Defenderピヨピヨ日記(NO66 山梨県立図書館へ”小さな魚”献本)

Defender購入後日記

 朝4時30分に名古屋出発!153号線を北上し、途中平谷の道の駅で懸垂、その後、飯田から中央道に入り、諏訪パーキングを経て諏訪南で降りて、国道20号線(甲州街道)を白州へ。この日は橋場文庫の原さんと山梨県立図書館へ『小さな魚』を献本に行ったのである。

 甲府にて更に二人の女性と合流した。一人目は〇川さんという長年県立図書館で司書幹として活躍してこられた方で、96歳の現在でも子供たちへの本の活動で日々立ち働かれている恐るべき方でもある。二人目は防人が小学校に入学した時、隣のクラスの担任の先生だった◇木さん(先生)である。〇川さんと原さんはとても親しい関係。〇川さんと◇木先生は本の活動を通してとても仲が良い関係、〇川さん、◇木先生と防人家は家族ぐるみの長い付き合いであり、特に◇木さんのご主人と防人のオヤジ殿は友人同士であった。そのため『小さな魚』の作者であるエリック.C.ホガードさんが来日した時は大変お世話になっている。兎に角、◇木さんは88歳であり、お二方合わせて96+88=184歳になってしまうという(この足算意味あるのかなあ?)のに元気で一人暮らしを謳歌されているハイパーな長老たちなのである。

 153号線を通るときは必ず立ち寄る"信州平谷の道の駅”である。ここには懸垂マシーン(写真看板奥)がるので、一日ドライブの気合入魂のために丁度良い。到着したらまず懸垂やって、トイレとか一通り済ませたら再びやって大胸筋や上腕二頭筋を追い込んでいくのだ。
 通勤ラッシュ時間帯になるため飯田から諏訪南までは中央道を使うことが多い。その場合、諏訪パーキングには必ず立ち寄る。眺めがよいし、ここにあるパン屋さんで昼飯パンを買うためでもある。実家整理作業に集中すると、昼飯を食べに出る時間がもったいないのでここで購入したパンを食べることが多くなった。
 午前9時に白州の橋場文庫に到着する。原さんと少しお話をして、いよいよ出発ですか。目指すは、甲府駅北口にある山梨県立図書館である。そこに"小さな魚”を献本しに行くのである。ここには以前、実家の児童文学の本を10箱ほど引き取ってもらったこともあり、大変お世話になった図書館だ(注意:一般に図書館は本の引き取りは行っていないよ)。
 橋場文庫から甲府へはマツダのデミオ(直列4気筒DOHC16バルブディーゼルターボ、最高出力105ps/4000rpm、トルク255Nm/1500~2500rpm)で向かうことになっていた。1500回転くらいで最大トルクを発生するので、街中でも極めて運転しやすく、巡行状態でのエンジンの静粛性も素晴らしい。白州・甲府の往復で燃費はリッター19.6㎞だった。

 さきもりちゃんは乗り降りが大変なので、橋場文庫でマツダのデミオに乗り換えて甲府に向かった。県立図書館は○川さんの紹介であったため、現役の司書幹の方と副館長さんの出迎えで特別室に案内されて防人たいそう恐縮する。挨拶して「小さな魚」の紹介をした後、みんなで談笑したのだが、副館長と原さんは仕事上密接に関係していることが発覚し、とても盛り上がっていた。世間は狭い。その後、〇川さんの推薦のお店にランチに行くが、そこは何と依然G会長に連れて行ってもらった”アジール”というお店だった。ウーム、世間は狭い。アジールでは〇川さん、◇木先生、原さんと防人の四人で昔話に花が咲いたのだが、その席で、防人は小学校時代の図画工作の先生であったH部先生の話を◇木先生に振ってみた。これは、この前の別荘整理の時、ざいや山本のS村さんが「うちに手伝いに来てくれているH部さんという人が、オタクのことを知っているってよ。オタクの所の荷物を整理していた時、防人という名前が書かれた紙だったか、賞状だったかが出てきて、それを見た彼が”この子(もうオジサンだが)僕の教え子だ”と言っていたんだけどね!」と話しかけてきたのだった。久しぶりに聞く”H部”という響きに、しばし防人の頭はてんやわんや状態だったが、だんだん記憶が蘇り、背格好や当時の思い出も含めて鮮明に思い出したのだ。同じ小学校の先生であった◇木先生は当然覚えているはずで、この話を出せば防人との間で昔話が盛り上がること間違いないと思ったのだ。そうしたら、隣から原さんが「H部骨董でしょッ!私よく知ってるわ」とのことで、実は原さんはH部さんやその奥さんとも親しいらしい。やっぱり、世間は狭い(というより、原さんが広い?)。アジールでの楽しいひと時も終わり、◇木先生を送りに行ったとき、彼女のマンションの一階に不動産屋さんがあり、そこは◇木先生が不動産の売却やらなんやらでたいそうお世話になっている所らしいのだが、そこの奥様が登場してしばし話し込むことになった。そうしてみたところ、実はその奥様は防人のおふくろの教え子さんで、原さんの先輩であることが判明!やっぱり世間は狭い。その後、奥様が◇木先生に「さっき、H原さんが来てね…」という会話をしていて、この”H平”という懐かしい響きにもしやと思って、「H平さんというのは、元記者さんで、京大を出た秀才の方でないですか。僕は囲碁で知り合って、スキーとかもよく行った人だと思うんですがね。”防人、シワイことしてちょ(調子づいているなよ)”と説教されたりする仲でしたよ!」というとまさにその通りだとか。ウームッ…、今回は色々な人が登場してそれらの人々が複雑に関係していることがわかり混乱状態だが、兎に角、世間は狭すぎるという結論に落ち着きそうだ。

 〇川さんご推薦の"アジール”であるが、ここは偶然にも以前G会長に連れてきてもらったところでもある。
 防人は甲州牛のトマト煮込み、原さんはカレー、〇川さんと◇木さんはデミグラスハンバーグである。

 最近は名古屋・山梨間はちょっとしたドライブ気分の場所となり、去年は一日で名古屋・東北宮古を走り抜けたり、一昨年は下道で名古屋・八ヶ岳・天橋立・島根・山口・大宰府をウロウロしたり、と日本全体が狭い感じがしてきていたが、今回は人間の営みの世界も狭いと思ったのだった。帰路は、白州から盆地の西側の県道をウロウロしながら興津、静岡を経てオール下道で名古屋に戻った。夕方5時に橋場文庫を出て、名古屋到着は夜中の1時半だった。狭い日本そんなに急いでどこへ行く。のんびり行きましょう。

 県道12号線からそれて、更に山側の道をドライブしていた時に見つけた甲府盆地を見下ろすように聳え立つ大きな木(ケヤキ?)。少し休憩して盆地を見渡すことに。
 西側の高台から盆地東方面を眺める。中央やや左が笹子峠や御坂峠方面だ。所々に雨のカーテンが降りている。大気の状態が不安定そうだ。
 県道12号線に再び戻り、しばらく行くと御勅使川(みだいがわ)を横切ることに。この御勅使川の扇状地は日本有数(日本一?)だということを小学校で習ったような気がするが…。
 盆地の西側の県道12号線をひたすら走り、最後はいつもの国道52号線に出た。並走する富士川は盆地南端で笛吹川と釜無川が合流したもので、富士山西側を南流し、最後は富士宮で駿河湾に注ぎ込む。途中の身延という所にある日蓮宗の総本山久遠寺は有名。
 国道52号線を身延に向けて走っていると、右手に現れる建物がこれだ。いつも気になっていて、今日はたまりかねて立ち寄ってみた。『あまんどう』とあるが、これは中さん調べによると、甲州弁で「小さな柿」という意味なのだとか。知らんかったぁー!
 ムムムッ!ここは何屋さんなのだろうか?入っても大丈夫なのだろうか?恐らく飯屋さんなのだろうけどね!ドキドキドキッ…。
 中に入るとそこは昭和そのもの。使い込まれた椅子、大きな振り子時計、薪ストーブ、公衆電話、…などに囲まれているので、昭和生まれの防人はとても落ち着いた気分になれる。
 この振り子時計は、東京の理髪店が廃業するにあたって譲り受けたものらしい。動いていなかったらしいのだが、近所の時計屋さんで修理してもらい、再び時を刻むようになったのだとか。「昔の物は直しやすいらしいです。最近の物は電子制御だから無理らしいけど…」とマスターが説明してくれた。なんだか、ディフェンダーの話を聞いているような気分になった防人である。
 『あまんどう』は創業50年以上らしい。注文したのはポークソテー(950円)だったけど、とても美味しかった。世の中にはこのような隠れた名店がまだまだ沢山あるのかもね。死ぬまでに後何店舗ぐらい訪れることができるのだろうか?

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