東北の一週間の追悼釣行から帰った次の日、防人は一日中爆睡モードだった。その次の日もなんだかボヤーッとした状況。しかし、三日目の8月10日ともなると力がみなぎって来て、川を歩いてイワナと戯れたいという願望が沸き上がってきた(これって、病が重症化しているよね)。このまま、何もせずに(釣りをせずに)休みが終わってしまうことほど不幸なことはない。そこで、お友達の中さんに電話をかけて
「遊びましょッ!」
ということになったのだ。
そんなわけで、8月11日の早朝2時に名古屋の家を出発。新穂高方面を目指す。流石にこの時間は車も少なく、いたとしてもとてもリズミカルに運転してくれる人が多いので、そのような車の後にコバンザメのようにくっついていくと気分が良い。美濃加茂、金山、下呂、そして高山に午前4時半着と非常に調子よく駆け抜けることが出来た。ただ、気がかりなのは、この日はお盆休みに突入しており、民族の大移動が起こる可能性があるということだ。まあ、ここまではとても静かに、車ともほとんど出会うことなく過ぎてきているので、そして、「南海トラフ・大地震注意」という情報が気象庁から出ていたので、「みんな外出は控えているのかなあ」とほっとしながらさきもりちゃんと新穂高を目指すのだった。

おおーッ!笠ヶ岳(黄色矢印)が美しい。因みに、この交差点を右に行くと安房トンネル、真っすぐは平湯温泉街、蒲田川(高原川)へは左折する。

蒲田川に沿って新穂高ロープウェイ方面に走ると、穂高山群が美しく朝日に生えていた。まさに、中部山岳地帯の典型的な眺めだ。西穂(黄色矢印)、奥穂?or北穂?or涸沢岳?(緑矢印)。
異変を感じ取ったのは新穂高に近い、奥飛騨温泉郷上宝道の駅に到着した時だった。さきもりちゃんを停める場所がどこにもないのだ。車中泊や観光客の車で溢れていて、朝5時なのに人がいっぱい歩いている。かろうじて、一台駐車できる場所を発見したので、さきもり号をその隙間に滑り込ませた。降りてみると、みんな何とも言えない高揚感で、散歩したり、トイレに行ったり、立ち話をしたり、…、始まった連休にワクワクしているような感じである。「ムムムッ!これは新穂高方面の駐車場ヤバいかッ?」と嫌な予感がした。今回、我々の第一目標は蒲田川左俣谷であり、新穂高の駐車場に車を停めて、一時間ほど歩いて谷に入る予定なのである。早速新穂高方面に行ってみると…、やにわに渋滞状況となっていて、誘導員の人に聞いてみると、
「第一、二、三駐車場はもとより、その他すべての駐車場いっぱいだよ。お盆んときはいつもこんなもんだよ」
とのことだ。ここ最近、防人はお盆やGWの時は釣りや登山に来たことはなかったので、このすさまじい車と人の数に圧倒されてしまった。ただ、30年くらい前、黒部から新穂高へ下山した時、たしか8月10~12日くらいだったけど、その時は、こんなに混んでいなかったハズで駐車場もガラガラだった思うのだけど、最近の登山・キャンプブームが原因しているのかなあ。左俣、右俣は諦め、下流に取って返して、笠谷の林道に入ってみると、ここも釣り人の車が停まっていた。更に、下流の下佐谷も入り口に、更に、奥に入って行こうとする釣り人の車が…!もう一つ下流の双六渓谷はアユ師たちの車が至る所に停まっていて、イワナ釣りで入り込む余地はなさそうだった。釣難民になりつつあった防人だが、ここで中さんと合流でき、状況説明をした結果、有峰湖まで行って、その湖に注ぎ込むどこかの谷なら空いているだろうということになった。この高原川から有峰は、双六渓谷に沿って走り、山之村牧場を過ぎ、有峰の料金所(普通車2000円)を通って入り込むのである。相当なクニャクニャ道を一時間ほど走ることになるのだ。30年前、黒部源流を歩き回っていた時は、この有峰の折立という登山口に車(2800㏄ディーゼルパジェロ)を停めて、太郎平から薬師沢、黒部源流と入り込んだものだ。しかし、現在、防人はほとんど道を忘れてしまって、中さんに教えてもらってもなんだか???という状況。中さんに先導してもらって山之村牧場当たりの景色を見てやっと思い出す始末だった。東谷入り口には明らかに釣り師の車が停められていたので、更に林道を走り続ける。すると、西谷の入り口の所は空白地となっていて、誰の車も停まっていないではないか。おかげでこの時点で釣り難民からは解放されたのだった。

西谷を釣り上がる中さん。

西谷は割と小さめの谷だ。

前のめりになって釣りに夢中になる防人。この後、愛竿セージ0番が折れてしまった。

ブナ、トチノキ、ミズナラなどの冷温帯広葉樹林で構成された森の中を流れる西谷。

ディフェンダー乗りなのにアメリカ製のリール(左)を使う防人に対して、レンジローバー乗りの中さんはイギリス製のリール(右)を使うとは流石だ。

谷で釣ったり、山を歩いたりするとき、最近は昼飯を必ず自炊する防人。今日は、いつものように、作っておいたピラフを炒め、銀座のカリーを温め、中さんと食べる

今日の谷の昼飯メニューはこんな感じ。ジャガイモのポタージュを飲み終えたら、コーヒーを淹れてのんびり谷で過ごす。この時間が防人は大好きなのである。写真は一人前のメニューだ。
西谷の流れはとても小さくて、谷のスケールもコンパクトだ。しかし、ブナやミズナラの木々の間を縫って流れていて、苔むした岩々の緑と相まってとても清々しい谷である。そして、小さな流れであるが、生息するイワナは25㎝前後もちゃんといて(チビちゃんも多いが)、それなりに釣り人を楽しませてくれる不思議な谷なのだ。谷を歩き始めてすぐに、30年くらい使い続けている我が愛竿セージセンターアクシス#0(小渓流用の繊細な竿)が折れるという衝撃的な事態が発生したが(先端部だったので、後日ワチェットの鈴木さんにガイドを付け替えるという形の応急処置をしてもらった)、その後は釣り竿を変えて動揺を抑えて釣り上がったのだった。昼飯を作り、それを食し、コーヒーを飲み、イワナを釣り、…、と色々やっていくうちに、竿のことは忘れ、谷に馴染んでいった。

西谷の美しい岩魚。東北のイワナと違って、朱点もしっかり刻まれているね。

まさに、イワナ的な場所でライズしてきた。苔むした岩の間を流れる美しい西谷。

西谷は小さな谷なのに、しっかりとしたイワナが住み着いている。

ここはいますよね!という絶好のポイント。小さなイワナも多いけどね。

朱点が美しく、ヒレもしっかりと発達しているが、顔はなんだかあどけなさが残る。

イワナの躍動感が伝わり、脳みそが蒸発しつつある中さん。
西谷を釣り上がり、夕方4時ごろになってくると、いよいよ谷は傾斜を増してきた。そして、この日初めての滝が現れた。ここを釣り終わりの滝としようということになって、最後は中さんに釣って頂くことにした。滝つぼも小さく、それほど深くないのでイワナがいたとしても、チビちゃんだろうと思ったので、防人としては大人の雰囲気を漂わして、落ち着いた感じで「まあ、ゆっくり最後のポイントを堪能してくれたまえ」的気分になれたのだった。そして、釣り竿をしまい、川を下り始める準備まで始めていたのである。そうしたらなんと、最後の最後でこの日最大のイワナ、それも、尺を越える31㎝のイワナが釣れてしまったのだ。なんという悲劇(じゃあなかった、何という感激)、「最後に笑うものが最もよく笑う」とはこのことだ。中さんの「ガオッ―」という雄たけびが西谷全体に、イヤッ、有峰湖から薬師岳一体に響き渡ったのだった。今日は釣ったイワナの数、サイズともに中さんに圧倒された一日だったなあ。途中も良く笑った中さんが最後も最もよく笑ったのだった。

釣り終わりと決めた滝。この小さな壺に中さんの毛バリが投入された…。

最後の最後に来ました。尺岩魚(30㎝を越えたイワナ)。

谷から上がり着替え終わり、冷たく冷やしたコメダのフルーツミックススムージーを飲む。最近、防人はこれにハマっている。まろやかミルクコーヒーを凌駕するのではないかと思う。
その後、有峰湖から高原川に戻り、栃尾の露天風呂で汗を流し、平湯峠を越えて高山に到着したのが夜の9時だった。そこで見た高山の街並みに唖然としてしまった。沢山の人々が町を練り歩き、店屋は人で一杯。コンビニに入ってみると、長蛇の列。しかし、これらの人々がみな外国の人なのである。日本人は一人もいない。一体何が起こっているのだ。30年前の高山の夜は寂しいくらいだったのに。
補足 よく「尺イワナ」とか「尺ヤマメ」という言葉を聞くと思うが、尺とは30㎝の事である。そして、この30㎝を越えたイワナを「尺イワナ」と呼び、特別な響きを持たせるのである。渓流釣りをしない人には、「たった30㎝を越えたからといって、そんなに嬉しいのか?」と思うかもしれない。しかし、実際に渓流釣りをやってみると、なかなか30㎝を越える魚は釣れないのである。かなり大きく思えても、実際に計測すると29.5㎝とかだったりするのである。だから、30㎝を越える魚を釣り上げることは、渓流釣りをする人にとってそれはそれは大きな目標なのである。だから、釣り人が
「良いサイズの魚が釣れましたよ」
と言った時、それは30㎝は越えなかったということなのである。30㎝超えた魚を釣った人は、
「尺イワナを釣りましたよ」
と”尺”という言葉を必ずつけるからである。30という数字は渓流釣り師にとって永遠の数字なのである。
コメント
記事とは関係ないのですが・・・
先日、現行ディフェンダー90白をみかけたのですが
ナンバーが「・・80」
90ではなく80
ディフェンダーと関係のある数字なのか、全く関係ないのか、よっぽど信号待ちで停まったら聞いてみようと思いましたが、その機会なく別方向へ。
ずっと気になっています。
ayuさんのコメントを読んだら防人も気になって仕方ありませんよ。自分自身の以外の約数の和は90が144、80が106で関係ないか。因みに、110の約数の和は106で80と同じなんだなあ。(130-80)+(110-80)+(90-80)=90とかになるけど関係ないか。80年代生まれ?ロナウジーニョの背番号は80で、このディフェンダーに乗っていた人はロナウジーニョのファン?ロナウジーニョはディフェンダーじゃあなかったよねえ!。血圧が上が110で、下が80?この人の名前が八卷大次郎とか?おーいッ!一体何なんだぁー!気になって寝られない。
約数の和なんて防人さんらしい考え方ですね。
ロナウジーニョは背番号80なのですね。
背番号で思い出しましたが、ディフェンダー90は最初の頃、ラグビー関連でプロモーションしてましたよね。
何か関係がないのだろうか???
ランドローバーのHPでこんなのを見つけました。
「SMART OWNERSHIP FREE 80 PLAN」
https://www.landrover.co.jp/offers-and-finance/finance_product/new-smart-ownership-free.html
要は残価設定ローンです。
なぜこの名称なのかは分からないですが、残価設定ローンなら所有権はディーラーのはずなので、ディーラーがすぐ区別できるように 80 PLAN にちなんでナンバーを 80 にしたのではないかと。
自分がオーナーだったら、残価設定ローンですよとアピールしている車には乗りたくないので可能性は低そうですが。
あとは ウルトラマン80 が大好きだとか。
でも、ウルトラマンなら M78星雲 の 78 にしますよね。
ちなみに、M78星雲が有名ですが、L77星という設定もあるそうです。
昔、ウルトラマンレーシングとして鈴鹿の8時間耐久に2台エントリーがあった時、ゼッケンが「78」と「77」だったので不思議に思い聞いたら教えてくれました。
渓流釣り師にとっては30が、そのホワイトディフェンダーの人にとっては80が重要だったということでしょうねえ。ウルトラマン80はあり得るかも。残価設定ローンの80は嫌ですねえ。「77」、「78」、「80」はウルトラマン数と読んでもよさそうですね。関係ないことですが、「57」は合成数ですが、20世紀の巨人(天才数学者)グロタンディークが素数と間違えてしまったことにより、数学の世界で「57」はグロタンディーク素数と呼ばれています。防人としては、やっぱり、80を足したり引いたり掛けたり割ったりする美しい式の中に90と密接に関係するものがあるのではと思ってしまうのです。うーむ、今まで80という数字を意識したことはほとんどなかったですねえ。90もそうなんだけど、ディフェンダーの世界に入って90、110、130が気になるようになったのでした。80、80、80、・・・一体何があるんだろう。