憧れのディフェンダーが納車され、ディフェンダーな生活(防御一辺倒な生活、守りに入った人生?)も落ち着いてきたので、購入までのドタバタをピヨピヨ日記として記録に残しておこうと思って書いててみたら随分と長々と書いてしまった。アルバムを開いて昔を懐かしむかの如く、何年か後に読み返したとき、ああ、こんなに車を買うことに全力を注いだ時もあったんだなあと懐かしむこともできると思ったのだ。その日記も書き終わり、後は、好きな山歩き、山城巡り、釣り、そして数学(ラグランジアンの任意性とその周辺の数理)のことを気ままに書いていこうと思ったのだが…。
ピヨピヨ日記を書き続けなくてはいけない案件が生じてしまったのだ。日記に度々登場したあの中さんである。彼がレンジローバースポーツから格上のレンジローバーSEに契約を更新(要は買い換えるのだ)、更には納車までのおよそ一年間、Defender110ライフを楽しむという仰天する状況を我が眼前に展開し始めたのである。つまり、一年ではあるが防人と中さんはDefender brothers を結成することになったのである。このユニットの活動の記録を残すことが社会的な責務である感じ、また、中さんの次元を超えたレンジローバーSE納車までの道は僕にとっては想像を絶することの連続となるので間違いなくピヨピヨになるはずなので、まさにピヨピヨ日記で良いではないのか。というわけで、購入後の日記スタートである。

背景の木々が青々としている。この写真は一カ月点検の時のものではない。半年点検のときのものだ。
僕は名古屋在住で、京都でディフェンダーを買ったのだから、納車日当日だけで、180㎞以上の慣らし運転、一週間後、福知山城経由の500㎞くらいの慣らし運転、2週間目には山梨へ650㎞くらいの慣らし運転、…と休みとなればさきもりちゃん(ディフェンダー90)を慣らし運転に連れ出し、一カ月点検(厳密には一カ月半)時点で3700㎞乗ったことになり、慣らし期間終了となった。この慣らし期間はエンジンの回転数は2000回転を越えないようにひたすら抑え気味に運転し(もちろん、オフロードなどは走行せず)、5000㎞の時、オイルとエレメントを交換(これは給油口のロック機能回復作業の時、レイブリックでやってもらった)した。
一カ月点検で僕とトクチンがランドローバー京都に到着すると、いつものようにDさんが現れて、聞くところによると彼もディフェンダーが納車されたとのこと。彼のスマホの写真を見させてもらうと、白馬シルバーのアーバンなかっこいいディフェンダーが写し出されていて、僕のレトロ風のかわいい(これは僕が勝手そう思い込んでいるだけだが)ディフェンダーとは対照的な路線だ。流石、毎日ランドローバーの車を見ているだけあって、まとめ上げ方にセンスが光る。話が長くなりそうな二人を見て、中からM田さんがやってきて、
「防人さん、どうぞ中へ」
と案内されて通り沿いの窓側のテーブルに行くと、そこに営業所長さんがいて、今日は彼が僕に話しかけてきて、M田さんは脇で黙ってみているだけ。
「車の調子はどうですか。気になるところはございませんか?」
「いいですね。タッチパネルが時たま言うこと聞かなくなる以外は全く快調です」
「もう、3700㎞もお乗りになられたんですね?」
「いやー、運転していると楽しくて楽しくて、ついつい。一日に700㎞くらまでなら疲れ知らずです」
「すごいですね」
「運転距離が長いほどウキウキするんですよ。さきもりちゃんとの時間がたっぷりあるということですからね」
こんな感じのやり取りが10分ほど続き、
「いやー、やっぱり面白い方ですね。後は、M田が対応しますのでごゆっくり」
とその場を立ち去る営業所長殿。「やっぱり面白い方」???。その後、M田さんとはマッドフラップが傷ついてしまったことなどで盛り上がっているつもりになっていると、M田さんはソワソワし出して、「今日は中さんは?」と聞いてくるので、連絡すれば迎えに来てもらえますと答えると安心した模様。早速連絡し中さんタクシーに来てもらうことに。まあ、考えてみると契約金の時以外はいつも中さんが保護者のようについていたからなあ。
僕にはあまり自覚がないのだが、どうも僕は珍人のようなのだ。僕としては普通と思っているのだが、職場なんかでも「防人さんは変わっているから仕方ない」で許されることが多々ある。人の顔が区別できない、方程式とかはすぐに頭に入るのに事務的なことは一切覚えられない、集中し始めると周りのことに注意が全くいかない、…などなど。事務方のトップのわが社の女帝殿に言わすと「防人さんは発達障害まで行っていないですけど、その一歩手前の発達凸凹なんですよ。だから、物理の方程式をいじっていてくれればそれでいいんです。ですから、経営のことは我々に任せて…」といつも言われているのだ。この女帝殿は入社以来、僕の良き理解者でもあり、保護者的な役割を演じてくれてもいる恩人だ。中さんからランドローバー京都を紹介されたとき、ここではなるべく普通に振舞おうと努めてきたのだが、この一年、ディフェンダーに夢中になるにつれて本質が露になってしまったか。契約金を現金で比叡山登山して持ってきたり、自動車運搬船を毎日追跡したり、論文のようなメールを送ったり(これは何十時間も考えている内容のほんの一部をメールにしているので長いという認識はないのだが)、…ということが重なり、ランドローバー京都創業以来の珍客というとになってしまったのかもしれない。僕とトクチン(息子であり、彼も僕の血を引いて珍人だ)の二人の珍客をM田氏一人で対応するのは大変なのだろう、中さんという保護者がいなくてはね。この中さんとは小学校一年から家同士の付き合いがあったので、我が家の母、父、姉についてよく知っているので、「防人家の中では、防人は一番普通だよね」と言ってくれているが、その母、姉も他界し現在は一番の変わり者の父が残るのみ。今度、父と僕とでランドローバー京都に行ってみようかなあ。世の中には上には上がいることがわかるのではないだろうか。
中さんタクシー(レンジローバースポーツ)が登場し、ランドローバー京都内に安らいだ雰囲気が漂う。営業のD氏と夢中になってディフェンダー談義をしていると、M田さんが「中さんが来られましたよ」と声をかけてくれたので、「僕のさきもりちゃんをよろしくお願いします」とあいさつして、中さん夫婦と昼飯に!今日は寺町ハンバーグというところでランチなのである。僕はハンバーグを作るのも食べるのも好きなのだが、特に、究極のハンバーグを構築することが人生の目標でもある。そのためには色々なハンバーグを食して技を盗まなくてはいけない。折角、京都に定期的に来るのであれば、京都のハンバーグ店を行きつくそうと思い(ここがまた普通と違う所かもしれないが)、まず手始めにここにしたわけだ。ここのハンバーグは肉の味が凝縮された肉肉しさが前面に出た感じのハンバーグながらご飯にもよく合うのである。また、ご飯も我が家と同じ釜炊きご飯でおいしい。最近僕の作るハンバーグはご飯との調和がいまいちな感じになりつつあるので、目が覚まされたような気持になった。いい勉強になったランチであった。

左上はチーズハンバーグ。お嫁ちゃんがオーダーした。目玉焼きの存在が悩ましい。ご飯が何杯あっても足りないぞ。

僕は研究のために、ハンバーグ二つ入りにした。単に、腹が減っていただけだけどね。美味しかったなあ。
昼飯後は「是非もなし」の本能寺、寺町商店街で京漬物の購入、池田屋に御用改め(現在の池田屋は居酒屋「池田屋」になっている)の立ち入り検査、と盛りだくさんでお腹が減ったので、中さんの案内でフォーチュンガーデン京都でCafeタイム。竹林の中庭が美しく、京都の繁華街の真っ只中なのに、それを感じさせない落ち着いた雰囲気が店全体に漂っている。1927年に立てられた建物はレトロな感じで竹林の中庭にマッチしている。僕の日常にはない非日常がここにはあり、勝手が違うので普通ならドギマギしてしまうのだが、心を落ち着かせてくれる雰囲気がこの店にはあるから不思議だ。

本能寺の変の後、この場所(現在の本能寺)に移植されたと言われているイチョウの木。

フォーチュンガーデン京都のパンケーキ。とても美味しかったぞ。

フォーチュンガーデン京都の中庭には見事な竹林が。光の加減で色々な表情を見せる。
極めて濃厚な時間を過ごし、夕方、ディーラに行くとサービスの方が「問題なく、極めて順調でしたよ」とのこと。M田さんには
「次回は半年点検で!それではまた‼」
と挨拶して、ランドローバー京都での保護者役の中さんとも別れて名古屋に向けてドライブ開始。この時点で、半年後の中さんの急展開を誰が予想しただろうか。いや、だれも予想できる人などいなかっただろう。
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