Defenderピヨピヨ日記(NO49 今年最後の実家の片付け! 半径1メートルの防人と、半径数千キロメートルのG会長)

Defender購入後日記

 防人が実家を片付け始めて、5年目に突入した。途中、オヤジが集めた大量の児童文学の本を多くの人々、図書館などに受け取ってもらうために、その作業に時間が必要以上にかかってしまったわけだ。今年(2024年)の元旦に父が他界してからは、年内中の片付け終了目指して頑張ってきたつもりだが、その目標は叶わなかった。どうも、来春の3月~5月くらいまでかかってしまうかもしれない。

 大量の物品が残る実家の片付けでは、ブルドーザーでガツンと整地してしまえば手っ取り早くて良いのだけど、お金が数百万レベルでかかってしまうし、オヤジのように骨董収集などされていると、中にはお宝があって、数千万~数億のお金が舞い込むかもしれないという希望(誇大妄想or古代妄想?)があるので、そう簡単にすべてを処分という訳にはいかないのが実家整理で時間がかかってしまう原因である。そのような骨董、絵画、児童文学の本の整理も9月、10月で目途が付いたので、夏以降からはガンガン処分モード全開で立ち働き出したのである。故人が生前使っていたものを眺め、思い出に浸るなどと言うオセンチな行為をやっていようものなら、いつまでたっても整理なんてできないから、不動産屋さんにも声をかけて、期限を決めて、テキパキとやることが大事だと思った。大量の写真、卒業アルバム、卒業文集なんかも、ここ40年以上見ていないわけで、本来なら記憶の底に堆積し二度と思い出すことが無いものばかり。これを大事にとっておいてもかさばるだけで、僕の娘、息子(トクチン)の代には全く興味ないものとなるだろう。だから、このようなものもよほど印象に残る写真などが偶然にも目に留まるということが無い限り、一気に捨てていこうと思う。故人が着ていた服、パイプ、眼鏡、食器、机、文具、本棚、布団(実家では不思議なことに使わなくなった布団を捨てることなく、至る所にある押し入れにことごとく取ってあった。また、服も捨てずに大量に押し込められていた)なども、あまり深く考えず他人の物だと思って捨てていくしかない。お金だけは捨てないように注意するのだが、ほとんどが一円、五円、十円玉ばかり。時たま、五十円とか出てくると大喜び。百円玉はほとんど出て来なくて、五百円玉や千円札は皆無だった。また、庭には児童文学の本を詰め込んであった物置(イナバの物置みたいな奴)が七棟ほど置かれていて、それが景観を損なっている。年明けはこの解体と搬出と言う大仕事も残っている。この物置内には一時保管的な物品も詰め込んであるので、その処分もある。何とか梅の咲くころ、遅くとも桃の花の咲くころまでには完了させたいが、果たしてどうなることだろうか?

「曇りなき 心の月を 先立てて 浮世の闇を 照らしてぞ行く」(伊達政宗 辞世の句)

 駒ケ岳のパーキングエリア。中央アルプスは雪をかぶっていた。いよいよ冬到来だね。
before!玄関に大量に積み上げられた本達。廊下左方向(写真には写っていない)にも同量の本が積み上げられていた。
after!!ひたすら本を運び出すこと3時間。やっと、元の玄関が姿を現した。実家整理をやると、トレーニングジム以上の筋力アップが保証される。素晴らしいではないか。
before!ダイニングから和室(オヤジが寝室として使っていた部屋)を眺めると、手前に本棚三つ、奥の和室に五つの本棚があり、そこから本をかき出して、本棚の解体を開始。
after!!本棚の解体は面倒であった。棚を外し、上下のネジを緩めなくてはならず、思いのほか手数が必要。物量にヘキヘキとしながら、半ば怒りモード全開でブツを運び出す。
before!ダイニングには何やら細かいものが点在し、片付けしにくかったが、途中から面倒くさくなって、一気に処分モード全開!一品の思い出に浸る暇があったら、その間に10品を捨てよ。
after!!ゆかりの品などをいちいちチェックしていては一日が(というよりこちらの人生が)終わってしまうということで、ガツンと捨てた。年明けたら、机、椅子をガンガン捨てるぞ。
 夕飯はG会長の案内で、アジールというお店屋さんで、コース料理と数々のお酒をご馳走になる。

 今回は一泊(実家は埃ぽいので泊まらないよ。ルートインコート甲府に宿泊だ)で帰っていて、夜はG会長と言う一万人規模の会社の会長様と夕食を食べることになっていた。Gさんは若き頃、姉の友達であった人で、よく我が家に来ては、お袋の夕飯とか食べて夜遅くまで議論白熱した秀才であった。当時、防人は小学生~高校生の間であったが、遊んでもらったし、色々な話を聞けたし、とても刺激を受けた人物だ。そんな彼が、会社を興し、今や経済界で押しも押されもせぬ地位を築き上げてしまったのである。そのG会長から夕飯の誘いがあったので、恐縮もしたのだが、図々しくノコノコとレストランについて行ったのである。そこには、山梨の有力者の方々が集まっていて、防人だけがヒラの会社員という異分子状態。「これは場違いなところに来てしまったわい」と思ったのだけれど、もはや引けない状態だ。しかし、G会長の絶妙な取り計らいで場を和ませ、防人も自然に会話に入りやすくしてくれたので、心配は杞憂に終わったのだが。印象に残った言葉は、

「”innovation(イノベーション)”という言葉を、日本では技術革新に軸足を置いて考えすぎるきらいがあるが、会社としての人間関係のイノベーションと両輪とならなければうまくいかない。人間関係がギクシャクしていたら、せっかく良い技術があっても、それを具現化するのは難しい。人間は三人以上集まれば政治力学が作用するわけだからね」

である。また、

「だめだったら方向転換すればいいだけの話で、やらないでいるのはもったいない。日本人は、やらずにダメだった時のことをウジウジ考える傾向があるけど、それはもったいないよね」

というG会長の言葉に、防人は

「この前、禁漁直前の休みに、釣に行ってボウズだったら禁漁期の半年間をどうやって過ごそうか真剣に悩んだんですけど、結果を後悔するより、行って駄目だった方がスッキリすると思って木曽川に釣りに行きました

と言ったら、会場は

「・・・」

だった。また、こんなことも言っていたぞ。

「銀行(三菱UFJ)に百億くらいの融資を申し出ても支店長くらいが挨拶に来るくらいだけど、一千億以上の融資を申し出ると、頭取が挨拶に来ますよ。僕の場合は三菱ホールディングスの会長(恐らく頭取よりはるかに偉い人)が来ましてね、…」

と言ったので、防人も間髪入れずに

「僕も、三菱UFJから住宅ローンの融資を受けましたけど、誰も挨拶に来なかったなぁー」

と言ったら、会場は

「・・・」

だった。デザートが終わり、会話がより経済界の深い話に発展していった頃、お店の支配人の方が

「防人さん、タクシーが来ましたよ(来るときはG会長の車で来たのだ。もちろん、運転手付き)」

というので、みんなにお別れの挨拶をして一人先に会場を後にしたのだった。

「料理のお金は?」

と支配人の方に言うと、

「そんなことは気にしないでください」

とのご返事。タクシーに乗って実家に戻ると、今度は代行タクシーが来ていて、ジャガー君の助手席に乗ってルートインまで運んでもらったのだった。到着して

「アッ!タクシー代も払っていないぞ!ところでこの代行タクシーのお金はおいくらですか?」

と言うと、

「どちらももう払われていますので、結構です」

と言われてしまった。すべて???マークのまま終了を迎えたのだが、いま、思い返してみると、「子供(防人)はおねんねの時間だから先に帰りなさい、これからは大人たちの会話(経済界、政界絡みのお話)の時間だからね!」と言うことだったのだろう。「ある一定以上の階級になると、このような世界に所属することになり、お金儲けの話や、政策が決まっていくのだろうなあ」と思いながら、防人の1メートル近傍の世界では絶対に交わることが無い世界だけど、今回、たまたまG会長に夕飯を招待してもらって、このような異世界(日本レベル!世界レベル!!)を見られたのは良い社会勉強になったなあと思うのだった。

 防人はもともと一人が好きで、登山や釣りも一人で行く傾向があり、あまり人と交わらないのだが(一人でいることが寂しくないのだ。イヤッ、逆に気楽なのだ)、5年間に及ぶ実家の片付けでは多くの人に助けられてきた。防人一人では到底なしえなかったことがやることが出来て、ここまで来られたのである。だから、今後の人生では、このブログに登場する中さん、鈴木さん、てんぷらさん、Ayuさん、そして、実家の整理で助けてくれた多くの人たちとの繋がりを大事にしていきたいと思うのだった。

 ルートインコート甲府からの眺め。黄色矢印が甲斐駒ヶ岳、青矢印が鳳凰三山(右から地蔵、観音、薬師)、赤は間ノ岳(あいのだけ)、ピンクが西農鳥岳-農鳥岳、黄緑色が櫛形山かな。最高峰北岳は見えないねえ!
 同じく、ルートインからの眺め。黄色矢印が八ヶ岳、緑矢印が茅ヶ岳(かやがたけ)、赤が金ヶ岳だったかな。眼下に見えるNISSANのディーラーは恐らくオフクロの馴染みのディーラーだったのではないかと思われる。

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