今回の話はピヨピヨ日記なのかCafe Lagrange晴耕編なのかよくわからないのだけど、まあ、一日中、さきもりちゃんといたので、ピヨピヨ日記かなあということで!
僕はオヤジ殿の本の整理を、毎月、1回(から2回、多い時は3~4回なんていう時もあったか)休みの日に、山梨の実家まで出向いて行っている。最初の頃はオール高速だったが、最近は下道も組み合わせてドライブを楽しんでおり、その時よく使うルートが国道153号線だ。この道は豊田足助から根羽村、平谷村、阿智を経て飯田に抜けるのだが、山の中を通るので道が適度にクニャクニャしていて運転のし甲斐がある。そして、何よりも、色々な川に沿って走ることになるので、釣り好きな僕としてはワクワクの連続なのだ。そして、毎回この川たちを眺めながら走っていると、「どうしても毛バリを投げ入れて、反応を見てみたい」という釣りキチの虫がうずき出してしまった。

ここに寄るからには、コメダのまろやかミルクコーヒーを買わないとね。

入川の支流に入る。気持ち良い林の中を沢が流れていて期待が高まるが…。
いつもより2時間ほど早く家を出て、国道153号を目指す。途中、ファミマにもよって、朝食のサンドイッチに加えて、こちらの方が重要だが、コメダのまろやかミルクコーヒーを買う。153号に入ると、まず、もみじで有名な足助町を流れる巴川、伊勢神トンネルを越えたところの段戸川、稲武町の名倉川、ブルベリーのケーキ屋さんを過ぎたところから道に沿って流れる(川を見入ってしまうので、危ない!)野入川、野入川が注ぎ込む矢作川、と次から次へと川が現れるが、どれも前日の雨で増水気味。
根羽村のネバーランド(道の駅みたいなもの)を越えて、平谷高原スキー場を過ぎると明るい雰囲気の平谷の集落にたどり着き、そこを平谷川(この川は下流で矢作川と合流する)が流れていて、今日気になっているのはこの川。平谷湖フィッシングスポットという釣り堀で遊漁券を買い、平谷川の支流の入川に入る。谷はやっぱり増水気味だったので(単にへぼくそだったので?)、1時間弱で1匹の可愛いアマゴが釣れたのみ。もっと谷を歩きたかったが、今日の目的は実家の本の整理である。潔く竿をしまってさきもりちゃんの所に戻り、山梨に向けてGo!

前日の雨で増水気味!しかし、朝の谷は気持ちが良い。

どうにか釣れてくれたチビアマゴちゃん。体側のパーマークが美しいね。

平谷湖フィッシングスポット。ルアー、フライ専用の釣り堀だ(餌釣りもできるのかなあ?)。家族連れや気の合う仲間同士で釣りに来た人々で賑わっていた。

道の駅信州平谷で冷え冷えのコメダのコーヒー牛乳を飲む。ここは「ひまわりの湯」というお風呂もあり、車中泊、キャンピングカーの人々に人気だ。駐車場も広いしね。
ところで、何故僕は実家の本の整理に毎月通っているのか?これは、オヤジ殿が集めた大量の本(児童文学の本がほとんどだ)を庭にある倉庫から室内に避難させ、棚に並べ、引き取り先を探すという作業をやらなければならないからだ。

本が積みあがっているが、同じ高さに積み上げられた本が奥に五列ほどあるのだ。

手前は英語、日本語、奥は英語、写っていないけど、左手の本棚にはフランス語の本。

廊下も本で埋め尽くされている。左下の所は大量の本が腰の高さまで積み上げられていてベットのようだ。
とにかく大量の児童文学書がある。日本語、英語、フランス語、ドイツ語、デンマーク語、アラビア語、中国語、…。サン・テグジュペリの『星の王子さま』なんかは原書とそれを翻訳した各国の訳本がすべて揃っているのである。これらはオヤジが若い頃から児童文学館を建てることを夢見て集めてきた本達である。
オヤジは若い頃、イワナ釣りに取り憑かれて東北や北海道の溪を狂ったように釣りまわった。その過程で、東北のある谷に惚れ込んで、そこに児童文学館(図書館)を建てる夢を見出したのである。文学作品を書いたり、翻訳を手掛けたりしていたオヤジは、この時から世界の児童文学作品の収集という新たな目標を達成するため、持てる限りの私財を投じて本の収集を始めた。本専用のアパートを借りて、本を運び入れ、我が家の居間や階段も本で溢れかえった。僕は小さい時から手を少し動かすと本に触れるくらい本に囲まれて育ったのだが、腰の高さまで積みあがった本は、僕にとって部屋の仕切りであったり、腰掛ける椅子みたいなものでしかなく、ほとんど読むことはなかった。高校二年の終わりに、たまたま、その本の山から抜き出して読んだのは児童文学とは程遠い「超高速粒子タキオン」という物理学の本だった。光より速い粒子があったらどうなるかを考察した本で、相対性理論だとか、虚数質量だとか、因果律だとかが出てきてなんだか格好いい。この本のおかげで(せいで)、当時僕は文系にいたのだが、理系に転向し理学部で理論物理学を学んでみようと決意したのだった。あれだけたくさんの児童文学書があったのに、英語の本(高校生が読むのにちょうど良い本も多数あった)もあったのに、たまたま手に取ったのは、それらではなかったのだ。何故、オヤジがそのような物理の本を買って持っていたのかは謎のままだが。
その後、父は、その谷の近くの村の村長さんと児童文学館建設に向けて話し合いを繰り返すようになり、建設に向けてかなりの段階まで話が進んでいたようである。我が家の本達もシールが張られ、ハンコが押され、図書カードが整備され、いつ搬入となっても大丈夫なような状況となっていた。そんな矢先、例の村長さんが選挙で敗れたのである。後任の新しい村長は、オヤジの児童文学館建設には理解を示したものの、理念の理解は置き去りにされ、その周辺一帯をレジャーランド化し観光開発に力を入れることに意欲を示してしまった。オヤジはイワナが沢山住むお気に入りの川が流れる谷あいの森の中に、ひっそりと児童文学館が佇み、そこに児童文学好きの人、研究者や家族が訪れ、世界の児童文学にのんびりと触れるようなことを考えていたので(しかし、これだと採算が取れないと思うのだが…)、新たな村長の提案にオヤジは激怒!児童文学館構想を白紙に戻しただけでなく、観光開発化構想も徹底的に反対し、すべて無きものにしてしまったのだ。そして、我が家に積み上げられた大量の本は、いつしか庭に並んで建てられた物置群に押し込まれ、劣悪な環境下で時間だけが過ぎ去るという悲しい状況になっていった。
2017年に母が他界、2020年に姉が他界し、家のかなりの部分に空きが出来たので、劣悪な倉庫から家の中へ本の救出作業ができるようになったのだ。東京からはオヤジのお弟子さんたちが助けに来てくれていて、毎回3~6人で作業を行い、一年以上本の整理を行ってきたわけだ。ここにきて英語の本は翻訳家のグループの人々が手分けして引き受けてくれて有効利用されるめどが立ったのだが、まだ、その他の言語の本や、更には日本語の本はめどが立たずどうしたものか!我々の作業は終わる見通しが立たないまま今後も続くのである。
本の整理が終わると、オヤジ殿も一緒にみんなで夕飯タイムである。汗をかいて、重い本を持ち上げたり下げたりして忙しく立ち働いた後の夕飯は格別である。今回はすべての山梨県民が知っていて、食べに行ったことがあるのではないかと思われる奥藤というお蕎麦屋さんだ。もちろんお蕎麦が有名なのだが、ここは鳥もつ煮がB級グランプリを受賞し有名。更に、ここの天丼は他では味わえない独特な味だと思っている。小さいころからここの天丼で育ったので、名古屋で、または、他の地域に行って天丼を食べてもなんか違うと思ってしまうのである。僕にとっての天丼はここ奥藤なのである。是非、山梨に行ったら奥藤に行ってみてほしい。

これが奥藤の上天丼だ。これと鳥もつ煮を頼むのが僕のパターン。オヤジ殿も93歳だが、この天丼を完食される。たまげたもんだぜ。

ここは甲府駅北口。正面は藤村記念館だ。僕が子供の頃は、武田神社(武田信玄がいた館跡)にあったものを移築して駅前に持ってきたのだろう。

帰りは国道52号をよく使う。富士川に沿って下り、峠もあり、なかなかドライブとしても楽しい。清水から東名に乗り、日本平のPで休憩した。
夕飯後はオヤジを家に送り届け、お手伝いの人を駅に送り、その後は楽しみの名古屋へ向けてのドライブだ。清水から東名高速に入り、日本平あたりで睡魔に襲われたので緊急停止。40分くらい寝て、その後は名古屋に向けて夜の東名をさきもりちゃんと走り続けたのだった。
ところで、本の整理をやっている期間は2023年6月時点で1年半弱ぐらいだ。姉が他界したのが2020年だったのでかれこれ3年が経過したことになる。ということは、最初の1年半は何をしていたのか?悲しみに暮れてぼうっとしていたのか。いや、我々は姉が他界した2020年直後から過酷に家の整理をし続けてきたのである。姉の死後、彼女が生活していた家の中には、膨大な量の衣類、それもほとんどは箱に入ったまま天井まで積み上げられていたし、100着以上の袖も通していない大島紬の着物たち、新品のなん十足もの靴、何箱も積み上げられたコンニャクゼリーや健康食品、レコード、CDそして姉の集めた本、極めつけは、死後1カ月以上たっても送り付けられてくる多岐にわたる料金の請求書、督促状、訴状、…。僕らはそれらと戦っていたのだ。足の踏み場もなく積み上げられた購入商品の山と戦っていたのだ。その戦いに1年半が費やされたのだ。次回の山梨編ではこのことを書いてみたいと思う。
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