Defenderピヨピヨ日記(NO44 4年間に及ぶ実家の整理いよいよ最終段階!?)

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 姉が他界した4年前から実家(山梨)の整理を始め、その後、オヤジの集めた膨大な本の整理に移ったのだった。少ない時で月一回、多い時で月3回ほど名古屋・山梨の往復をしながらひたすら実家の整理を続けてきたわけだ。そして、今年の元旦(2024.1.1)にオヤジが他界し、実家の整理をより加速させ、いよいよ終焉が見えてきたように思う。この4年間、Ya氏夫婦を始め、多くの人に手伝ってもらい(毎回4人~10人の人々が手弁当で手伝いに来てくれたのだった)、やっとゴールが見えてきたわけだ。姉とオヤジは恐らく数億円のお金をつぎ込んで大量の物を買い集め、防人はその後始末をする羽目になり、しかも、それらの最終売却金額は200万円にも満たず、ほぼほぼただ働き状態で駆け抜けてきた4年間だったのである。

 諏訪パーキングの朝焼け。ここのパンをよく買うのだけど、今日は朝早すぎてパン屋さんはまだやっていない。
 諏訪パーキングで八ヶ岳方面を眺めると、まさにご来光直前といった感じだ。さーて、今日も立ち働くぞ。
 諏訪南で降りて、八ヶ岳ズームラインに向けてひたすら高度を稼ぐ。日の出まじかの八ヶ岳が美しかったので思わずパチリ。
 後方を見ると、南アルプスの甲斐駒ヶ岳が聳え立っていた(写真中央のとんがった山)。これから、別荘の荷物をさきもりちゃんに積み込み山梨の実家を目指すのだ。
 2023年6月の実家の様子。本が床を埋め尽くしている。これらの本をなるべく捨てることなく、多くの人の手に渡し、読み継がれてもらいたい一心で作業を進めたのだった。
 同様な時期の様子だが、床だけでなく壁も本が埋め尽くしている。階段を上がった部屋もすごいことになっていた。蔵書量はその辺の本屋さんをはるかに凌ぐものであった。
 毎回多くの人々が駆けつけてくれて、本の整理、譲渡手続きを進めてくれた。オヤジの金銭的遺産はほぼなかったけど、人間関係はとても実り豊かなものであった。おかげで防人の人間関係が格段に広がったのだ。
 2024.10.2での様子。上の写真と比較してほしい。床と壁を埋め尽くしていた本がなくなっているぞ!本を図書館やブックオフに引き取ってもらえるかどうかは、書き込みなし、ハンコがついていない、ISBNマークがある、ということがポイントだ。ハンコがついてあったり、ISBNが無い本はまず無理だね。後、ISBNがあっても保存状態が悪い本ももちろん駄目。ブリタニカなどの全集ももちろん引き取っては貰えない。昭和ではみんな給料の何倍もの価格の全集をローンを組んでこぞって買ったものだが、令和の現在、全集はお金を払って引き取ってもらう時代となった。全集は全く売れず、場所を取るだけなので、古本屋さんも引き取ってはくれない。
 床・壁いっぱいに本があったのだが、御覧のとおり全くない状態。信じられない状態だ。
 階段下の廊下にも本がなくなってる。因みに左の和室にはまだ本がたくさんある。これは次回、譲渡・処分の予定だ。
 作業後は"かつ玄"にて至福の夕飯タイム。重労働の後のとんかつは染み入りますなあ。
 毎回このひと時を楽しみに作業していると言っても過言ではない。

 本達の譲渡手続きはいたると所に声をかけ、宅急便で送ったり、家まで取りに来てもらったりと2年間頑張って来てたつもりだ。そして、いよいよやるだけのことはやったと言うことになり、残った本は処分する段階となった。この日は、処分本を荷造りテープで縛り、二階・三階から下の駐車場に降ろし、車に積んで処分場まで持って行く作業が待ち受けていた。防人は登山で鍛えた体力を武器に、主に本の降ろしを担当したが、残った本とはいえ膨大なもので、両手に本の束を抱えて、100回以上の階段の往復をすることになった。汗がしたたり落ち、同じ景色の繰り返しなので意識が朦朧としたときもあった。登山では景色が次から次へと変化し、鳥のさえずり、川のせせらぎを聞きながら歩くわけで、更に頂上から絶景を目の当たりにできたりするのである。それに対して、本の運搬は毎回同じ景色を眺めながら、ひたすら繰り返される筋トレ的動きのいつ果てるともない繰り返しである。感情の起伏もなく、機械のように体を動かし続けることになる。ただ、唯一、筋肉中に蓄えられる乳酸による筋肉痛が、明日への筋肥大というわずかな望みを防人に与えてくれていた。降ろした本達を、さきもりちゃんに積み込み(こんなに積んで、ディフェンダー大丈夫かなあと思ってしまったが、やっぱりタフな車だねえ)、処分場所に運び、再び戻って来ては運び、…を繰り返した。その結果が、上記の写真群のように、実家の床・壁がその姿を数十年ぶりに我々の前に露にしたのである。

 作業後はみんなで”かつ玄”というとんかつ屋さんに行って、打ち上げをして解散となった。往路は朝3時に名古屋を出発。諏訪南までは高速、そこからは八ヶ岳の別荘に立ち寄って、ズームライン、八ヶ岳高原道路、川上村、信州峠、明野村を経て甲府に到着した。復路は52号線を南下し、興津、静岡、からなるべく下道で帰るつもりでいた。52号線を気持ちよく運転して、身延町を過ぎたあたりだっただろうか。カーブに突入する前の直線路で、あろうことか、ふいに意識が飛んだのである。次に意識が戻ったのはカードレールの白色の部分が目前に迫ってきている時だった。慌ててステアリング切ったが余裕で対向車線に飛び出しながら、しかし、ガードレールへの激突は回避でき、そのスレスレをさきもりちゃんはすり抜けていったのである(流石、ディフェンダー90のカーブでの安定性は素晴らしい!なんて、感動している場合ではないッ!)。もし、目が覚めるのが少し遅れたら、ガードレールを突き破っていただろうし、今回のようにうまく旋回できたとしても、対向車がいたならアウトだった。いつもは眠くなる前触れがわかるのだが、今回は、全く前触れもなく、突然に睡魔がやってきたわけで、とても危なかった。その後、二回ほど睡眠休憩を取り、静岡からは東名高速に大人しく入り、・・・、そんなこんなで、名古屋に着いたのは出発以降24時間目の夜中の3時だった。

 皆さん、ドライブはしっかりと休憩を取りながら、無理のない運転(これが防人には苦手なのよねえーッ)を心掛けましょう。

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