人は皆宿命を背負って生きている。宿命は変えられない。松本清張の”砂の器”によれば、「宿命とは生まれ出ること」らしい。各自が背負った宿命は人それぞれだが、ここで、すべての人に等しく訪れる平等ともいえる宿命がある。それは不意に便意を催すという宿命だ。会議の時、講義の時、劇や映画を見ているとき、それは容赦なく襲ってくる。みんな、これらの不意打ちは確率論的なものと捉えがちだが、それは間違っている。これらは生れ出でたときから決定論的に定められた抗しがたい宿命なのだ。付き合い始めた彼女が、下宿に来た時、この宿命に従って便意を催してしまうと大変だ。それとなく、
「箸がないみたいだから、ちょっとコンビニに買いに行ってくるわ」
と言って、イソイソと下宿を出ようとすると、
「お箸ならここにあるわよ」
なんて言われてしまうと、惚れ込んだ彼女の顔が鬼に見えてしまうものだ。
「お箸以外にも色々とあるから…」
などとしどろもどろのやり取りをして、下宿を抜け出し、コンビニのトイレに直行。そうい時に限って、おっさんによってトイレがoccupied(占有)されていたりすると、もう殺意を通り越して時の流れに身を委ねるしかないという、神の視座に一歩近づいた感覚になる。しかし、これらはあくまで町の中である。状況はどうあれ、最悪、近くにはトイレがあるのだ。ところが、これが山の中だとどうだろうか。本当に未開の地だったり、黒部の上之廊下のように選ばれし人のみやってくる場所であれば、割と気兼ねなく野外で行為(これを山言葉で”キジ撃ち”という。大便をオオキジ、小便をコキジと使い分けることもあるようだが、一般的にはキジ撃ちと言えば野外での大便だ。あくまで男性に使う言葉。間違っても女性に使わないように!猟師がキジを撃つとき、茂みにしゃがみこんで狙う姿が排便行為に似ていることから名付けたのだろう)に移行できる。しかし、鈴鹿山系くらいの有名な山で、登山初心者的な人も来るところでは大変だ。見られない場所まで移動して行為に及ばなくては、初心者を幻滅させてしまうかもしれないし、最近は若い女の人も多いのだ。内緒にしていたのだが、実は鈴北岳・御池岳縦走の時に抗しがたい便意をもようしてしまい、白状すると”キジ撃ち”の行為に及んでしまっていた防人である。昔、奥さんとイオンに行くとキジ撃ち、じゃなかった、トイレに必ず行きたくなっていたのだが、それは2~3年くらい続いたと思う。今回はイオンではなく、山に行くともよおしてしまうというフェーズに転移してしまったのかもしれない(これを物理の専門用語では”相転移”という。ちなみに、僕は大学院で相転移の研究をしていた)。今回の登山では、この状況が大きな試練を僕に与えることになったのだ。

宇賀渓の駐車場に到着。平日ではあったが7~8台の車がすでに停まっていた。登山準備中にも2~3台の車が到着して、人気の高さを痛感する。さきもりちゃんと別れ、登山道へ向かう。

駐車場(料金は500円)横には食堂があり、食事やCafeタイムを楽しめるようになっているようだ。アーチ型の屋根(右側)の下を抜けて、川沿いの林道を歩いていく。
水曜日の朝5時半に家を出て、鈴鹿山系竜ヶ岳の登山口である宇賀渓を目指す。東名阪四日市インターで降りて(考えてみると、新名神の菰野インターで降りた方が賢かった)、国道477号、306号を経て、石榑峠-永源寺に向かう国道421号に入り、すぐに宇賀渓に到着。ドアパンチされないように、さきもりちゃんを少し離れたところに停めて登山開始。今回は何故竜ヶ岳かというと、10日ほど前に石灰岩質の鈴北岳・御池岳に登山して、ヒルに食われた(名古屋の家まで連れて帰ってきた)ので、今回はヒルの少ない花崗岩質の山に登ろうと思ったからである。鈴鹿山系は北部が石灰岩質、南部が花崗岩質となっていて、丁度その境目が藤原岳と竜ヶ岳の間なのだ。だから、竜ヶ岳であれば少しはマシだろうという判断になったわけだ。

竜ヶ岳へは右方向のアーチ型の屋根(ひとつ前の写真参照)を抜けて行く。今回は、宇賀渓→遠足尾根→銚子岳分岐→静ケ岳→銚子岳分岐→竜ヶ岳→重ね岩→石榑峠→小峠→長尾滝→五階滝→魚止め滝→白滝→遠足尾根分岐→宇賀渓 というルートを選んだ。

名古屋大学理学部の地震観測所。

林道から遠足尾根に向けての分岐点。

人工林の中の急登を汗だくになりながら行く。石灰岩地域なので、ヒルに注意しないとね。

石灰岩が露岩した岩山より竜ヶ岳方面を眺める。まだ先は長い。

遠足尾根に乗越すと傾斜は緩くなり、気持ちの良い尾根歩きとなる。

遠足尾根上部は自然林の中の気持ちの良いトレイルが続く。

樹林帯を越えて、視界が開けるようになる。

景色を楽しみながらのんびり登る。

左手に藤原岳を眺めることが出来た。

歩いてきた遠足尾根を振り返る。

竜ヶ岳方面に向かう登山道から右折して、まずは静ケ岳を目指す。

同じ稜線歩きでもこちらは樹林帯の中を歩く。竜ヶ岳方面に比べて踏み跡は不鮮明。

この辺りでお腹がゴロゴロ鳴り出す。前途に暗雲が漂い始める。

静ケ岳への登り。このころにはすべての景色が茶色、黄土色に見え始める。もはや、一刻の猶予もない。
宇賀渓に沿った林道を10分ほど歩き、遠足尾根への急登に入る。この辺りは石灰岩質なので、ヒルはいるのかもしれないので、休息は取らず、急ピッチで駆け上がる。汗が噴き出すがこれが気持ちが良い。僕としては、下りより登りが好きなのだが、これは、登山でも自転車でも同じだ。下りは制動をかけないと大けがにつながる可能性があるし、足が笑ってしまうことも度々起こるのに対して、登りではそのようなことはなくひたすら攻めて行けるところが好きだ。30分ほどで急登を詰め上がり、遠足尾根へ乗り上げる。その後は尾根歩きだが、ほどほどなアップダウンが続く。汗は吹き出したまま、尾根上を30分ほど歩き続けると、突然視界が開け、樹林帯がなくなり、笹原が展開するようになる。左手には四日市、桑名方面の景色、右手には高山植物で有名(ヒルの多さでも有名)な藤原岳を眺めながら気持ち良く高度を稼いでいく。そして、駐車場を出発して1時間40分後、静ケ岳・銚子岳・藤原岳方面への分岐点にたどり着いた。今回は静ケ岳にも寄ってみようと思ったので、躊躇なく静ケ岳方面の登山道に右折する。メインな竜ヶ岳登山道に比べて通る人は少ないのか、草に覆われていたり、狭かったりと少し歩きにくい。しかし肉体的な疲れはなく、精神的には攻めの姿勢である。右折して10分くらい経ったろうか、尾根伝いに降下してきて、これから静ケ岳への登りに入る頃から体調の変化を感じ出す。お腹がゴロゴロしてきて、なんだかいやな予感がする。そして、静ケ岳にたどり着くころには緊急事態宣言を発令することになった。こうなると、登山どころではない。吹き付ける風、注ぐ日の光、周囲の景色、鳥のさえずり、すべてが黄土色一色に転移する。もはや人生すべて、これからの未来すべてが黄土色だ。これを解決する唯一の方法はキジを撃つしかない。登山道から外れ、人目につかない場所を探してさ迷い歩く。完全に安心できるプライベートゾーンを探して、冷や汗を吹き出しながら山中を放浪する。TBS版”砂の器”の千住明作曲”宿命”が脳内に鳴り響く。そして、意識が遠のき出したその時、ナイスな岩場を発見した。岩場を5メートルほど降下したところに、棚状台地があり、そこであればまず稜線を歩いてきた登山者に発見されることはないと思われた。リュックを置いて、トイレットペーパーを持ち、岩場を冷や汗をかきながらクライムダウンして、その狭い台地上の岩棚にたどり着いた。そして、それまでこらえにこらえてきた抑圧されたわが身を開放し、恍惚状態となり、至福の時を過ごした。その後、最終処理のため、トイレットペーパに手を伸ばしたのだが、微妙に届かない。そこで、少し無理した体制でトイレットペーパーに人差し指をかけてチョコンと突っついたのがいけなかった。その衝撃で、トイレットペーパーはころころと斜面に沿って回転運動を開始し、僕の目の前を素早く、僕の脳裏ではスローモーションのようにゆっくりと、転げ落ちていく。止めようとする僕の手をすり抜けてはるか数十メートル下まで転げ落ちて行った。その運動を見て、「ああ、今自分はこんな急斜面で事に及んでいたんだなあ」と感慨にふけり、しばし自分の身体能力の高さに酔いしれていたが、ふと我に返り、「この後、俺はどうすればよいのか」という現実的問題を突き付けられることになった。トイレットペーパを追ってこの斜面を降下するのか?ザイルがないのでそれは無理だ。そのままズボンをはくのか?最終処理していないわが身ではそれも無理だ。と言うことは、この岩棚で浅はかだった我が身を責め、不動の状態のまま白骨化していくのを待つのか。必死に思考をめぐらすと、昨日、トイレットペーパーが残り少なくなっていたので、新しいやつをリュックに入れてあることを思い出した。そう、5メートル上のリュックの中にはトイレットペーパーがあるのだ。100m下のトイレットペーパか5mクライムアップしたところのトイレットペーパーかどちらを選ぶかとなれば、それは上だろう。意を決してクライミングを開始。しかし、最終処理していない我が身なので、クライミングの基本である足を使うことがあまりできない。あくまで足の角度は固定したまま、懸垂的要領で登るということを余儀なくされた。しかし、これは日頃通勤途中で鉄棒による懸垂訓練を欠かさず行っている防人だから出来ることなので、一般の人はマネしない方が良いだろう(マネする人はいないか)。登り切って、岩の間から顔を出して周囲の様子を確認すると、登山者らしき人影はない。安心して、登り切って、リュック内にトイレットペーパーを見つけ出し、やっとのことで最終処理完了。ほっと一息ついて、先ほどの岩棚を見ると、なッなんと!自分の短パンとパンツが岩棚の所にチョコンと置きっぱなしになっているではないか。慌てていたので、一緒に持ってクライムアップすることまで神経が回らなかったのだなあ!仕方がないので再びクライムダウンするが、今度は足を十二分に使えるので、ヒールフック、トゥーフック、フラッキング、…なんでもありなので、極めて安全に降りて行ける。岩棚にたどり着いて、ズボンをはいてやっと落ち着いた状態になった。再びクライムアップし、リュックを背負い、登山道に復帰したのだが、「一連の過程をほかのだれかに撮影されていて、それをユーチューブ動画とかにアップされたら、再生回数100万回とかなって有名人になっていたかもしれないな」などと考えながら、元の竜ヶ岳への登山道に戻って、竜ヶ岳山頂を目指す。しかし、緊急事態の連続で、精神的に疲れ果てたのか、ペースがいまいち上がらない。情けないことに、少しバテ気味で竜ヶ岳山頂にたどり着いた。

遠足尾根を振り返る。ここに来るまでに、大きな試練を経ているので、少し大人になった気分だなあ。

県境稜線(三重県と滋賀県)から後ろを見ると、中央奥が藤原岳、右方向に延びるのが遠足尾根だ。

いよいよ竜ヶ岳に向けて最終の登り。なんだか、パワーが出なくなった。

竜ヶ岳山頂(1099m)に到着。周囲は遮るものがないので、最高の見晴らしだ。

山頂より長尾滝あたりに降りる中道登山道。

南部の釈迦が岳、御在所岳方面を眺める。

昼飯は、銀座のハヤシ、エビのマヨネーズ和え、ポテトサラダだ。お腹がスッキリしたので、腹減ったぞ。

景色を眺めながら、エスプレッソラテを作り、ガンガンに砂糖を入れて甘くする。それを飲みながら、景色を見て一時間ほどのんびりする。
昼飯はいつものような内容だが、山頂からの眺めの素晴らさが良きスパイスとなり、また、おかげでお腹もすっきりしていたので、いつも以上に美味しく食べることが出来た。食後は甘いエスプレッソラテを飲みながら、ウトウトしながら1時間以上のポヨヨンタイム。下山しようと立ち上がってみると、足腰が固まってしまっていて、しばし歩き出せない。ストレッチをして体をほぐし、石榑峠を目指し下山開始。石榑峠からは旧道に沿って宇賀渓に向けて降る。

石榑峠に向けて下山開始。三重県側の大崩落帯が稜線の登山道を蝕み、近江側の山腹をトラバースさせられることになる。

眼下に見える白いブチ上の部分は風化花崗岩の露岩だ。その向こうが石榑峠。

花崗岩の露岩。重ね岩。クライミングすると楽しそうだが、午前中の緊急クライミングで、もう僕にはそのパワーは残されていなかったし、コーヒータイムをする気力もなかった。

風化花崗岩の露岩地帯。本当に、滑りそうで危なっかしい。怖いからと腰が引けると更に滑りやすくなるので、思い切って前傾姿勢を取れるかどうかがポイント。

石榑峠に着きました。白いのは雪ではなく、風化した花崗岩だよ。ここにはトイレもあり、滋賀県側から来れば、駐車スペースもあるので、登山の起点として使うこともできる。

石榑峠名物コンクリートブロック。ここを通過できる車のみ峠越えが許された。パジェロ(インタークーラー2800)はギリギリ通過できた。現在は鎖がかけられ通行は出来ない。

峠を下ったところ(小峠?)の三重県側にもコンクリートブロックがある。脇から通過できるが、石榑峠までは道が狭く荒れているので一般車は行かない方が良いし、三重県側の石榑峠には駐車スペースがない。

コンクリートブロックを少し行くと、長尾滝方面に向かう登山道がある。ここから、登山道は沢を何度もわたり、滝を巡り、割と本格的な沢歩きが待ち受けている。のんびりルートではないので注意せよ。
旧道を下り、三重県側のコンクリートブロックが登場すると、その少し向こうから再び登山道に入る。この道は宇賀川に沿っていて、最終的には駐車場にたどり着くようになっていて、一般登山道なので、のんびり降れるだろうと高をくくっていた。しかし、現実に歩いてみると、沢のそばを歩き、何度も徒渉(川を渡ること)を繰り返し、堰堤脇を下り、滝を下り、崩落した登山道の脇の岩場をクライムし、…疲れ気味の体にはなかなか歯ごたえがあった。これ、釣とか沢登りしたことがない人には結構な冒険なのではないかなあ。兎に角、のんびり下山とは程遠く、汗だくになりながら下山しさきもりちゃんの待つ駐車場に到着したのであった。

花崗岩質の沢なので、ヒルの心配をせず、安心して水浴びを楽しんだ。

こんな感じの道が続くのかなあとのんびり構えていたのだが。

長尾滝脇の梯子を下り、ルンゼ状の急斜面を降りて、長尾滝の落ち口にたどり着く。梯子がなければ本格的な沢登だな。

再び水浴び。ここでは腰まで水につかり、今までの汗を洗い流した。とても気持ちが良かったが、その後の行程で再び汗まるけとなる。

長尾滝以降、登山道は宇賀川から離れかなり高いところを通る。途中、五階滝に遭遇するが、下の宇賀川に向けて強烈な落差をもって落ちていく。沢登り的にはかなり登攀技術が要求されそうだ。

巨岩帯のゴーロ。宇賀渓がこんなにも表情豊かな沢だとは思わなかった。昔、下流部を少し釣ったことがあったが、上流部は滝あり、ゴルジュあり、巨岩帯ありと、沢登り的に面白い川なのではないだろうか。

登山道のゴール地点ではつり橋が落下している。川をじゃぶじゃぶかと思ってよーく見ると…、

隣に丸木橋がかけられていた。これを渡って対岸を上がれば、宇賀渓駐車場に向かう林道だ。思いのほかボリュームある登山だった。

丸木橋からは白滝(中央奥)が見える。Cafeスポットして最高だが、コーヒー淹れる気力なし。

林道に上がって振り返ると、宇賀川の心地よい流れが。

林道を少し下ると、遠足尾根への入り口が。朝はここを登って行ったのだった。

さきもりちゃんと彼岸花。至る所に赤い彼岸花(時に白色も混じるが)が咲き乱れていた。
コメント
コメントしづらい話題ですね(笑)
最終処理無事完了お疲れ様でした。完全に山に登るともよおす習慣になってますね。
私は尻に教育してます。またはしつけしてます。
基本、外ではしない身体になっています。同じ時間にが、習慣になっています。たまに飲み会など普段とは違うと崩れる場合があります。その場合は事前調査でここが綺麗、空いてるなども事前調査済みです。新天地ですと開拓が毎回必須です。
山だと色んなリスクがあって大変ですね。
コメントしづらい内容にコメントありがとうございます。なるほど、尻にしつけですか。まあ、僕も仕事に行く前にということでしつけをしているのですが、僕の場合、仕事が午後からなので、昼前にというしつけになります。こうなっていると、登山に行っても、お尻君がしつけを忠実に守って定時に反応しているともいえるのです。まあ、兎に角、このような経験を積んでくると、トイレの概念がより抽象的立場で見られるようになり、周囲を壁で囲まれているだけがトイレではない、つまり、空間と言うものが実存すると、そこはトイレと定義してもいいのではないかと、サルトル的実存主義的立場?に傾倒している今日この頃なのです。