僕は何故山に登るのか?「そこに山があるから」なんてカッコつけたセリフを言いたいところだが、なんか違う気がする。フライフィッシングと登山は同じレベルで語れるのだろうか?僕の中で、これらは同じ趣味でも全然別次元に属しているのである。フライフィッシングは一匹の魚と対峙し、それを釣り上げるゲームである。腕が上がれば上がるほど、人間を不利な位置に置き魚君を優位にしてあげてゲームを楽しむことになる。つまり、魚との距離をなるべくとり、キャスティング技術で毛バリを魚の上流側に落とす。フライライン(釣り糸)が流れにもみくちゃにされると、毛バリが不自然な動きをするので、当然魚さんは見向きもしない。だから、毛バリが自然に流れるようにする(これをナチュラルドリフトという)ために着水したフライラインをうまく処理(メンディングという)して、毛バリを魚の鼻先に自然な感じに流し込まないといけないのだ。距離をとればとるほど、フライラインは流れに複雑に翻弄されることになり、高いメンディングの能力が要求される。また、使う毛バリも、その時魚が捕食している虫と同じ種類、大きさをうまくマッチさせてあげることが良いとされているので、水温や川面を流れる水生昆虫を調べ、それらを分析して毛バリを選ぶことになる。このように極めて頭を使い、体も使って総合的に楽しむことになるのだが、これはクライミングやゴルフなども同じかもしれなし、ある意味、頭を使う仕事と同じ部類かもしれない。数学の問題を解いたり物理の方程式を解くことと、フライフィッシングで一匹の魚を釣り上げることは同レベルのことなのだ。また、魚が釣れたら嬉しいし、一匹も釣れなかった(これをボウズという)ときの落胆は、スポーツの試合で勝った負けた、仕事で契約が取れた取れなかったと同レベル、またはそれ以上の強烈な思いにさらされる。だから釣り人は魚を釣るための方法を日々考える。数学者が数学の難問を考えるのと同じように、四六時中釣り人は魚のことを考え続ける。沢登りの人々がハーネス、ザイル、ヘルメットの重装備で分け入る谷に、釣り人は釣り竿片手に入り込んでくる。そして、釣道具を買うために働き、お金をため、中には家庭が崩壊してしまう人もいるくらいだ。
一方、登山はどうだろうか!ここでは、道なき道を行く沢登、クライミング、藪山登山ではなく、登山道がある程度整備された山を登ることに限定して考えてみると、僕の中では全く異なった立ち位置であることに気が付いた。まず、このような登山の時、後先のことは全く考えていない。瞬間瞬間のこと、足元の登山道の状況、川のせせらぎ、鳥のさえずり、周囲の景色に意識があるだけであり、それも深く分析せず、そのまま受け入れて右から左にただ通り過ぎていくだけ。足を前後に動かし、ハアハアという呼吸音を感じ、汗がしたたり落ちるだけだ。この瞬間瞬間のつながりの果てに、一日の行程が終了していく。そこには勝った負けたとか、釣れた釣れなかったというものはない。もちろん、道に迷いそうななった時、天候が急変した時、野生動物に遭遇した時など頭を使って状況判断しなくてはいけない時はもちろんあるが、その要所要所以外では、ほとんど瞬間を感じているだけで事が進んでいく。スターウォーズでマスターヨーダが「執着を捨て、瞬間を感じるのだ」と弟子たちに語るシーンがあるが、まさにそんな感じなのだ。日頃は執着に満ち溢れ、自慢節をさく裂しまくる我が身であるがゆえに、このような登山についつい出かけてしまうのかもしれない。まあ、時に(いつも?でないことを願いたいね)、「何時間で登れた(これは割といつも意識してしまう)」とか「今日の登山では45人抜きした」とか下品なことに夢中になってしまうこともあるが、そのような時でも、登山行程のほとんどの時間は瞬間瞬間なのであり、後先のことなどは考えていないのである。このことが、山に登るという行為を僕に行わせる原因なのかもしれない。つまり、僕は瞬間を感じるために山に登るのである(俺ってカッコいいぜ)。
今回は、上記のようなことをつらつらと考えながら、岐阜県の揖斐川支流粕川源流部の貝月山に登ってきた。この山の標高は1234mで、とても印象に残る標高だ。山頂へはいくつかのルートがあるが、その中で一番マイナーな長者の里から粕川源流の牧野尾谷に沿って登るルートを選んだ。踏み跡は明瞭なところもあるが、落ち葉で埋もれてトレイルが読み取れないところも多々ある。しかし、木にテープやリボンがしっかり取り付けてあるので、それを頼りにすれば道を外すことはまずない(道は谷に沿ってあるわけだから、多少外れてもすぐに元に戻れるしね)。ただ、このルートは牧野尾谷を何度も徒渉(17回くらい)するので、沢に慣れていない人には少し大変!?なのかも。僕は沢登や釣りで慣れているので何とも思わないのだが、一般的には登山初心者のみでこのルートを使わない方が良いかもしれない。今回は秋であり、水量も少なく全く問題なかったが、雨の後、梅雨の時期、雪代水が入るときなどの水量が多くなると途端に徒渉が困難になる。このような時は、高巻きなどを強いられる場合があり、これは高度な技術なので、初心者には無理である。このルートを選ぶ場合は、必ず、経験者と共に行くようにした方が良いだろう。

広い駐車場にさきもりちゃんが一台のみ!

長者の里は水曜日が定休日のようだ。

歩き出してすぐに緊急事態宣言かと思ったら、ちゃんと公衆トイレありました。

キャンプサイトも木々の中にあって、気持ちよさそう。

長者孫兵衛の美しい娘を山の大猿がよこせと言ってきた。さもないと、村に危害を加えると脅してきた。優しい娘は村のために大猿の所に嫁ぐことに。その時、娘は孫兵衛にかんざしと水がめを用意するように頼んだのだ。

迎えに来た大猿に水がめを背負わせて山に向かう途中、少将渕に差し掛かった時、わざとかんざしを淵に落とした。それを猿が拾うために淵に飛び込むと、水がめに水が入り、猿はおぼれ死んでしまったとさ。なんか、猿がかわいそうだ。この写真が少将渕だ。

粕川(かすがわ)源流の牧野尾谷には炭焼窯が数多くあったらしく、村人たちの仕事場でもあった。そのため、この谷に関するたくさんの伝承が生まれたようだ。上の少将渕の話もその一つらしい。
このルートは沢を何度もわたるのであるが、以下では、その徒渉場所をすべて写真で紹介してみよう。ただ、これは水量が少ない時のものであり、増水した時は全く別の表情を見せるわけだし、谷は大水が出ると表情が激変するので注意が必要だ。これはあくまで2023年11月の状態である。

1回目の徒渉!

2回目の徒渉。

3回目の徒渉。

4回目の徒渉。

5回目の徒渉。

6回目の徒渉。

7回目の徒渉。

8回目の徒。

9回目の徒渉。

10回目の徒渉。

11回目の徒渉。

12回目の徒渉。

13回目の徒渉。これを徒渉と言ってよいのか!

14回目の徒渉。

15回目の徒渉。

16回目の徒渉。

17回目の徒渉。
貝月山は花崗岩質の山であり、谷も花崗岩で埋め尽くされ、それが苔むして独特な雰囲気を醸し出している。花崗岩の川は水生昆虫も少なく、イワナにっては過酷な状況だが、ヒル君が少ないということでもある。

苔むした花崗岩。今までここを歩いてきた人々により削られて階段状になっている。

苔むした谷をひたすら登る。苔の緑と紅葉の色が映える。

対岸の巨岩が苔に覆われていて、こちらとの間には谷水が流れ、ここにいるだけで清々しい。

苔むした岩のゴーロ帯が現れ、谷はいよいよ傾斜を増し、稜線に向けて突き上げていく。

苔むした岩の上にしっかりと根を張るブナの木に見守られて、ひたすら登る。

イワナがいましたぞ。

苔の緑、紅葉、沢の音、光の谷。

ここにもイワナが。釣りたぁーイッ!

層状に重なった岩と紅葉。

ここには数匹のちびイワナ君がいましたぞ。

キノコもいっぱいあったが、食べられるのか?

谷のほぼ源頭から尾根に取り付き、ひたすら稜線に向けて登りに登る。紅葉がキレイ。

紅葉を眺めながら急傾斜の尾根を登る。そろそろ稜線は近い。

苔の緑、赤、黄色、色々な色が入り乱れる。

あと一息だ!

揖斐高原スキー場からのヒフミ新道と合流する。このルートはとてもよく歩かれているようだ。それに比べて!

長者の里へのルートは、この”春日村”というプレートがないと見落としてしまいそう。初心者的ではないルートだ。

長者の里へは、ヒフミ新道からこんな感じで右折する必要あり(長者の里から登ってきた場合は、ヒフミ新道と合流したら左折)。

ヒフミ新道を登り出してすぐに、小貝月のピーくが現れる。一応寄り道をする。

ブッシュに覆われ、景色を見渡しにくい。

今日はシカさんしか歩いていないようだ。

目指す貝月山の頂上が見えた。

振り返ると、小貝月と名前のないピークが!

貝月山1234m到着!

青矢印は伊吹山、黄色は国見岳

名古屋方面(東南東方向)を眺めるが、山ばかり。

北方面を眺める。あれは(黄色矢印)は蕎麦粒山かな。その奥には能郷白山があるはずだが!

更に北北西を見ると、金糞岳(黄色矢印)かな。

更に西方向にはブンゲン(黄矢印)が見えて、そして一周して国見岳(青矢印)に戻ってきた。

昼飯の準備を始めよう。今日は、家でチャーハンの基盤を作ってきた。中華鍋でご飯を炒めながら、醤油を4回ほど回し入れて来来亭風にしてみた。かなり塩分多く不健康な内容だが、登山で激しく体動かすからいいかな。

ネギ、圧切り煮豚、チャーハンの基盤を合わせ入れて、塩コショウで味を調える。一晩冷凍庫で寝かせたことが効いたのか、濃厚な味わいで美味しかった。まあ、登山でお腹もすいたから当たり前かもね。

来来亭風チャーハン、煮豚(チャーハンにも入れた)をフライパンで炒めたもの、エビチリと今日は中華風。チャーハンはとても美味しかった。

下りは1時間10分ほどでさきもりちゃんの所に到着(これは自慢節)。車は相変わらずさきもりちゃんだけ。山頂でも誰にも会わず、結局、今日、貝月山に登ったのは僕だけだったかも。

ピクニックテーブルを出して、コーヒータイムを楽しむことに。職場で女帝殿に貰った中央の黒い箱のチョコレート菓子がとても美味しく、コーヒーの良いお供に。

珈琲豆を挽いて、お湯を滴下し、泡を丸く盛り上げていくように慎重にコーヒーを淹れる!泡の幕がいい感じで盛り上がっている間は良いが、それが平らになり、切れ切れになってしまうのはお湯の入れすぎだ。そうなる手前でやめないと美味しく珈琲を淹れることはできない。

泡の部分はアクなので、それがカップ内に入り込まないように、少し早めにコーヒードリッパーをよけて、ピクニックテーブルの丸い穴の所(丁度うまくハマるのだ)に置く。黄色い矢印を見るとうまい具合にアク入りコーヒーが地面に放出されている。
この季節は柿の季節であり、下山後、富有柿(ふゆうがき)の産地である岐阜県本巣によってそこで柿を買って行くことにした。時期は10月から12月初めだが、後半になるにしたがって、寒さで甘さが閉じ込めれられ美味しくなるという。つまり、11月後半からが一番良い時期なのかもしれないが、僕としては名古屋から近いので、何度か買いに来て食べ比べてみようと思っている。

岐阜県本巣市は富有柿発祥の地。この時期は至る所で柿を売っている。数学者の高木貞二(類体論で有名)が生まれ育ったところでもある。

たまたま見つけた西垣農園。ここの柿が美味しくて、毎年、ここに買いに来るのだ。周囲は柿畑ばかり。

どうです、立派な富有柿が並んでいますね。上段の柿は4個で1000円だけど、丸々太っていて、とても立派ですぞ。

町の至る所にこのような販売所が。朝は沢山あるけど、午後には完売か、このようにかろうじて一袋残っているということになる。

さきもりちゃんと本巣の柿畑。

岐阜市の長良橋を渡りながら、稲葉山城を眺める。金華山(写真中央の山)に登ると岐阜市、長良川、木曽川、濃尾平野が一望でき、最高に気持ちが良い。
今日はMountaineering(ちょっと大袈裟かな。どちらかというとHikingか)、Driving、 Cookingの三種混合競技、まさに、トライアスロンの日でもある。家に着くや否や、夕飯の準備に取り掛かり、ご飯を浸漬し、ハンバーグを焼き、ご飯を炊き、ハンバーグをオーブンに入れ、カレー味のスープを作り、ポテトを揚げる。これを50分で行い(息子のトクチンは6時40分から塾に行くのだ)、三人で食卓を囲む。出来上がったものを見て、みんな茶色(ハンバーグ、フライドポテト、カレースープそして食後の富有柿)であることに気が付き、愕然とするが、まあ、美味しい(手前みそだが)から良しとするか。トクチンが塾に行った後は、昼間に引き続いて、コーヒーをドリップし、コンビニスィーツと共にのんびりタイムを過ごし、今日の一日を反芻するのであった。

ご飯が炊きあがりました。我が家はお釜でご飯を炊くのだ。美味しいぞ。

ポテトを揚げて。

50分で夕飯完成。メインは研究テーマのハンバーグです。
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