Defenderピヨピヨ日記(NO42 追悼釣行旅 6日目・最終日 会津若松・日光中禅寺湖・八ヶ岳・甲府そして名古屋へ)

Defender購入後日記

 今日は福島郡山から日光・嬬恋村経由で八ヶ岳の別荘へ戻る日である。もちろん、オール下道だ。地図で見る限りそんなにたいした距離ではなさそうなので、のんびり構えていた。まあ、日光でてんぷらさんに会うので、それを意識して朝8時にはYa氏の実家を出発したのだが、意識的にはかなりのんびりしたものだった。猪苗代、磐梯山(この日も裾野しか見えず、磐梯山自体は姿を現してくれなかった)を越えて、会津若松へ。ゆっくり鶴ヶ城とか飯盛山とか見学したいのだが、これはまた次の機会に取っておいて、今日は素通り。国道121号線の景色を楽しみながら、会津芦ノ牧温泉、湯之上温泉、南会津を経て、てんぷらさんとの待ち合わせ場所である会津鬼怒川線の上三衣塩原温泉口駅に到着したのは11時ちょっとすぎ。ここまでは極めてのんびりのドライブタイムであった。駐車場には釣り人の車があり、二人のアングラーが準備していたので、声をかけ周辺の釣り情報とかを教えてもらった。彼らと話が終わったちょうどその時、てんぷらさん到着。

 会津若松市にある鶴ヶ城。今日は素通り。写真には天守さえも写っていない。次回だね。
 何だか風流そうな駅に誘われて、思わず立ち寄ってしまった湯之上温泉駅。
 駅の隣には足湯もあり、これからのお盆は観光客でごった返すのかな。
 上三衣塩原温泉口駅に到着したてんぷらさんのディフェンダー90。

 ここまで来ていれば日光までは近いだろうと思っていたが、てんぷらさんの後にくっついてドライブしていると、なかなかつく気配がない。それより何よりも、てんぷらさん運転がかなり上手いのである。カーブありのクニャクニャ道を果敢に攻め、余計なブレーキを一切踏まない。後れを取らないように必死に彼の後について行くと、やにわに鬼怒川温泉街に突入。

「こんなところに鬼怒川温泉が…!

と感動に浸っている間もなく、てんぷら号は走り抜けていく。全神経を集中させてくっついていくと、かろうじて正午ギリギリ前に今日のランチ場所に到着した。防人ペースののんびり運転では、お昼はかなり遅めになってしまったのであろうから、現地の距離感覚がわかっているてんぷらさんの後をくっついて来て正解であった。今日のランチはてんぷらさん推薦の”Cafe&Kitchen K”という所だ。駐車スペースは広くて停めやすい。建物はカントリー風でセンスの良さが感じられる。中に入り、何を食べるのか迷ってしまったので、

「防人の研究テーマのハンバーグにしようかなあ」

というと、マスターが

「そんなもんいつ来ても食べられるのだから(名古屋だからそんなにいつも来れないのだけどなぁー)、限定メニューのポークジンジャーステーキ夏野菜添えにしたらいいよ」

と言われたので、防人とてんぷらさんは素直にマスターのおススメに従うことにした。運ばれて来たランチは夏野菜の濃厚な配色で彩られており、お肉の味付けも美味しく、ご飯も非常に進む。初めてのお店ではマスターの言うことに従うのが正解であるということを身に染みて(舌に染みて?)感じるのであった。てんぷらさんとは一時間ほどディフェンダー談義で盛り上がり、マスターとは今後の限定メニューの内容で盛り上がり(来月はボロネーゼスパゲッティにするらしい)、とても満ち足りたランチタイムであった。てんぷらさんも防人も観光地は嫌いなのだが、

「中禅寺湖を見たい(ニジマスを釣りたい⁉)」

と要望していたので、

「いろは坂を登りますか」

と言うことになった。いろは坂は登りと降りの道が分かれていて、対向車を気にすることなく運転できる。そんな道路環境だったからだろうか、上り坂に突入したてんぷら号の加速は驚異的なものだった。遅れまいとして後について行こうとすると、タコメーターは5000~6000回転の最大パワー発揮領域まで跳ね上がる。日頃、防人は2000~3000回転しか使わないチンタラ運転なものだから、エンジン君もさぞ驚いたことだろう。攻めるてんぷら号、必死に半周遅れでついて行くさきもり号!最終的にいろは坂で20台抜きをディフェンダー90で達成するという偉業を成し遂げてしまったのだった。そんな、てんぷら号の後ろに付き従っていて確信したことが、

「てんぷらさんは若い頃、走り屋だった、峠族だった、暴走族だった(これはないか)に違いない」

ということだ。それと共に、ディフェンダー90のP300エンジンの威力の使い方を思い知ったような気がした。車重は2トンだが、最高出力300馬力、最大トルク400Nmはこのような走り方をして初めて認識できるものなのだなあーと痛感した次第である。時に、エンジンもこれくらい回してあげないといけないのかもしれない(防人としては200馬力弱、トルクも250くらいで十分だなあー!)。

 ランチ場所の駐車スペースは十分な広さがある。さきもりちゃんとてんぷら号を横に並べて、写真を撮る。同じ配色のディフェンダー二台は目立つよねえ。
 ここが"Cafe&Kitchen K"だ。カントリー風のお店で店内は落ち着いた感じ。マスターは話好きで面白いし、料理も美味しい。彩り豊かな野菜がタップリつくというのも嬉しいね。
 ご飯はしっかりと大盛りにしてくれて、お肉は厚くてやわらかくて味付けもちょうどよい。
 夏野菜の濃厚な配色が食欲をそそる。これだと、ご飯を何杯も食べたくなってしまうなあ。
 いろは坂を登り切って、左手に中禅寺湖が視界に入り出した。右手は男体山のはずだが、雲に隠れてその姿を見ることは叶わなかった。磐梯山も男体山も次回の釣行の時かな。
 クラシックホテルの金谷ホテルがかつて保有していた(現在は県の持ち物?)ボートハウスからの中禅寺湖の眺め。鱒のライズリングは写っていないか!

 いろは坂を登り切った二台のタスマンブルーディフェンダーは、湖畔のかつて金谷ホテルが所有していたボートハウスに停車した。そして、そのバルコニーに腰掛け、缶コーヒー飲みながらてんぷらさんと湖を見ながら話をするが、これがなかなか集中できないのである。何故なら、湖の至る所でニジマス(⁉)によるライズが起こるのである。その度に、「オッ!」と意識がそっちに行ってしまい、落ち着かないったらありゃしない。てんぷらさんは平気なようなので、釣りキチ病は発症していないようだが、防人はどうも最近再発重症化の一途をたどっている気がする。

 日光とくれば、丸沼、湯川、中禅寺湖のマス釣りが有名である。個人的には、小学生の頃、この地に釣りに行くことが夏休みに企画されていたにも関わらず、前日に熱が出て、それを隠していたのだが母親に見抜かれて行けなくなり地団駄を踏んで(高熱があるのに飛び跳ねながら)大泣きした因縁の場所なのである。

 明治維新は「文明開化」の名のもとに、西洋の思想や風習が急速に広まり、古いものの価値は低く見られて、廃仏毀釈が行われ、城や陣屋なども取り壊された一方、貪欲に欧米社会からさまざまな制度・知識・文化などを取り入れたため、あらゆる分野で文明開化が進展した。財界人の子弟が英国などに留学し、趣味の分野でゴルフ、狩猟に加えてフライフィッシングという貴族の遊びを身に着けて帰国した。そんな彼らが目に付けた場所が丸沼だった。彼らはこの地に丸沼鱒釣会を発足させたのである。この丸沼・菅沼という所は明治期にすでにニジマスの養殖、放流が行われており、周囲は深い緑に囲まれ、標高も1430mで、富士山の麓にある河口湖が833mだから、600mもの標高差がある。そのため、水温は夏場でも低く、マスたちの生活環境としても最適だったのだろう。明治維新の立役者となったトーマス・グラバーや丸沼鱒釣会の財界人の面々などの紳士たちが日々の喧騒を忘れて、釣りを楽しみにこの地に来ていたのである。そして、このニジマスは金精峠(こんせいとうげ)を越えて、湯の湖や中禅寺湖にも放流されるようになる。そして、日本のクラシックホテルとして有名な金谷ホテルにもマス釣りを楽しむ上流階級の人々が出入りするようになるのである。また、グラバーは湯川にカワマス(ブルックトラウト)を放流し、それは現在でもフライフィッシャーの憧れの対象魚でもある。つまり、この日光は日本のフライフィッシング発祥の地なのであり、だから、防人もいつかはここの湖や湯川でフライフィッシングをやってみたいと思っているのである(まだ、一度もこの地でフライフィッシングをしたことが無いのだ)。

 我々は戦場ヶ原、湯の湖、金精峠、菅沼、丸沼、片品村、そして沼田市までを国道120号線で走り抜ける予定なのだが、てんぷらさんによると

「まだ沼田まではそれなりに距離あります。山道だし。それに防人さんは嬬恋村抜けて、軽井沢から八ヶ岳ですよね。のんびりちゅり(釣り)なんかしている時間は無いと思いますよ」

と指摘され、それではと後ろ髪惹かれる思いで腰を上げボートハウスを3時40分に出発。今度はさきもり号が先頭になったが、先ほどのいろは坂のスポーツモードが体に残っていたからだろうか、金精峠を攻め、下りのクニャクニャを攻め、夢中になって運転していたのだが、山道でもあったため、てんぷらさんが言うようにそれなりに時間がかかり、道の駅”尾瀬かたしな”にたどり着いたのは結局5時だった。途中、菅沼、丸沼も拝まず、ひたすらドライブに集中してしまった。まあ、この辺りの景色を眺めるのは次回の釣行の時だ(でも、釣行の時はその時でお魚さんの顔が思い浮かび、これまたひたすらスポーツドライブモードになってしまうのだけどね)と開き直ったからなのであるが。

 この後、てんぷらさんは清張の”砂の器”で和賀英亮が三木謙一を殺害した蒲田操車場方向に(よくわからない表現か!つまり都心に向けてということ)、防人は八ヶ岳に向けて別々のルートに分かれて行ったのだった。防人とさきもりちゃんは沼田市、ロックハート城(結婚式場?それとも公園?)、中ノ条町、長野原町と越えて、看板に『軽井沢』という文字を見出した時、「やっと帰ってきたぞ」と思ってしまったところは、やっぱり東北を旅してきて距離感がマヒしている証拠なのだろう。夜9時に佐久平の”かつや”に入りかつ丼大盛りを食べ、八ヶ岳の別荘に着いたのは11時だった。のんびり中禅寺湖で釣りなどしようものなら、到着は次に日になっていたかもしれず、明日の予定の事を考えると、てんぷらさんの助言に従っておいて大正解であった。

 日本にフライフィッシングを導入した大御所の一人である西園寺公一。彼の"釣り60年"は防人の愛読書。日光での釣りのことも登場する。

 最終日は山梨で実家の売却について、不動産屋さんのKさんと打ち合わせであった。朝7時に起き、8時には別荘を出発。信州峠を越えて、明野村から甲府に入る。Kさんはまだ若く、やる気に燃えた人で、不動産の営業だけでなく、建築、建物のリノベーション、解体についても詳しいのだ。彼との会話のおかげで、これからの実家の売却の道のりに一条の光を見出すことが出来たので、彼に任すことにして気持ち良く実家を出発。後は下道で、甲州街道、諏訪、杖突峠、高遠、そして153号線に合流して名古屋に戻ってきたことを実感(これも距離感マヒしているよね)。伊那谷、治部坂峠、平谷村、根羽村、足助といつもの道を我が庭気分でのんびりドライブしたのだった。

 茅野市から中央構造線に沿って走る国道152号線に入る。まずは杖突峠のクニャクニャ(33カーブ!38カーブだったかな?)を攻める。
 高遠に到着。ここから伊那市に向かい、153号線に合流する。ここまで来れば、もう庭のようなものだ。帰ってきたぞ!

 この7日間の合計走行距離は2500㎞!

愛知→静岡→神奈川→東京→千葉→茨木→福島→宮城→岩手→宮城→福島→栃木→群馬→長野→山梨→長野→愛知

と廻ったのであった。特に初日は950㎞を一日で走ったが、思いのほか大したことなく感じたのは発見であった(防人もまだまだ若い)。大変だったのは、6日目の郡山から日光経由で八ヶ岳に行った時だった。てんぷらさんからは「結構大変ですよ」と言われていたが、土地勘がない防人は真に受けていなかった。

 来年の夏はどうしようかなあー!トクチンが高校生なって付き合ってくれるなら”親子で巡る黒部源流一週間の山旅”、相手してくれないのなら”下北半島・五所川原!おじさん一人のイワナ釣り旅(恐山で三途の川を渡ってのちゅり体験も含む!)”なんかも面白そう!まあ、これも奥様の許しが出るかどうかだけどね。もしかしたら、”V8ディフェンダーオクタで巡る釣りオタクによる日本一周釣り行脚”とかだったりして。まあ、これは絶対ありえないし、奥さんの許しがでる訳ない。というかお金がない。

コメント

  1. てんぷらさん より:

    長旅お疲れ様でした。
    行程の中にコラボしていただきありがとうございます。鬼怒川素通りでしたね(笑)
    「鬼怒川温泉だ」って同じように思って通過しましたよ。

    私はただのツーリング屋です。

    西園寺公一氏の方に興味が湧きました。

    • さきもり さきもり より:

      こちらこそありがとうございました。まあ、防人の慌ただしい予定に合わせてもらったため、あっという間の半日でした。もう少し話す時間があると良かったですね。西園寺さんに興味が湧いたら、釣りキチ病目前ですよ。丸沼・中禅寺湖詣でが始まるかもしれません。ウッフフフッ!

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