Cafe Lagrange (雨読編:秋の夜長に数学《数楽》などは如何!)

Cafe Lagrange 雨読編

 防人はフライフィッシング、登山、ドライブ、…と圧倒的に外で体を動かすことが好きである。しかし、ハンバーグ作りなどのクッキングや数学・物理の計算やお勉強、毛バリ巻きなども趣味である。しかし、外が晴れていて、心地よい日などは家にいることが苦痛に感じられて、ついつい外に這い出てしまうのである。とは言っても、天候が悪い日や外出すると家での雲行が怪しくなる場合などは大人しくしていなくてはいけないので、このような時はインドア的趣味があると時間が有効に使えることになる。また、いずれ加齢し外に出るのがおっくうになる状態になるかもしれず、そんなときの準備も兼ねて、インドア的趣味を充実させておくことは極めて重要なことに思われるのである。そして、退職して膨大な時間を持て余すようなことになった時、極めてお勧めなのは数学の勉強だ。「イヤイヤ、自分は文系で数学は中学くらいまでしかわかっていないよ」と言う人でも、少なくとも中学までは数学をやっていた訳だから(過小評価しても小学校の算数で四則演算、足算、引算、割算、掛算は出来るだろうから)、そのようなレベルから始めて、数の世界の不思議を体感していくことは十分可能なことなのだ。

 ここに『定年男の数学物語』という本がある。この本の中に以下のような式が並んでいる。

\[1\times1=1\]

\[11\times11=121\]

\[111\times111=12321\]

\[1111\times1111=1234321\]

 なんか面白いことないです?これなんか小学校の知識で理解できる関係式だよね。この本には以下のような式も載っている。

\[1+2=3\]

\[4+5+6=7+8\]

\[9+10+11+12=13+14+15\]

\[16+17+18+19+20=21+22+23+24\]

これなんかは、足算だけで自然数のつながりが感じられる感動的な式だと思うのだが。それから、膨大な自然数(\(1, 2, 3, \cdots\))達の中には、

\[6=1+2+3\]

のように、自分自身以外の約数の和(\(6\)の約数は\(1, 2, 3, 6\)であり、\(6\)以外の約数は\(1, 2, 3,\)である)が自分になるものがあり、これを完全数という。つまり、\(6\)は最小の完全数なのであるけど、次の完全数はあるのだろうか?例えば、\(12\)は

\[12<1+2+3+4+6\]

となり一致しない。\(12\)の次の数\(13\)は素数であるが、

\[13>1\]

となり、全く一致しない。

\[14>1+2+7\]

これも駄目だね。こうやって順に試していくと、

\[28=1+2+4+7+14\]

となり、\(28\)が二番目の完全数となることがわかる。三番目の完全数は、

\[496=1+2+4+8+16+31+62+124+248\]

とかなり大きくなってしまう。4番目、5番目の完全数は?そもそも完全数は無限個あるのか?こんな疑問が頭を支配してくると、毎日が楽しくて仕方ないのでは(ちなみに完全数が無限個あるかどうかの証明は完成していないのだ)!因みに現在まで見つかっている完全数は全部で52個(この52番目の完全数は2024年秋に発見されたばかりだと思うが!)。この完全数たちは連続自然数の足算で以下のように表すことも可能だ。

\[6=1+2+3\]

\[28=1+2+3+4+5+6+7\]

\[496=1+2+3+4+5+6+7+\cdots+30+31\]

\[8128=1+2+3+4+5+6+7+\cdots+126+127\]

・・・

更に面白いことに、上記の足算の最後に登場する数\(3, 7, 31, 127,\cdots\)はメルセンヌ素数と呼ばれていて、以下のように書ける。

\[3=2^2-1\]

\[7=2^3-1\]

\[31=2^5-1\]

\[127=2^7-1\]

・・・

となっている。フランスの聖職者であるマラン・メルセンヌは\(n\)が素数で『\(2^n-1\)』が素数となる数の研究を行った人で、このメルセンヌ素数と完全数は一対一に対応しているのである。つまり、メルセンヌ素数を発見できれば、完全数も発見できたことになるのだ。そして、2024年秋、最大の素数が発見され、これは52番目のメルセンヌ素数であった。だから、人類は52個目の完全数も手に入れたことになるのである。今まで見てきたことは小学校~中学校の数学だけでこのように奥深い数学の世界(数論の世界?)が探訪できてしまうことを表している。だから、自分は文系だから!とか、理系の大学出ていないから!とかの理由で数学の書物を読まないのはもったいないと思ってしまうのだ。ディフェンダーでドライブ旅に出るのも楽しいことだけどお金がかかる。これに対して数学世界への旅は安くて、しかもこんなに素晴らしい宝石のような数の連なりの世界に加減乗除と言う乗物だけで旅立てるのだから、行かない手はないよね。以下では、旅の旅行ガイド的な本で、防人が打ち震えるくらい楽しんだ本を紹介しますがな。

 数学世界の旅はお金がかからないと言っても、ガイドブック(数学の本)は買いたくなってしまう。本屋さんや古本屋さんで掘り出し物の本を発見したり、ネットで欲しい本をオークションで競り落としたりするのはワクワクする。ただ、本を集めすぎると防人の実家のように大変なことになってしまうので、ほどほどにしておいた方が良いね。それに、数学の本は読み終えるのに数年から数十年かかるものもあるから、買い過ぎても凡人の一生で読める量は高が知れているからね。
 多くの数学書が大学生、高校生を意識しており、我々おじさん、おばさん、などの年配の人を意識して書かれることはない。そんな中、この本は、主人公の邦男が定年退職を機に数学の勉強を始めるという設定で書かれており、我々おじさん・おばさんへの応援歌的本でもあるのだ。そして、上記で説明したように、四則だけでもこれだけ面白い数学世界を旅行できることを示してくれていて、防人としては暇があると読み返したりしている本なのだ。たまたま見つけた本だが、大事な一冊である。
『定年男の数学物語』江藤邦彦著 ベレ出版
 この本は泣ける。小説に登場する"博士"は若い頃交通事故で脳のウェルニッケ中枢に障害を負い、記憶が80分しか持たないという設定。放浪の数学者ポール・エルデシュがモデルと言われている。博士は前述の事故により研究者の道は絶たれ、離れに1人暮らししているのだが、そこに家政婦の女性とその息子(博士により"ルート"と呼ばれることになる)が通うようになり、その女性を通して博士とのやり取りが語られていく。完全数だけでなく友愛数や世界で一番美しいというオイラーの公式が登場する。小説の設定で博士は、事故で脳がダメージを受ける以前は、野球選手"江夏"のファンだったのである。小説の終わりは、成長して数学の先生になったルートが博士を訪れるのだが、何だか物悲しくジーンとくる。博士の持つカードには縦縞のユニホームを着た江夏が描かれており、その背番号は…。
『博士の愛した数式』小川洋子著 新潮社 
 非可換類体論の大御所である加藤和也氏はとても面白い人らしい。数学のことを考え始めると周りがわからなくなり、パンツだけ身に着けた状態で渋谷周辺を徘徊し、警察に補導されること数回。素数の歌や素数踊りを開発し、叙勲の時、天皇陛下と一緒に素数踊りを踊るという快挙(暴挙?)に出たらしい。とてもユニーク(珍人)な人であるが、書かれた本もとても個性的なものばかり。本書は数論(日本の数学者高木貞二により開拓された類体論について)の初歩について書かれた本だが、出だしは七五三の類体論的説明から始まる。90度の整数辺をもつ最小の三角形(つまり、直角三角形)は3,4,5であるが、360度の三等分角の120度の角を持つ整数辺三角形で最小のものが7,5,3なのである…と言った感じで始まり、一気に読者を加藤和也ワールドに引き込んでいく。
『数論への招待』加藤和也著 丸善出版
 著者の保坂正康氏は高校生の時に友人から聞いた√3 開き続けた〈男〉のことが気になり、妄想を膨らませていく。『√3を開き続けた〈男〉は、私に、コンピューターを信ずるのか、人間の執念を見るのか、を訴えかけているのだ。ありていにいうと、合理性を尊ぶのか、感性を核にするのかを求めているのかもしれない。どちらに傾くにせよ、私は〈男〉を捜し出し、その営為を見つめなければならぬ、ひたすらそう考えるに至った。偶然のきっかけで、私は〈男〉を見出した』。
 その〈男〉は明治期にフェルマーの定理の証明に挑んだ、数学界では無名の日本人であった。その〈男〉の生涯を描いたのがこの本である。作者の保坂氏も数学愛好家であり、大人に成ってから数学の勉強を始めたらしい(大学は文学部出身)。この前、新聞に載っていたが、最近は"多様体"の勉強にはまっているとか。
『数学に魅せられた明治人の生涯』保坂正康著 ちくま文庫
 この本は対角線に始まり対角線に終わると言っても良いかも?田島先生を中心に僕とタカムラさんと言う女子学生の三人が無限について議論していき、最後はゲーデルの不完全性定理にたどり着くという内容。この本を読めば、『自分では髭を剃らない人の髭を剃るセビリアの理髪師は、果たして自分の髭を剃るのか?』というラッセルのパラドックスを理解できるようになる?
 この理髪師の髭はどうなるか。理髪師が髭を剃っていないのであれば、その髭を剃ることになるが、自分で髭を剃ってしまうことになるのでマズイ。それでは剃らなければよいが、剃らない人の髭を剃るので、理髪師は自分の髭を剃ることになる。だから剃ってしまうと・・・、ウーム訳わからんことになってきたぞ。兎に角、無限が絡んでくると色々と厄介なことになるんだなあ。
『無限論の教室』野矢茂樹著 講談現代新書
 ガロアは1811年に生まれ、1832年に決闘で死んでしまった数学者だ。僅か20年の人生で、現代代数学の基盤を築き上げた天才だ。彼の興味は代数学だけにとどまらず、微分方程式のガロア理論を構築しようとしていた節がある。この微分ガロア理論は後に、ピカール・ヴェッシオ、マルグランジュ、梅村等に引き継がれていった。ガロアはフランスの激動の時代を生きた人で、ヴィクトル・ユーゴーの『レ・ミゼラブル』が1815~1833年のフランスを描いているので、ほぼガロアの時代と重なっている。だから、ユーゴーファンも、ミュージカルのレ・ミゼファン(僕もその一人だが)もこのガロアの本を読むと共感を覚えるのではないだろうか。ちなみに、この本によればガロアの死の翌日にラマルク将軍が死に、レ・ミゼラブルでアンジョルラスが壮絶な最期を遂げた6月暴動が起こるのであった。 
『ガロア(天才数学者の生涯)』加藤文元著 中公新書
 『数学ガール』はオススメの参考書だ。この本は主人公の"僕"が天才少女のミルカさん、後輩のテトラちゃん、いとこのユーリという美少女に囲まれて数学するというありえない設定。しかし、数学の内容、物語の設定もうまく構成されており、違和感がない。一巻は母関数に向けて駆け上っていくが、途中で微分やテイラー展開の丁寧な説明もあり最高。二巻はフェルマーの最終定理に向けて駆け上っていくが、『数学に魅せられた明治人の生涯』や『数論への招待』とも関係しているので相乗効果あり。そして、三巻目はガロア理論に向けて、特に最後は急上昇していくので、僕やミルカさん達は理解しているのに読者は置いてけぼりとなり少し寂しいかも。まあ、ガロア理論については最近は色々丁寧な本が出ているので、色々読み比べるのが良いかもね。数学の本で"置いてけぼり"はよくあることですがね。
『数学ガール』結城浩著 SoftBank Creative

 後、オジサン・オバサンになって数学する場合、文房具もこだわりたいよね。学生時代はボールペンで計算していたけど、大人に成ってからの勉強は万年筆を使うことにしている。また、ノートは無印のノート、筆箱は少し奮発して、5000円くらいのヤツにしたのだった。そして、勉強場所も最初の頃はスタバ―でやっていたのだけれど、最近は(と言ってもこの四年間はお金チャリンチャリンだったので、数学から遠ざかってしまっていたのだけどね)コメダで勉強することが多くなった。僕が大学生だった頃は、アカデミック機関に在籍していないと論文の入手などが大変だったけど、最近はネット環境の発達で、多くの論文が入手しやすくなった。また、色々な人がわかりやすい数学記事を書いてくれているのでとても助かるし、動画での講義も充実している。個人的興味としてチェコで開催されたラグランジアンに関するワークショップの動画も見られたりして、とても便利な世の中になったものだ。アカデミックポストに在籍しなくても、やる気さえあれば研究も出来てしまう時代になってきたのだなあ。

 防人が愛用するのはモンブランの万年筆。モンブランにしては珍しいこの細身の万年筆は、防人が大学進学した時のお祝いに叔父さんがプレゼントしてくれたもの。とても数式が書きやすく重宝しているが、現在発売されていないらしい。名古屋栄の中古万年筆屋さんでたまたま同じものを発見して5000円だったので予備として速攻で購入した。
 黒と赤のボールペンの間に、防人愛用のモンブランの細身の万年筆が鎮座する。カートリッジ式でMidnight Blueを使用。計算ミスしたら、赤ボールペンでミス場所、ミス内容を明示するようにしている。右側の無印のノートの脇にあるのはよくあるモンブランの万年筆だが、数式を書くのには少し太すぎると感じてしまうのだった。

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