Defenderピヨピヨ日記(NO37 みちのく追悼釣行旅 初日 仙台のTreey Landに立ち寄る)

Defender購入後日記

  7月31日で仕事が終わり、8月1日から二週間ほど夏休みの防人である。一昨年はコロナに罹患して休みのほとんどが蒸発した。去年は息子のトクチンと西の大宰府に向けた9泊10日のテント、車中泊、安宿旅行に出かけた。今年はオヤジの追悼釣行的旅行ということで、言い出しっぺのYaさんと二人で東北岩手閉伊川水系薬師川へ一週間ほど出かけることになったのだ。

 何故、薬師谷なのか?生前の父は20代から40代にかけて、イワナ釣りに夢中になった。そして、北海道や東北の谷を釣りまくったのだ。当時は東北道もなく、国道4号線をひたすら北上していったのだろう。そのイワナ釣り行脚の中でこの薬師谷(薬師川)を見つけたのである。当時は盛岡から陸中川井までの道も一車線の細い道、そして、薬師川に沿った林道はガタガタのダートであった。この林道を30分くらい走ったところに自家発電の早池峰山荘(当然電気は通っていなかった)がひっそりと佇み、周囲は牛の放牧に使われる草地が広がっている以外は、これと言って人工的なものが目に付くことはない自然豊かな場所だった。当時は釣り人もほとんどおらず、目の前の薬師川は入れ食い状態。自然豊かな谷だが、全体としてとても明るい感じの気持ちの良い谷である。その上、山荘(早池峰山荘)からは、日本のエーデルワイスとして有名なハヤチネウスユキ草が咲き乱れる北上山地の最高峰早池峰山(1917m)の雄峰を目の当たりにできるのである。オヤジは一発でこの谷に惚れ込み、当時、彼のライフワークであった児童文学の翻訳と絡めて、この谷に児童文学館を建てるという妄想をも抱き出したのである。その後、父は毎年夏になると、大学のゼミ学生や卒業生をつれてこの谷で一週間ほどの児童文学の勉強会も行うようになった。この勉強会に当初から長い間参加していたのが、今回の旅行を発案したYa氏なのである。オヤジは今年の元旦に他界して、極楽浄土に登って行った。お葬式も一段落した時、Ya氏が

「先生の供養も兼ねて、今年の夏は薬師谷に釣りに行くかね」

と言い出した。つまり、釣ではなく追悼釣行なのである。今年はトクチンの高校受験の年であるが、このような理由であるなら防人の奥さんも異を唱えることは出来まい。ということで、8月1日午前零時、今回は胸を張って堂々とみちのく方面に向けてさきもりちゃんのステアリングを切ったのであった。

 首都高を走っていると、右手に六本木ヒルズが見えてきた。お金持ちのアパート?
 隅田川沿いに走っていると、今度はスカイツリーが現れた。

 早朝4時海老名に到着、Yaさんの奥様に朝食を頂き、5時に海老名を出発。首都高で皇居、六本木ヒルズ、墨田川、東京スカイツリー、うんこビル(アサヒビール本社ビル)を通り抜け、常磐道に入る。距離的には名古屋・海老名間、海老名・仙台間、仙台・薬師川間がそれぞれだいたい300㎞である。時間的には早朝が名古屋から海老名、午前中が海老名から仙台、午後が仙台からゴールまでという感じか。常磐道では東京、千葉、茨木、福島、そして宮城と抜けて行くのであるが、福島(常磐道は浜通りの海側を走る)に入ると、所々に放射線のモニタリング表示板があり、リアルタイムの放射線強度が記されていることには驚いた。我々が通った時は毎時0.7~1.8マイクロシーベルトの間で揺らいでいるようだった。一般の自然放射線が毎時0.04マイクロシーベルトであるから、明らかに高めである。また、隊列を組んだ除染土運搬トラックとすれ違ったり、周囲の景色も昔は田んぼで実り豊かな収穫を得ていたはずの所が、ことごとく耕作放棄され荒れ果てた状態になっていたりと福島第一の現実が今もなお立ちはだかる状況を目の当たりにして、震災の傷跡の深さを思い知ることになった。富岡、二葉、浪江、…と通り過ぎ、南相馬にやって来ると仙台はもうじきである。

 南相馬の馬追。これは平将門が馬を放して軍事訓練を行ったとの言い伝えが、現在では相馬野馬追というお祭りとなったらしい。
 南相馬鹿島SAまで来ると、仙台も近い。時間は9時で仙台での昼飯には少し早すぎる。しかし、防人には仙台で立ち寄るところがあるので全く大丈夫である。

 仙台では兼ねてから立ち寄ってみたいと思っていた、日本で恐らく唯一の新型ディフェンダーのカスタムショップである”Treey Land”がある。そこで、さきもりちゃんのプチイメチェンの相談をしようと思っていたのである。というのは、「DEFENDER」というフロントとリアのエンブレムのフジホワイト化なのである。M田さんによれば

「ブラック化する人はいるけど、ホワイト化は初めて聞きました」

とのこと。どうなるか不安であるがとにかくやってみたい防人なのである。ただ、エンブレムのフジホワイト化は、エンブレム下の「ランドローバー」のロゴマークが入ったシルバーの部分(下の写真の矢印部分)が問題である。この部分はエンブレムと近いので、併せてフジホワイト化したいところ。しかし、取り外して塗装できるのか、そのようなことをしたら大がかかりな作業となり費用対効果が期待できないのではと思ったりして躊躇する原因となっていた所だ。そのことをTreey LandのTu氏に相談したところ、

「ブラック化のためのカバーがあるので、それをフジホワイト化して装着すれば問題ありませんよ」

とのこと。更に、

「エンブレムをフジホワイト化するなら、ここも(下の写真の黄色矢印の所)フジホワイト化すべきでしょう」

と背中を押してもらえたので、すべて真っ白にしてもらう約束をして、その後はディフェンダー談義に花が咲いたが、Tu氏のディフェンダー愛が話の至る所に感じられた。その上、お店の雰囲気もオーナーの人柄が現れていて、ディフェンダー関連の色々な小物・大物が楽し気にレイアウトされていて、長居すると非常にアブナイ(お財布から福沢諭吉または渋沢栄一氏がどんどん飛び出していく!?)所だと思った。兎に角、今回は、8月中くらいにフジホワイト化したフロント・リアのエンブレムとカバーを送ってもらい、それを自分、またはランドローバー京都にて装着してもらうことになりそうだ。M田さんは

「装着は自分でやらずに、うちで(ランドローバー京都で)やってください」

と言っていたが、Treey LandのTu氏は飄々と

「場所さえしっかり記録に残しておけば、自分でも全然やれますよ」

と言っていた。さて、どうしたものか少し悩みそうである。

《追記》実はフロントとリアエンブレム、フロントグリルのフジホワイト化をしてプチイメチェンしようというこの時の淡い企みは、その後、フロント・リアバンパー、サイドステップのフジホワイト化という大事件に発展していくのである。その結果、さきもりちゃんからはシルバー部分がなくなり、フジホワイト、タスマンブルー、マッドブラックの三色統一状態へと進化していったのである。数万円で出来ると思っていたプチカスタムは、数十万円の本格的カスタムへと変貌していくのだった。そして、2024年暮れ、今度はルーフキャリアーのシルバー部分が気になりだし、妄想が広がり始めた防人が登場。我が煩悩は尽きることが無い。

 エンブレム(上の写真の黄色円で囲ったところ)をフジホワイト化するときにネックとなるのは、上の写真の黄色矢印の所である。「ここは取り外して塗装できるのかな?」と思っていた所、カバーがあり、それをホワイト化して装着することが出来るらしい。流石、Treey Landの提案力は素晴らしい。
 ここが日本で唯一の新型ディフェンダーのカスタムショップであるTreey Landである。
 店内には魅力的な小物がセンス良く展示されていて、お財布の紐が緩みまくるので要注意。
 このお店が名古屋の近郊にあったら…!奥さん曰く「Treey Landが仙台で良かった」とのこと。確かに近くにあったらしょっちゅう入り浸ってしまうかもしれない。
 Treey Landの近くにあるのが開拓屋という飯屋さんだ。ここは前もって予習してあって、仙台のTreeyLandに行ったら是非とも寄ろうと思っていたのだ。
 開拓屋の名物はハンバーグとコロッケのセットだ(Ya氏はこれを注文)。しかし、防人は奮発してハンバーグと夏野菜の天ぷらセットを注文した。ボリューミーで美味しかった。

 Treey Landに立ち寄ったことで、時間は11時となり、ランチタイムに丁度良い時間となった.かねてより調べてあった”開拓屋”というレストランに行ってみることにした。ここはTree Landから車で5分くらいの所である。ハンバーグが売りのところなのであるが、コロッケも有名らしい。しかし、今回防人は夏野菜の天ぷら付きハンバーグを注文してしまったのでコロッケは食べられなかった。しかし、これが野菜の天ぷらに加えて、エビの天ぷらもついていて、盛りだくさんで大盛りご飯一杯では足りないぐらいの美味しい組み合わせであった。

 エネルギーチャージされた我々は、今度は三陸道(無料)を陸前高田目指してひた走る。道路脇の高台には津波被害で新築された家々が立ち並び、海岸沿いはコンクリートの巨大な防潮堤が築かれ、震災被害の切実さを間接的に、しかし、しっかりと感じ取られるような状況だ。陸前高田に降り立ってみると、震災以前は家々が立ち並んでいたであろうところが、不自然な空き地となり、妙な寂しさと、復興に向けた地元住民の活力とが、大自然を前にした人間のもろさとしぶとさが、複雑に入り混じった不思議な空間となっていた。

 ここは陸前高田だ。店舗以外の民家は何もない。少し行くと、スーパーやガソリンスタンドなどの商業施設が立ち並び賑やかさがあるが、民家は皆高台にあり、この付近には一軒もなかった。

 陸前高田からは国道340号で遠野を経て、薬師川に入り込んでいくが、900㎞近く運転してきている防人であるが、この道中は運転がとても楽しかった。というのも、防人はいつもは中部山岳地帯の険しい山並みとその間を刻む深いV字谷の間を運転し、その景色が日常的なのである。これに対して、この岩手の景色は穏やかな山並みの中をのんびりと川が流れ、とても落ち着くのだ。この辺りの北上山地は隆起準平原という平坦な地形が隆起後、浸食されたもので、山容もそのため穏やかな形状となる。そのため、日頃からトゲトゲの山容を見ている中部住人にとって、東北岩手の景色はあまり見慣れない独特なものに映る。隣のYa氏は久しぶりに見る岩手の自然に

「久しぶりに戻ってきた感じだなあ。これが東北ならではの風景だよなあーッ」

と感慨もひとしおのようだった。

 薬師谷に沿った林道は、きれいに舗装されて走りやすくなった。早池峰山荘に到着すると、建物はまったくもって昔のまま。しかし、周囲はきれいにならされて、心地の良いキャンプ場(タイマグラキャンプ場という)に変貌していた。昔は、開けてはいたが、草が茂り、その中に牛が放牧されていて、小さい僕はそのうんちが至る所に点在しているのが嫌で嫌で仕方なかったのだが。今は、きれいに刈られて、平らになり、昨今のキャンプブームもあってか3~4張りのテントがあった。昔は、全く人に会わなかったところなので、これは驚異的なことである。山荘で手続きをして、バンガロー(キャンプ場よりやや上流部の対岸にある)にさきもりちゃんと共に乗り付けると、そこには3グループがすでに到着しており、子供たちが元気に走り回っていた。昔の秘境的雰囲気とのあまりの違いに、呆気にとられてしまった。荷物をおろすのもそこそこに薬師川に釣りに行ってみたが、上流部にはフライフィッシャーが一人入っていた。投げ方からしてあまりうまい感じがしなかったので、少し待って彼の後を釣り上がる。竿抜けを重点的に狙い、2~3匹のヤマメと対面し、そのうちの二匹には夕飯のおかずとなって頂くことにした。炊事場でさばいて塩を振り、Ya氏が起こした焚火のそばに置いて遠赤でゆっくり2~3時間かけて焼く。その間に、お米を研ぎ、おかずを作り、ビールで乾杯。至福の時である。ゆったり焼き上げたヤマメは表面はパリパリで、中はフカフカでとても美味しかった。夜半頃まで、これまでの山梨の家の片付け作業のドタバタ話、薬師谷の昔話などで盛り上がった。その後は、シュラフに潜り込んで夢の中へ。明日からのイワナ釣りのための英気を養わなくてはね!

 早池峰山荘は、昔来た時と全く変わらずに我々を出迎えてくれた。
 少し行ったところにあるバンガローは木が間引かれて明るい感じになっていた。
 「まずは、釣でしょう」と言うことになり、薬師川で毛バリを投げ入れると、2~3匹のアマゴが釣れた。昔この辺りはイワナの領域だったが、現在はヤマメ領域なのねエ!
 ピヨピヨ釣日記ではないけど、上記の写真のヤマメは黄色矢印に沿って毛バリをドリフトして、マル印のところでライズして(飛び出して)きた。
 7時ごろ川から戻り、これから米を研いで、夕飯づくりを始めるか。950㎞のドライビング、夕まずめのフライフィッシング、日が落ちてからのクッキング。まさに、鉄人競技だ。
 防人が夕飯づくり、Ya氏が焚火管理と役割分担し、食後ののんびりタイム。今日の出来事や、昔の薬師谷のことなど12時ごろまで語り合い、シュラフに潜り込んだ。爆睡だった。

コメント

  1. てんぷらさん より:

    フジホワイト化楽しみですね♪
    世の中ブラック化が流行ってますから、ホワイト化は次世代をいってて私もイチオシです。
    釣りランドの釣田と意気投合したみたいで何よりです。聖徳太子、伊藤博文が消えていきますね。
    私もチェルシーのフジホワイト塗装のタイヤカバー欲しいですが資金不足です…

    • さきもり さきもり より:

      本当に楽しみです。まあ、ブラック化が人気ですが、あえてホワイト化!我々のようにホワイトコントラストルーフ、ホワイトホィール、更に防人はサイドマウントをフジホワイト化してますからね。ただ「従来シルバーの所がホワイト化してどのくらい変化があるのよ?」と突っ込まれてしまうと反論できないかも。まあ、ホワイト化してみて、どの程度イメチェンになるかはやってみないとですな。この前、黄色のハスラー(ホワイトコントラストルーフ、ホワイトホィール採用)が、フロントエンブレムをホワイト化しているのを見て、これは可愛いと思ったので、それで踏み切ることにしました。まあ、大判・小判が飛んでいきます。お互い、働きましょう。

  2. てんぷらさん より:

    ✕釣田→○釣田氏
    敬称が抜けてしまいました。

  3. ayu より:

    NO36?

    • さきもり さきもり より:

      アッ、でしたでした。NO37にしないといけないのでした。流石、ayuさん!気が付きますなあ。

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