Cafe Lagrange (晴耕編 鵜飼い大橋・西山・岐阜城・金華山ドライブウェイ展望台・端龍寺山頂遺跡・梅林公園・長良橋 周回ルート 2024 .11.20 )

Cafe Lagrange 晴耕編

 この時期の防人はとても忙しい。しかし、水曜日の休みを潰してまで仕事に集中したいとは思はない。だから、今回の水曜日も山歩きに出かけたのであるが、あまり遠くに行きすぎるのも自らの首を絞めることになりそうなので、今回は近場の岐阜市金華山に登ることにした。

 金華山にある稲葉山城は斎藤道三・義龍・龍興達が住んだお家であり、龍興の時代に織田信長によって奪取されたのだった。これにより、信長は父・信秀にも実現できなかった、美濃平定を成し遂げたのだ。その後、『井ノ口』と呼ばれていた城下町を『岐阜』に改名し、『稲葉山城』も『岐阜城』と改めた。この城下町には家臣を住まわせ、楽市楽座の政策が奏功し、岐阜の町は当時有数の経済都市へと発展していったのである。その後の江戸時代や明治、大正の岐阜市はよく知らないのだけど、昭和は美川憲一の『柳ケ瀬ブルース』で知られるように、柳ケ瀬の商店街は大勢の人で賑わったらしい。しかし、現在の柳ケ瀬は平日に歩くとシャッターが閉まり、寂しげな感じである。まあ、岐阜も周囲の地域が発達し(モレラ岐阜など!?)、中心部は空洞化しているということだろうか。ちなみに、この『柳ケ瀬ブルース』はもとは『長岡ブルース』と呼ばれていたようで、静岡長岡温泉を中心に芸能活動をしていた宇佐英雄さんが、同地を訪れた舞踊団の踊り子に恋をして、その思いを告げられずに離れ離れになってしまったということを歌にしたらしいのだ。だから、終わりのところの

「ああー、柳ケ瀬の夜に泣いている」

はもと歌では

「ああー、長岡の夜に泣いている」

だったということか。

 昔、免許取りたての学生時代、彼女(現在の奥さん)のフェスティバというフォードのコンパクトカーを借りて用事で福井の敦賀まで行ったとき、その帰り道は下道で名古屋に戻ってきたことがあった。木之元から国道303号に入り、当時はクニャクニャの峠越えをして(現在はいい道になり、核心部の峠越えはトンネルで貫通されてしまって面白味はなくなってしまった)、濃尾平野に降りてきたのだった。揖斐川町を過ぎてから広大な平野となり、当時の僕はこの辺りの地理感覚が全くなかったので、案内表示板に『岐阜市』と出てきた時に、「アレレッ!もう名古屋を通り過ぎてしまったか?」と焦った記憶がある。その後、『一宮市』が出てきた時はもう?マークだらけとなり、「『名古屋』は一体どこなんだぁーッ」と未知な体験に困惑しながらもワクワクして運転していた。結局、岐阜・一宮・名古屋の順で町が並んでいた訳で、当時の僕の運転したいた道は正しかったのだけれど。現在なら、カーナビが位置をリアルタイムで教えてくれるので、冒険的ドライブ感覚は消失してしまったが、時間がある時の、のんびりドライブの時はカーナビをオフにして、右往左往しながらのドライブを楽しんでいる。

 このように岐阜に行く場合は町から町に抜けて行くので、朝の通勤ラッシュに巻き込まれると、田舎道の153号線ではるかに遠くの飯田に行く以上の時間が、隣町に行くのにかかってしまうことになる。そんなことになっては時間がもったいないので(防人は渋滞が大っ嫌いである)、朝6時ちょっと過ぎに名古屋の家を出発したのだった。

 この金華山(329m)は、地元の人に加えて観光客もよく登る山である。もちろん、山頂までロープウェイもあり、体力に応じて山頂にたどり着くことが出来るヴァラエティーに富んだ山だ。そして、多くの人が、”瞑想の小道”で北側から山頂に登り、西南に伸びる尾根に沿って降る”七曲登山道”で戻ってくるコース(もちろん逆も可)が最長と思っているのではないだろうか。しかし、現実にはもっと北の西山(鵜飼い大橋)から取り付いて、尾根を縦走し金華山山頂を経て、西南稜に沿う七曲コースが大きく反転して岐阜公園に戻っていくところをそのまま直進して、NHKの加納テレビ放送所の脇をかすめ、金華山ドライブウェイ展望台・端龍寺山頂遺跡・岐阜稲荷を経て、道なき道を尾根伝いに歩いて、最後は梅林公園東側の県道248号線と接する最南端まで歩ききることが出来るのだ。今回はこの金華山の最北から最南端までのコースを紹介しよう。

 6時15分に名古屋を出発し、7時50分に岐阜の長良橋の無料駐車場に到着。さきもりちゃんに別れを告げ、8時10分からウォーキング開始。まずは、長良川に沿って、上流を目指す。
 "鵜飼い大橋"が見えてきたら、橋を左岸(上流から下流に向けて左手側)に渡る。この日は曇り空で、名古屋は雨がぱらつく状態だったが、岐阜市は曇り空のままで、名古屋ほど天気は悪くなかった。
 鵜飼い大橋を渡りきり、日野の不動閣(不動院)を目指す。ここは天台宗の密教寺院で、きれいに整備された庭は見る価値あり。登山道はこの寺院奥にある。
 不動閣奥には金色に輝く観音様が岩の奥の洞窟みたいなところにおらっしゃる。安全祈願をして、いざ出発!ちなにみ、この不動閣では滝行(滝の水に打たれる修行)もやれるらしい。
 金色の観音様が安置されている洞窟脇から金華山に向かって東回峰道がスタートする。稜線に出るまではチャート質の岩盤を攀じ登る急登が待ち受けている。
 枯れ沢に沿って登り、折り返して山腹をトラバースする形で登りきると先ほどの不動閣や鵜飼い大橋が眼下に見える。下流の長良橋からここまで歩いてきたのだなぁー!
 9時6分、西山(176m)山頂到着。ここには四等三角点がある。
 西山から鞍部に向けての下りで、ちらりと金華山(岐阜城!黄色矢印)が姿を現す。
 金華山への縦走路途中で、長良川右岸(対岸)の百々ヶ峰(417.9m)を見る。因みに、岐阜市最高峰は金華山(329m)ではなくて、この百々ヶ峰である。
 9時40分、金華山に到着。眼下には岐阜市、長良川、更に遠くの山は先週登った養老山系だ。最高の眺めだが、ここは観光客がいっぱいいるので、昼飯場所には適さない。岐阜城の縄張りをじっくりと見学する。
 岐阜城の天守。まあ、信長の時代にこんなお城があったわけではないのだろうけど、お城と言うとこんな感じにしておかないとということか!山頂では最近でも発掘調査が行わて、数年前にも、信長時代の石垣が発見され、一時期、一般公開されていた(もちろん、防人も見に行ったよ。この写真の裏側のあたりだったと思う)。
 ここは何の気なく通り過ぎる人が多いけど、自然の地形ではなく、"堀切"と呼ばれる軍事上の施設である。尾根伝いにやってきた敵の侵入を防ぐ目的がある。この岐阜城には、竪堀、主郭近くの井戸、各所の石垣などが残り、見どころ満載だ。
 七曲コース(初心者コース)を尾根に沿って降っていくと、背後の岐阜公園に向けてルートが反転して戻っていく(青矢印)。ここで、黄色矢印にそって真っすぐ突き進むのである。兎に角、金華山から西南方向に延びる尾根から外れないように進むわけである。
 金華山ドライブウェイにでたら、しばらく登り、脇のトレイル(黄色矢印)に入っていく。まあ、道もしっかりしたものがあるが、それは無視して、兎に角一番高いところと思われる尾根筋をひたすらトレースしていった。
 尾根伝いに歩いていくと、NHK加納テレビ放送所の施設脇を通り(正しくは左側と通過するが、防人はより尾根伝いの右側を通過)しばらく行くと金華山ドライブウェイ展望台に到着する。正面は上加納山タワー(トワ・エ・モワタワー?)。
 右手側(西側)の眺めは麓に鶯谷高校、岐阜市。更に遠くの山並みは、右側が伊吹山などの山塊、左側が養老山塊、間に関ケ原がある。このような景色を見ていると、信長のように関ケ原を越えて、京都を目指したくなるのかもね。
 こっちは左手側(東側)の眺めで、一宮、名古屋方面だ。更に左手方向は各務原市方面である。この町には飛行場があって、川崎重工などの巨大な工場施設が立ち並ぶ航空産業の町である。映画"風立ちぬ"でも登場したね。
 上加納タワーに向けて金華山ドライブウェイを歩き、途中からトレイルに入る。タワー右脇の道を歩いて、忠実に尾根に沿って進むと、端龍寺山頂遺跡に到着する。
 龍興の時代、美濃三人衆は斎藤氏に見切りをつけ、信長に服従する。この機を逃さず、信長はここ(端龍寺山頂遺跡)に前線基地を築き、井ノ口の集落を焼き払い、稲葉山城攻めを一気に加速させたのだった。
 更に、尾根伝いに歩いていくと、視界が開けてきて、昼飯スポットとして良さげな場所がありそうな気配が漂う。お腹も空いたし、時間も10時44分なので、そろそろ飯タイムだ。
 トレイルから少し右に入ったところに、景色も良く、のんびりできる場所を発見。昼飯の準備開始。ただ、傾斜があるので、コッヘルなどが転がり落ちて、チト大変だったけど。
 今日は"下北沢"のカレーだ。銀座、横浜、神戸、京都、そして下北沢とかの名前が付いていると、何だか非常においしく思えてしまう防人なのである。現実にこの"ふらんす亭"のレトルトカレーは美味しかったですよ。
 昼飯後、コーヒーを飲みながら一時間ぐらいのんびりして、片づけて少し尾根を歩くと、岐阜稲荷に到着。階段降りて、左右にルートは分かれるが、それを無視して、ひたすら尾根筋を歩き続ける。
 踏み跡はあるような無いような感じだが、歩くのには問題ない。
 ウーム、もはや道ではないなあ。蜘蛛の巣も貼りまくりで、人が歩いている様子はない。
 いよいよ最南端まで来たが、民家に遮られてうまく降り口が見いだせなかったが、よーく歩き回ると、突破口がありそうな気配が漂う場所を発見。
 民家の玄関口などがあり、住人と鉢合わせになると気まずい雰囲気の階段を下りると、道路に出た。上記写真の黄色矢印のように、建物の間から登場したのだった。これは登山口とは言い難いね。
 下山して右折するとすぐに岐阜梅林公園が現れた。春にはいい匂いがするだろうなあ。
 梅林公園内にはあの「デゴイチ(D51蒸気機関車)」がおりましたぞ。やっぱり、カッコいいねえ。
 昭和な路地発見。路地大好き防人としては突入あるのみ。この先に端龍寺本院があった。
 ここは長良川畔の川原町の古い街並み。この先に長良橋が現れる。岐阜市内には寺社仏閣も沢山あり、風情のある街並みで歩いていてとても楽しい。
 長良橋から河原町を振り返る。背後の山をひたすら尾根に沿って歩いてきたのだった(黄色矢印)。写真左方向に金華山がある(写っていないけど)。この長良橋は、鵜飼い大橋と今回の南端下山口の中間点ぐらいにあるので、周回ルートを歩くときに車を停める場所としては最適だと思われる。金華山も、今回のルートで歩けばほどほどな満足感が得られるのでは。
 時計回りに歩いた。さきもりちゃん⇒鵜飼い大橋⇒西山⇒金華山⇒金華山ドライブウェイ展望台(赤丸)⇒端龍寺山頂遺跡(水色丸)⇒昼飯場所(黄色丸)⇒…岐阜市内…⇒川原町(大きい黄色丸)⇒長良橋⇒さきもりちゃん!

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