Defenderピヨピヨ日記(NO75 富有柿の産地本巣へ!とろけるハンバーグ福よし&西垣農園)

Defender購入後日記

 11月から12月の初め辺りになると必ず訪れる場所がある。それは富有柿の産地、岐阜県本巣市だ。数学を聞きかじった者にとっては、この地は”類体論”の創始者として世界的に有名な数学者である高木貞二博士の生まれ故郷でもある。また、本巣北部の低山たちには山城が点在し、それらを結ぶトレイルも整備され、気楽にハイキングを楽しむことができる。また、本巣市の西端を流れる根尾川は根尾断層、淡墨桜、それに沿う”落ちたら死ぬ酷道157号線”やその洗い越し群などで全国的?に有名ではないだろうか。このように多様な楽しみ方ができる本巣市だが、この11月~12月の期間は誰がなんと言おうが、やはり”柿”に尽きるだろう。この地域は柿畑の中に建物が点在するといった感じで、そこかしこにある大量の柿の木に大きな富有柿がぶら下がっているさまは圧巻であり、町のいたるところにある無人の販売所では、訳あり柿をとてもお値打ちに購入することができる。また、市内に二つある道の駅”富有柿の里いとぬき”と”織部の里もとす”ではこの時期富有柿一色になり(というと少し大げさで、農産物の販売もやってまっせぇー!)、それらを買い求めるお客さんでたいそうな賑わいを見せているのだ。

 名古屋、瀬戸、多治見、可児、美濃加茂、芥見を経て、長良川右岸道路を下流方向に走り、岐阜城(金華山!写真中央の山)の北側(金華山脇の長良川上流部)から岐阜市に入った。当日は雲一つない晴天で、風もなく、暖かな日だった。
 ハンバーグ道を究めるため、今日は"とろけるハンバーグ福よし(岐阜長良店)"という所に行ってみることに。開店時間11時の10分ほど前に到着したが、この時点では駐車場はさきもりちゃん以外誰もおらず、少し不安になったが、・・・。
 ハンバーグ(200gを注文)は表面をこんがり焼いて、あとはほぼレアー状態で登場。それを、鉄板上でお好みに焼いて食するわけだ。更にカニクリームコロッケをトッピングしてみた。
 自分で焼くのが面倒な場合は、お店の人に「良く焼いてください」と言えば、写真のように普通にしっかり焼けたハンバーグが登場する。ハンバーグに加えってエビフライ、カニクリームコロッケ、カキフライなどをトッピングできるようになっている
 お任せにするとこのような状態で提供され、それを固形燃料によって鉄板の上で焼いていくと・・・、
 こんな感じになりますね。この前行った"さわやか”よりふわふわ感あるが、基本的には同じ方向性のハンバーグだった。
 食べ終わって外に出てみると、駐車場は満杯だった。この"福よし”というお店は全国展開しているようで、名古屋にも店舗があるらしい。今度は名古屋の店舗にも行ってみるかな。
 昼飯後、さきもり号で西進し本巣の西垣農園にやってきました。写真右手の山の脇にそって根尾川の伏流水が流れ、この清冽な水が美味しい柿を育てる源泉となっているのだとか。
 この時期、柿も柿の葉っぱもどちらも橙色となり、本巣市は橙色に染まるのだ。このような景色が見られるのも、この時期ならではである。
 これが富有柿だ。西垣農園では柿を買うことに夢中になっていて、柿の写真を撮るのを忘れてしまったので、これは道の駅 織部の里にて撮影した写真である。
 国道157号線と樽見鉄道(織部駅)に挟まれる形で道の駅 織部の里がある。この時期の休日は大賑わいで、駐車場の空きスペースを見つけるのも大変だ。
 柿を求める人でとても賑わっていた。もちろん、地元の農産物やお菓子(大福や団子)なんかも売っていて、奥さんとご両親は血眼になって野菜を買い求めていた。

 『織部の里』の”織部”とは何なのよ?

 実はこの”織部”とは織田信長、豊臣秀吉、徳川家康という戦国時代の三英傑に仕えた武将の古田織部(本名は古田重然〈ふるたしげなり〉)のことらしい。時の権力者に仕えていることから、時代の流れを的確に読み取り、うまく取り入るところに長けた人物だったのだろう。しかし、それよりもなによりも、織部は、武将でありながらも豊臣政権下においては茶聖 千利休に入門し、「わび・さび」を基調としながらも、彼独自の「織部好み」という独特の世界観を発展させていった風流人だったのである。織部焼に見る不均衡、歪を積極的に取り入れたその世界観は「破調の美」として賞讃されたという。師匠の千利休が静的、対称的美(これは素粒子物理のWigner Phaseだな)を追い求めたのに対して、織部は動的、非対称の美(これはNambu・Goldstone Phaseかぁー)を追求したということらしい。関ケ原の戦いでは東軍に属し、家康から絶大な信任を得て大名茶人としての地位を築いたのだが、大坂夏の陣では豊臣方と内通したという疑いをかけられて切腹することに。師匠の千利休が秀吉から切腹を命じられたが、この織部も同様な最期を遂げることになるとはなんとも皮肉である。しかし、彼の創始した「織部流」という流派は彼の弟子たちにより相伝され、現在も存続している。そして、対称性が自発的に破れた織部焼はこの道の駅でも購入可能である。

 アッ!この古田織部という戦国武将がいたから、周囲の山には山城がいくつも築かれていたのかぁー!今更ながらに納得の防人であーる。

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