Defenderピヨピヨ日記(NO32 娘とのサイクリングと上田のフレンチレストラン ”ル ポタジェ”)

Defender購入後日記

 去年のGWは盛りだくさんで、さきもりちゃん(我が家のディフェンダー90)と共に2000㎞くらいを走り抜けた。そのさきもりちゃんもエンスト症状が改善されず、二度目の長期入院中である。そんなこんなで、今年は名古屋周辺を自転車でウロウロする以外はほぼ出かけずに家に生息していた。

 がッ、しかし、別荘の開栓は毎年の行事として行かねばなるまい。そして、行ったなら上田で学生生活を送る娘を誘い出して、美味しい夕飯でも食べようという妄想が湧き出してくるのだ。早速、上田周辺のレストランを調べていると、フレンチレストラン”ル ポタジェ(Le Potager)”を発見!「ここはいける」と直感が僕に訴えかけてきたので、早速予約。娘にそのことをLineすると容易く釣れてきた。娘を釣るのはセレクティブなアマゴを釣るよりはるかに簡単だ。

 いつも懸垂をする平谷の道の駅は、さすが、GWだけあって色々な車が停まっていた(泊まっていた!)。お風呂もあるので車中泊の人たちが多いかな。
 八ヶ岳高原ライン(県道11号線)のまきば公園の所から見た富士山が絶景だったので、思わず車を停めて写真撮影。日本に住む人にとって、富士山は心のよりどころだね。
 お次は平沢峠(平沢山、飯盛山への登山口でもある)からの八ヶ岳の眺め。ここから見る八ヶ岳はギザギザで防人にとって典型的な眺め。
 こちらは上田から眺めた八ヶ岳。ギザギザ感がなく、穏やかに山がつながっている。もっと、佐久の方に移動すると二ヶ岳、一ヶ岳へと変貌する。見る場所により表情を激変する山。
 別荘の開栓作業も終わり、掃き掃除、拭き掃除も終えて、やっとくつろぐ気分となる。これから、午後は電気屋さん、ガス屋さんがやってくるので、それまでの間は鳥のさえずりでも聞きながら数学の計算!クゥーっ、俺って風流!(現実は、大爆睡で計算どころではなかった)
 電気屋さん、ガス屋さんも帰ったので、積載して行った自転車でサイクリングをした。八ヶ岳と言えば高原野菜。至る所でトラクターが元気に立ち働いていた。八ヶ岳から川上村まで降下したので、行きはよいよい、帰りは…。過酷なヒルクライムが待っていた。

 初日の開栓、掃除、ガスの点検、電気のアンペアを下げる作業は無事終了し、別荘で一夜を明かし、翌日は八ヶ岳から上田に向かう。国道141号線を小海、佐久穂、臼田と駆け抜け、国道142号線に乗り換える。浅間山の雄大な景色に見惚れていたら、途中、曲がるべき場所を間違えて(防人は機械音痴なためナビは使わない主義である。実は単に使えないだけ)、信じられないような狭くクニャクニャの道に導かれてしまった。しかし、山の形状から方向は正しいので、ひたすら右に左にステアリングを切り続けると、どうにかこうにか丸子(上田の近くの町)に到達できた。上田で娘と自転車をピックアップし、信州国際音楽村の駐車場に代車ディフェンダー君をデポして、サイクリングを開始した。これは、夕飯の前に運動をして、よりおいしくご飯を食べようという魂胆から生み出された計画なのである。

 臼田からの浅間山の眺め。富士山、八ヶ岳、浅間山と火山を愛でる旅だ!
 信州国際音楽村の公園駐車場。ここからサイクリングスタート。

 娘の説明では、まずは浅間サンラインより上側の集落の道をクニャクニャ走って、小諸まで行き、帰りは千曲川沿いの道を戻ってくる60㎞くらいのコースとのこと。名古屋で言うと、犬山往復くらいのコースなので、「これはポタリング気分ののんびりサイクリングだなあ」と気楽な気分で出発!がッ‼

 千曲川に沿って築かれた河岸段丘は急傾斜を極め、それを乗越たとしても、今度は浅間山のすそ野が立ちはだかる。ひたすらクライムアップ、時にダウンするが、再びアップの繰り返しに防人は汗だくである。一方、娘はどうも大学で自転車学を専攻しているようで、技術、体力ともに飛躍的に伸びていて、もはや父親とは雲泥の差となっていた。のんびりポタリングポタポタ気分が、一気にド根性巨人の星的トレーニングモードとなってしまった。その上、この日は30℃という気温で、日差しが容赦なく照り付けて来て、防人の体力を奪っていく。ピヨピヨ状態となって、娘には憐みの視線を投げ掛けられながら小諸城に到着。娘の後について小諸城に入っていくと、入り口の料金所の手前を左折し、主郭に向けて入る気配はない。娘が進み降りていく先には昭和な遊園地と動物園が!

「オーイッ!お父さんを置いて行かないでくれぇ―イっ‼」大学のチャリ部で鍛え上げられた娘のヒルクライム能力は凄い!
 浅間山に沿って一番標高の高い道をギザギザとサイクリングする。まだ真っ白の北アルプスが見える(黄色線内に見えるはずなのだが…)。
 GWの浅間サンラインの車通りは激しい!ここもひたすら登りだよ。
 浅間山の方からかなり降ってみたら、小諸城に到着した。フジ棚がきれいだなあ。
 小諸城の主郭に行くものと娘の後をついていくと…。
 なんと、遊園地に案内されてしまった。
 なんと、ジェットコースターに乗ることになってしまった。防人は長島スパーランドのホワイトサイクロン(今はない)に乗った時、死ぬかと思った。
 このジェットコースターは足でペダルをこいで、水平なレールを移動していくという平和的ジェットコースターだ。しかし、線路は細くて横転しそうで、防人には怖い乗物だった。

 結局、懐古園、小諸城主郭、藤村記念館など小諸ならではの所へは全くよらず、千曲川沿いの気持ち良い道を戻ってきたのだった。夕飯の予約時間まで時間があったので、フジがきれいに咲く神社の木の下で、コーヒータイムをして、娘によって施された激しいトレーニングの疲れをとる。娘には

「自転車学もいいが、これからは学部なんだから少しは本業の学問にも時間を割きなさい」

と父親らしき説教もしたりしているうちに、時間が来たので音楽村に向けて最後のヒルクライム!

 藤棚が美しい神社があったので、コーヒータイム。
 これから、信州音楽村への最後のヒルクライムがあるので、しっかり休息をとる。

 娘のハイペースに必死についていこうと頑張ったため、思いのほか早く音楽村に到着してしまった。予約時間の6時まではまだ、30分以上あるので、代車ディフェンダーの隣でポヨヨンとしていると、知的な雰囲気のご夫婦が通りかかり、ディフェンダーを眺めている。ご主人が僕に、

「ランドローバーのディフェンダーですね。いいですね。京都からですか?」

と話しかけてきた。

「イヤー、わがさきもりちゃんは入院していまして、これは代車なんですよ」

的な説明をすると、その方も1979年生まれのレンジローバー(ということは初代レンジか!凄いっな)に乗っているようで、中古で購入して16年目のようだが、最初の3~4年はよく壊れて大変だったらしい。

「車によって成長させてもらいました」

というセリフを聞くに至っては、ご夫婦の背後から後光が差しているような、天使様を見るような気分となる。

「最初の頃は、よく壊れて、その度にショップの人に文句を言ったり、奥さんも怒ったりしていたけど、最近は壊れなくなったので、穏やかなカーライフを満喫しています。車の年齢も44歳になりましたが、いまだ元気ですよ」

とのこと。ウームッ!ランドローバーの車との付き合い方はこのように悟らなくてはいけないものなのか。ただ、1970年代の車であれば壊れるというのもわかるが、こちらは2024年の現代において、新車で購入した車が年間3回もエンストして、現時点で5カ月以上入院しているのである。代車は出してもらっていると言っても、自分の車に5カ月以上も乗れないでいるのはどういうものか。まあ、これも防人を成長させるべく、車の神様がお与えになられた試練なのだろうか。ご夫婦とはしばらく車談義で盛り上がり、

「また、どこかの町でランドローバーの車同士ですれ違った暁にはヨロシク」

と言って別れの挨拶をし、いよいよ待ちに待った夕飯タイムだ。娘によって過酷なトレーニングをやらされたため、とてもお腹が空いた状態で(娘も腹ペコのようだ)、音楽村の隣にあるル ポタジェに滑り込んだ。

 音楽村に到着。写真左端中央に代車ディフェンダー君が見える。
 レストラン ル ポタジェの駐車場からは、今日サイクリングしてきた浅間山、小諸方面の景色が素晴らしい。
 丘の上の見晴らしの良い場所に建つお洒落な建物。これが今夜のディナーでお世話になる"ル ポタジェ"だ。
 色々な野菜が重層的に組み合わさっていて、色々な香り、味が楽しめるサラダからスタート。
 茄子、カキ、アスパラガスとホワイトソース!ホワイトソースがとても美味しかった。
 ゴボウのポタージュ。ほのかなゴボウの香りが心地よかった。
 下敷きの山菜はマスターが裏山で採ってきたものらしい。高知産の鯛の上には信州のワサビが泡状にされて付け合わされていて、ほのかなワサビの香りと共に味わうことできる逸品だ。
 信州牛のヒレステーキ。これを食するに至ってはたまらなくご飯が欲しくなり、思わず注文した(娘も注文)。美味しいステーキとご飯との相性は抜群。ソースもご飯によく合う。
 デザートはチーズのババロアと抹茶ソース。僕はコーヒー、娘は紅茶でコース最後の余韻と窓からの夜景を楽しむ。
 食べ終わる頃には、夜の帳が降りて来て、店はライトで美しく輝く。ここからの上田・小諸の北國街道沿いの夜景は素晴らしい。

 コース料理はどれも美味しかったが、最後の信州牛のステーキを食べ出したら、どうしてもご飯が食べたくなってしまった。もちろん、パンは配られていたのだが、ほのかに醤油(多分)が香る味付けはどうしてもご飯なのである。ご飯を注文しようとしていると、娘は恥ずかしいらしく、顔を机に伏せている。マスターが気が付いてテーブルの所に来てくれたので、

「どうしてもご飯が食べたくなって!

というと、マスターは

「僕の師匠がよく言っていましたよ。”料理のソースをパンでこぞって食べる訳だから、それをご飯でやって何が悪い”てね。だからね、僕はどんどんご飯を食べてもらいたいと思っているんですよ」

とのこと。すると、あれだけ恥ずかしがっていたのに、ちゃっかり娘もご飯をオーダーしていた。一般のフランス料理屋さんではフランスパンで食べるものという雰囲気が漂っていて、ご飯自体がメニューにないことも多いのだが、このル ポタジェではご飯を気楽にオーダーできるのだ。それにしてもフランス料理のメインデッシュをご飯とともに食べる幸せ。防人はご飯が大好きなのである。ウィンナーひとつでごはん2~3杯は行けてしまうタイプだ。その上、このレストランのご飯は炊き方はとても美味しいのである。だから、この時も何杯もお替りしたかったが、流石に年頃の娘が恥ずかしがるので断腸の思いでやめておくことにした。美味しいコース料理、ご飯とともに食したメインデッシュ、夕方の浅間山の景色と夜の北國街道沿いの夜景、すべてを満喫し、娘を上田の下宿に送り、名古屋に向けてステアリング切ったのは8時過ぎだった。

 娘による過酷なトレーニングのおかげで、途中の木曽駒の道の駅で爆睡し、名古屋に着いたのは次の日の午前2時だった。明日、じゃなかった、今日から仕事だ!早く寝るべェーッ‼

《追記》GWが明けて、職場で休日中の話で盛り上がった時、音楽村で出会った初代レンジ乗りの人の話題になり、僕が

「車に育ててもらいました」

という発言に感動したということを言ったら、周囲の人は

「意味わからない!車に育ててもらう必要ないと思います。車はエンストせずに安全に走ってなんぼでしょッ。故障に育てられる必要ないんじゃあないですか」

と言われ、人によってこうも価値観が違うものかと思い知らされたのだった。防人としては圧倒的に音楽村で出会ったレンジ乗りの人の価値観に近いはずなのだが、入院期間が長くなり、日頃職場や奥さんの価値観に接していたりすると、心の針が振れ出すのである。「イギリス車は故障が当たり前」と思える時もあれば、「こんなにも長い間自分の車に乗れないのはおかしいのではないか!救済処置をしてくれ」と思ってしまう時もあり、心の針が揺れ動くのである。一体、防人の心の針はどちらに収束していくのだろうか?永遠に収束せず揺れ動くのだろうか?

 もし、さきもりちゃんが無事治り、ディフェンダー生活が10年以上続き、ブログもその時まで続いていたら、きっと、偉そうに「英国車との付き合い方」なんていうテーマでブログを書いている防人がいるに違いないことだけは確かだ。かなり確率の低い仮定の連続であるが、そのような時は、現在のピヨピヨ状態のことはとうに忘れて、「ディフェンダーという車はねぇー!」なんて上から目線のブログになっていることだろう。ブログのタイトルも「ピヨピヨ日記」改め「ディフェンダーと奏でる英国ライフ」なんていうキザなものになっているに違いない。

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