2024年10月23日でDefender90が納車されて2年が経った。この2年間の走行距離は4万814㎞!「年間走行距離1万5千キロと初年度の2万5千キロと比べてたいしたことないではないか!」と思われるかもしれないが、実はさきもりちゃんは長期入院(合計7カ月)していたのである。その間の代車による走行距離は1万5千キロなので、合計3万キロ走ったことになり、実は初年度より活発に走ってきたのである。それにしても、この一年間は初年度にもまして盛りだくさんな出来事が起こり、まさに激動のカーライフであった。三年目はどのような景色に出会えるのか?さきもりちゃんのエンスト故障は治ったのか?エンブレム、フロントグリルに引き続きバンパーのフジホワイト化は達成されるのか?…、色々な不安や期待と共に三年目に突入だ。

12月、中さんのレンジローバーSEが納車され、納車日にそれを運転するという幸運に緊張と共に多幸感に満ち溢れる防人。静粛性、走行時の安定性、林道での滑らかさ、…、「これがロイヤルワランティーの世界なのか!」と呆気にとられてしまった。本当にこれは凄い乗物だ。

1月 さきもりちゃん二回目の入院(一回目は二日間)で我が家にやってきた代車としてのディスカバリースポーツ君は、来て早々にオヤジの死去に伴い、大晦日からお正月の間に三度の名古屋・山梨往復の激務に従事することに。加速性能、カーブでの安定性、燃費ともに申し分なくよく走ってくれた。

2月 さきもりちゃんが退院して戻ってきた喜びに浸る暇もなく、山梨の実家の整理、売却に向けて名古屋・山梨の往復が頻繁に。さきもりちゃんを運転している以外の時間は、防人が最も苦手な事務作業である相続手続き、相続登記に伴う戸籍謄本の取得などの事務作業に忙殺される日々!

3月 娘の松本から上田への引っ越しで、荷物満載してさきもりちゃん大活躍!ガッ!しかし、この引っ越し作業中の防人ちゃん(まさに上の写真)のモニターパネルにはエンジン警告灯が点灯していたのである。そう、三度目のエンストがこの日の朝に発生したのだ。奥さんは激怒するし、職場の人々は喜ぶし、本当にピヨピヨライフのスタートとなった。

4月 代車としてやってきたのはディフェンダーHSEの高級車。メリディアン装着車でその音質に酔いしれたのだった。代車だからと言って遠慮することなく、実家の往復、登山、八ヶ岳の別荘とガンガン出かけて行ったなあ。

5月 渓流のお魚さんが活発になってきたので、代車ディフェンダー君と共に各地の渓流に足しげく通うことに!トクチンが相手してくれなくなった代償として、フライフィッシングで川に立つ頻度が増してきて、釣りキチ病の重症化傾向が表れ始めた防人だった。

6月 ブログで知り合ったてんぷらさん、てんぷらさんの奥さん、ayuさん、そして、息子のトクチンの合計5人で八ヶ岳の別荘にてオフ会を開催する。話が盛り上がり、とても一日では足りない状態だった。それにしても、三台のディフェンダー(防人は代車デフェィンダー君だが)が家の前に並ぶ姿は圧巻だったなあ。

7月 さきもりちゃん4カ月の長期入院から退院。ECUが入れ替わり、燃料系のすべてのパーツが最新式の物になった。しかし、これで治ったかどうかはわからない。これからは防人が人柱として("人柱"とはてんぷらさんのお言葉)、修理完了しているかどうかの実験台として1万キロのテスト走行を担うことに。更に、後部バンパー部分にけん引フックが装着され、ルーフバルコニーへの登下降が便利になった。

8月 オヤジの追悼を兼ねて、若き頃オヤジが心酔した東北閉伊川水系薬師谷に追悼釣行に出かけた。毎晩焚火を囲んで、オヤジの愛弟子であったYa氏から聞いた昔話は防人の知らないことばかりで、オヤジを偲ぶ旅として最高の思い出となったのである。

9月 釣り、実家の往復と大活躍のさきもりちゃんであった。パンクなどのちょっとしたトラブルはあったが、エンジンは順調に稼働し続けているようだ。また、てんぷらさんのおかげでスタットレスタイヤ(ホィール付き)を、なんと8万円で購入できて、冬への備えも万端となったのである。

10月 エンブレムのフジホワイト化とそれに伴うバンパーのフジホワイト化の妄想で頭の中は大忙しの防人である。名古屋の塗装業者を巡り、見積もりを取り、それらを競合させコストダウンを図るやり取りはワクワクである。業界の構図が垣間見れたりして、初経験の事ばかりだが、まあ、業界のプロからすれば鴨葱的顧客の典型の防人だから、いいように手のひらの上でもて遊ばれているのだろう。最近は計算も始めたし、釣りシーズンは終わってしまって物悲しいけど、登山もあるし、やることは沢山ありそうだ。
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