区別のない巨大なゴミの山の世界だ。

今回活躍してくれた2tトラック君。本当にご苦労さん。これからレンタカー屋さんに返しに行きますかな。
今回、2tトラックで一日運搬したが、実家の大量のごみは運び終わらなかった。次回、3月初めに、今度は休みも取って、3~4日連続でさきもり号とK澤君の軽トラックで運搬してみようと思う。また、ピアノの搬出or解体、倉庫の解体などもある。4月中に終われるだろうか?
人生で初めて2tトラックを運転してみてとても楽しかった。ハンドルを操作する感じはディフェンダーや一般の自動車とは全く異なり、とても楽しくワクワクした。また、ディーゼルのカラカラと言う音(ディーゼルは自己着火するわけだから、これはノッキングの音と言う事か!)や振動も心地よいサウンドであった。トラックを返却して、さきもり号を運転してみると、「なんとまあ、乗用車ライクなのだろう」とかなり物足りなく感じてしまったのだ。そして、防人の中に芽生え始めた妄想は『大型免許を取る』というものだ。これをとって、午前中なんかに運送のバイトで10tトラックを運転している自分を想像するようになってしまったのだ。実家が売れたら自動車学校に通って、平針(名古屋の運転免許試験場)で試験でも受けてみたりして。そして、ディフェンダーの次は2tトラックを買って(流石、10t トラックは大きすぎるし、値段も高くて手が出ない。それに、今回2tトラックのショートタイプはずんぐりむっくりでかわいく防人好みであることが判明)、荷室を住めるように改造して、名古屋の自宅を処分し、必要最小限の身の回りの物だけを携えて、全国津々浦々を巡る晩年を送るのはどうだろうか。そして、運転もおぼつかなくなったら、気に入った場所にトラックを停留させて、そこで最期を迎える。残されたトラックの処分は前もって業者に頼んでおけば、トクチンや娘にはそれほどの迷惑はかけなくて済むだろう(親が子に残すものは思い出や、料理の味、などであって大量のゴミの山であろうはずがない)。こんな妄想が芽生えだしているのだが、まあ、奥さんには反対されるだろうなあ!
コメント
トラックの運転は楽しいですよね。
4tになればエアブレーキですし、10tならキャビンにもサスペンションがついてまた違った感じですし、何より乗用車と違って各メーカーで明確に乗り味に差があります。
私は、歳を取るほど感覚が鈍り苦労すると思い、若いうちに大型、牽引、船舶免許等を取得しておきました。
将来どうなるか分からないけど、お金持ちになっても免許がなくて乗れないということのないようにです。
当時は、エアストリームを牽引して旅行するかもしれない・・・なんて妄想していました。
大型免許をもっていることで、苦労しているのは深視力です。
免許取得当時の検査機器はアナログとデジタルがあり、どちらでも検査ができました。
私はアナログでは何の問題もないのですが、デジタルでは動きが分かりづらく中々合格範囲内になりません。
デジタルだと一定数そういう方がいるということで、アナログでの検査で対応していたそうなのですが、いつからかアナログ検査が廃止されデジタル1本になってしまいました。
2tならキャンピングカーブームなので、選択肢はたくさんありますね。
予算は1,000万近く必要ですが。。。
それなら、乗り味はトラックの旧型ディデンダーいっちゃいますか。
なんと!ayuさんは大型免許持っているのですか!!それもけん引免許まで。凄ーいっ!今回の件で、大型免許取得した人のブログ読んでいたのですが、確かに”深視力”は鬼門のようですね。老眼に侵されつつある防人の目では”深視力”以前に、視力で引っかかってしまったりして。まあ、兎に角、実家がひと段落したら大型免許考えてみいようかなあ!
まあ、旧型のディフェンダーがトラック的乗り味のはずだから、ayuさんおっしゃるように、旧型いっちゃいますか!しかし、奥さんが何と言うか考えると恐ろしい。