Defenderピヨピヨ日記(NO38 みちのく追悼釣行旅 二日目 薬師川でのイワナとの対面)

Defender購入後日記

 去年の夏はお袋と姉の追悼旅行も兼ねて、西の大宰府に行ったのだった。そして、そこからの帰路で母が生まれ育った忠海に立ち寄り、母と姉(姉は母とカプセル親子だったので、ずーっと一緒にいたいはずだと考えたのだった)がその地で安らかに眠れるようにお祈りをしたのだった。今回はオヤジの人生の核をなしたと言っても良い薬師谷でオヤジが安らかに眠れるようにお祈りすることが最大の目的である。今回は釣りなどどいう世俗的なことは、全く意識化にも出てこないくらいどうでもよいことなのである。あくまでも追悼釣行という崇高な旅なのである。

 朝、6時に目が覚めると、朝食(三滝堂という道の駅で買ったパン)を食べて、その後身なりを整えて早池峰山荘前の薬師川に歩いて行った。昔、ここは牧草地であったが、今はきれいなオートキャンプ場になっている。

「アッ、ここの石に座って、そとでゼミをやった事もあったなあ。先生に厳しく突っ込まれて、みんなタジタジになったよなあー」

とYa氏が懐かしそうに当時を振り返る。ゼミ合宿の時、ある朝学生たちが釣りに出掛けようとしたとき、一応先生も誘おうということになり声をかけて一緒に釣りに出かけたらしい。そういう時に限って、オヤジは小さい岩魚しか釣れず、よりによってある学生が尺岩魚を釣り上げてしまうという事態が生じた。次の日、朝起きるとオヤジ(先生)はおらず、釣り竿もなくなっている。しばらくすると、ご機嫌な顔で戻って来て、先生は釣れたイワナを自慢したそうだ。昨日尺岩魚を釣り上げた学生が、

「何故、僕たちを起こしてくれなかったんですか?」

というと、

「よく寝ていたから、起こさなかっただけなのよぉー」

と白々しく答えたらしい。この出来事を語るYaさんはいかにも先生らしい振舞だと懐かしそうに目を細めた。ただ、その時オヤジが釣り上げてきたイワナは尺はなかったらしいが。

 朝から素晴らしい天気だ。夜は寒いぐらいで、シュラフに完全に入って寝た。昨年の西日本旅行の熱さとは雲泥の差だね。
 キャンプ場から見た早池峰山荘。昔、この辺りは牧草地で、牛が放牧されていた。至る所に牛のウンチがあり、僕は嫌だったなあー。
 キャンプ場付近の薬師川の流れ。昔はこの辺りでイワナが入れ食い状態だった。現在、左側はキャンプサイトとして整地されているね。
 オヤジよ、薬師谷で安らかにイワナ釣りを楽しめ。理想通りの児童文学館も造るがいいさ。

 一通りの儀式も滞りなく終わり、次に、我々がオヤジの代わりに薬師谷のイワナを釣りあげて、オヤジのご霊前にお供えしなくてはならない。これが追悼釣行の厳しいところで、ボウズは許されないのである。バンガローに戻り、フライロッドを手に緊張感をもって薬師川に入る。オヤジの御霊に伴われてここぞと思われるポイントに毛バリを投入する。バシャッと毛バリに反応が起こって以降は、オヤジのことはすっかり頭から抜け落ち、後はひたすらイワナ釣りに夢中になった。薬師谷のイワナの手ごたえは上々で、25㎝くらいのサイズになるとなかなかてこずらされる。ただ、昔ほど魚影は濃くないし、釣り人も多いのかイワナもスレていて、針掛かりも甘いのか、釣り上げて写真を撮ろうとしてモゾモゾしていると簡単にはずれて逃げて行ってしまう。「薬師谷ももはや昔の状況とは異なってしまったのだなあ」と思うと共に、「いつまでもオヤジに頼っているのではなく、防人独自の薬師谷のような流れを東北のどこかに見出さなくてはならないのかなあ」とも思うのであった。

 薬師谷のイワナちゃん。この前に3~4匹釣れているのだが、写真を撮ろうとしてスマホを出したり構えたりしてる間に逃げられてしまった。やっと写真に収めることが出来た一匹。
 最高のポイントだね。ロングキャストで狙って、飛び出してきたので、やり取りはかなり走られて、スリリングだった。薬師谷イワナの手ごたえは最高だ。
 薬師川を釣る防人。腰まで水に浸かったので、ズボンはずぶ濡れだが、夏はこのくらいが気持ちが良い。ただ、昔と違ってヨロけるので、それでずっこけてバシャーンとずぶ濡れにあることも多い。
 朱点のない白点だけのいかにも東北のイワナ。ヒレもしっかりと成長し、遊泳力は高い。
 反転流に回し込みながら毛バリをドリフトして、毛バリが沈んだところでギラッと来た。

 オヤジのこともすっかり忘れイワナ釣りに夢中になり、気がついたら昼を過ぎていた。谷から上がり、早池峰山荘の人に教えてもらった一つ山を越えた隣の谷の温泉(横沢温泉静峰苑)に向かう。お客さんは我々以外は誰もおらず、隣の沢(横沢?この沢もイワナが釣れるらしい)を眺めながらのんびりお湯につかり汗を流すことが出来た。受付のお姉さんはとても親切で、”うちさわ”というところのかつ丼が有名だとか、道の駅のやまびこ館ではドラゴン麵が美味しいとか色々と地元情報を教えてもらった。その後、夕飯の買い出しで宮古に行って、マルイチという業務スーパーで霜降りが入った岩手牛を買い、朝飯用のパンはTamiser(タミゼ)というところのキッシュを買って早池峰山荘に引き返した。

 ひと山越えた隣谷にある温泉宿。釣りの後、この温泉に入り、買い出しというのが妙にハマった。去年の大宰府旅行は、風呂入った後すぐに汗だくだくになったけど、この薬師谷(東北)は涼しいので、極めて快適だ。夜は寒いぐらいだよ。
 ここは宮古の業務スーパーマルイチ。安くて、品ぞろえも良く、バンガロー滞在者にとっての心強い味方。滞在期間中、肉ばかり買ったけど、宮古と言えば魚介類であり、それを買わなかったのが心残り。まあ、三回忌にはまた来るので(本当?)、その時に取っておくか。
 このデカ石が今回のバンガロー滞在中の我々のテーブルであり、台所であり、椅子になった。この石を囲んで、毎日夜半過ぎまで、焚火で暖を取りながら、オヤジの話などで盛り上がった。のんびりと故人を偲び、長い夜を過ごすことが出来た。
 デカ石の上で仙台牛を調理する。BBQセットなど持っていないので、コッヘル(登山用の調理器具)を使っての制限された状態での料理はある意味楽しい。コッヘルでご飯を炊いて、付属の小さなフライパンでガーリックチップを作りお肉を焼いて、味噌汁を作り…。

 今日、我々は昼飯を食べていないので、夕飯のお肉とご飯がいつも以上に胃袋に収まった(ご飯は恐らく三合くらいを二人で完食)。その後は、お酒を飲みながらのオヤジの薬師谷話だ。

 60年前は、常磐道はもとより東北道もなかった。恐らく、中央道も部分的にしか開通していなかっただろう。そのような時に、故障もよく起こったであろう車で、国道4号線を走り続ける訳である。当然、途中で宿泊することになるが、街道筋にあるラブホテルに泊まりながら薬師谷を目指したらしい。オヤジ曰く

「道から入りやすく、安いからいいのよぉー」

とよく言っていたそうだ。ホテルで寝るオヤジの隣にはこれから釣れるであろうイワナの妄想像が横たわっていたか?それとも…。

 ある時は東北のとある町の段差で、ガソリンタンクをヒットしてしまい、タンクに穴が開いてしまったらしい。しかし、オヤジはそのことに気が付かず走り続け、ガソリンをまきちらしながら東北の街を走り続けた。当然、消防車や警察の車が出動して大騒ぎになったのだが、たまたま消防署の所長がオヤジが教鞭をとっていた大学の卒業生でオヤジを知っており、この事態をうまく収めてくれたとか。まあ、60年以上前の田舎の古き良き時代の話だなあ。

 ある時、薬師谷でゲリラ豪雨があり、鉄砲水が出てしまった。橋は幸い流されなかったが、橋の上には大量の流木が積み上げられていて、バンガローから薬師谷林道に出れない状態になってしまったらしい。開通までには数日かかることになり、オヤジたちはバンガローに閉じ込められた。それと同時に、付近にあった養魚場(現在のタイマグラキャンプ場のやや上流部にあった)がこの鉄砲水で壊滅的な被害を受けてしまった。閉じ込め状態のオヤジたちは食料の調達も兼ねて、目の前の薬師川で釣りをしたらしいのだが、養魚場から逃げ出したイワナがウヨウヨいて、後にも先にもあれほどの入れ食い状態はなかったとのこと。しかし、これって釣り堀で釣るのと変わりないよねえ!オヤジたちは半狂乱だったかもだが、養魚場関係者の方々の思いを察するといたたまれないと思ってしまう防人なのだが。現在の薬師谷には当時の養魚場のプールが木々に囲まれて物悲しく残っている。

コメント

タイトルとURLをコピーしました