娘の引っ越し二日目は、朝からニトリ、イオンタウンを回り、必要品をそろえる。ニトリでは両親と大学一年生らしき子供と三人で買い物している光景をあちらこちらに見かけた。みんな新生活への期待へ満ち溢れ、親としてはうれしさの反面、悲しさも抱えつつ、買い物をしているのだろうなあ。僕も明日からは娘ロストの深い悲しみにはまり込んだりして。今まで、山城とかの帰りに色々なロールケーキを買って帰ったのも、娘の喜ぶ顔を見るのが楽しみだったからだし、数学や物理の質問に答えたりしていたからなあ。年頃の娘は父親との会話がなくなるというけれど(職場の人は娘さんが小学校二年生から結婚するまでほとんど会話を交わしたことがなかったと言っていたっけ)、我が家はそのようなことがなかったので、やっぱりロスト状態になるかも。そうならないためにも、フジホワイト塗装のサイドマウントギアキャリアーとエクスペディションルーフキャリー装着の妄想を実行に移す計画を練らないと。まあ、この計画は既に進行中である。この引っ越しで荷物の積載が大変だったこと、一年後、教養部が終わると娘は再び引っ越さなくてはならないのだが、その時は確実に荷物が増えている。それがサイドマウントとルーフキャリアがあると積載量が(劇的に?)改善され引っ越しもスムーズにいく(本当か?結局ハイエースレンタルだったりして)ことを奥さんにアピール中であるのだ。奥さんもディフェンダー資金(埋蔵金をすべて使ったわけではなく、ローンにしたのでまだ残っている。しかし、そのお金をここで使ってしまうということは、ローンに充てるお金は一体どうなるんだローン!まあ、先のことは気にしても仕方ないか。人生は瞬間を大事にだ)でやってくれるのなら構わない雰囲気なので、納車時に諦めたこれらのオプションは近いうちに装着できるであろうと思う。ウッフフフッ!

午前中はニトリ、イオンタウンで娘の一人暮らしの買い物をして、さきもりちゃんに運搬をしてもらう。

長野県の史跡の針塚古墳。その背後の山が、今日の目的地の林大城(はやしおうじょう)

この古墳の公園にさきもりちゃんを駐車した。ここから歩いて10分くらいの所に登城口がある。

それにしても、すごい数の曲輪が連続しているね。まるで階段のようだ。今まで山城は100以上行ったけど(ここはちょっと自慢節。マウントを取りに来ているのだ)、ここまで曲輪が棚田のように重なっているのを見るのは初めてだ。所々に僕の大好きな堀切がある。堀切の中にいるとなんだか落ち着くのだ。今度、堀切Cafeなんてどうだろうか

登城口は春の気配に包まれていた。
その後、娘の下宿に戻るが、僕とトクチンはすぐに奥さんから解任されたので、二人で林城を目指す。林城の近くには針塚古墳というのがあって、そこが公園化されていて駐車場がある。そこにさきもりちゃんを停めて、いざ、林城に向けて進軍開始。”アルプス展望しののめのみち(県道297)”に出て、少し歩いて金華橋を渡って薄川を越えたところに登城口発見。ちにみに、薄川に沿っては桜の木が植えられていて、それは見事な景観だった。その向こうには松本市、安曇野、北アルプス、…信州はいいなあ!フライフィッシングに適した川にもすぐに行けるし、登山もやりたい放題だし、サイクリングしても気持ちいいし、スキーもあるか。ふと、登城口の地面に目をやると、水仙が咲き乱れ、頭上には桜の花が。春真っただ中のおもてなしに気分は高揚する。これから我々が登城する林城(林大城:はやしおうじょう)は信州守護小笠原氏の本城であるが、ところで小笠原氏とは一体誰?ネットでゴソゴソ調べていると、わかりやすいブログを見つけたので、勉強させてもらった。
小笠原氏については、山根一郎氏のブログに詳しく書かれているので、そこを読むと全体像が分かる。以下はそのブログから抜粋させていただいた。とても分かりやすくて参考になった。
清和源氏の一族小笠原氏は、源平の戦いから戊辰戦争まで、700年にわたる武家の時代を端から端まで生き抜いてきた数少ない家系であり、鎌倉幕府創設期の有力御家人(長清)、室町幕府時代の有力守護大名(貞宗~)、そして徳川幕府の信任厚い親藩大名(秀政・忠真~)としてそれぞれの武家政権の創成期を支えてきた。 しかもその間一貫して弓術馬術から武家礼法までの武芸の家元を通してきた、名実ともに武家の名門である。
なるほど、こんな武家の名門を知らなかったとは僕としたことがお恥ずかしい。まあ、理系馬鹿だから仕方ないか(いきなり開き直り)。よく整備された登山道を登って行くと、尾根筋に出たところから、遺構が点在し始める。連続する曲輪群、尾根筋の進軍を防止するために規則的に堀切が施されていて、中世城郭の典型的遺構が…なんて書いてみると、防人さんは城のことがよくわかっているなあと感心されるかもしれないが、実はあまりよくわかっていないのだ。この林城の遺構の保存状態は極めてよく、よくわかっていない僕でも十分興奮することができたので、近くをツーリングした時はちょいとのぞいてみてはどうだろうか。この地域には林城以外にもたくさんの山城があることが分かったので、これから、娘の所に来た時にはちょくちょく見て回ろうと思う。山の一番高いところが主郭になってい、そこの土塁に腰掛けて、来るときに買ったアンドーナツとおーいお茶で三時のおやつタイム。すると、中さんからラインが入り、「54歳の誕生日おめでとう」とある。アッ!すっかり忘れていたし、家族のだれも、隣にいるトクチンさえ覚えていないとは何たることか。それを中さんから知らされるとは。そういえば、去年は次の日(2022年4月3日)に、京都に試乗にいって、その一週間後にはさきもりちゃん(Defender90)を契約したのだった。中さんには「54歳ではない、28(僕の好きな完全数)歳だ」と返し、お誕生日プレゼントをどうしようかと考え始めるが、あるではないかあるではないか!フジホワイト色に塗装されたサイドマウントギアキャリアーとエクスペディションルーフキャリアーが!決まりだ‼早速、M田さんにオーダーのメールを打って完了。またもや中さんに背中を押されてしまったなあ。持つべきものは悪友だね。

竪堀跡かな!

これは堀切Bだね。

連続する曲輪群。

お次は堀切Cだ。

堀切D?

土塁で囲まれた平場。正面の石段は明治時代に主郭(しゅかく)に建てられた古峯神社(ふるみねじんじゃ)の参道として造られたものらしい。本来主郭の石垣に使用されていた石材が転用された。

詳しく説明がされている。

副郭から主郭への登り。

主郭に到着。

礎石かな。

主郭の背後にある石垣。

石垣の近くで、Cafe Lagrangeかな。今日は近くのスーパーで買ったアンドーナツ(これ、とても美味しかった)と伊藤園のオーィお茶。
林城から娘の下宿に戻ると、ほぼ整理は完了していて、生活が始められる状態になっていた。娘の一人暮らし開始と僕の誕生日を兼ねて、今日の夜は松本市内の”どんぐり”でハンバーグを食べようということになり、家族4人でさきもりちゃんに乗り、市内へ。ここは娘が幼稚園の時(トクチンは赤ちゃんだった)、忍者の修行をしたいというので、長野の戸隠の忍者村に行ったときに来たことがある。初日は忍者村で遊んで、長野市の東横インに泊り、次の日は鬼無里経由で安曇野のちひろ美術館に行った。そして、夜は松本の東横イン(僕は東横インの会員だ。ここ20年間、東横イン以外泊ったことがないなあ。正に東横インの専門家⁉だ)に泊り、そこで、この”どんぐり”を教えてもらったのだった。当時、10数年後に再び成長した娘とトクチンとでここにやってくるなんて誰が想像できただろうか!店は当時のままの雰囲気で落ち着いた感じ。トクチンはハンバーグ、奥さんはエビフライ、娘はチキンソテー、更に、僕は誕生日なのでハンバーグにエビフライが付いたやつを注文する。娘のこれからの信州における大学生活の抱負などを聞いて家族で談笑するが、楽しい時間ほどすぐに過ぎてしまう。娘を下宿に送り届けて、我々も名古屋に戻らなくてはいけない。女鳥羽川に沿って上流に向けてさきもりちゃんを運転し、下宿に娘を送り届ける。暗かった下宿に明かりがともり新たな生活の始まりが周囲に告げられる。その明かりに注いでいた視線をやっとの思いで前方に向け、名古屋に向けてアクセルを踏み込む。さきもりちゃんのルームミラーにはいつまでも下宿の光が映し出されていた。さきもりちゃんは塩尻、奈良井宿、木曽福島、南木曽、中津川、恵那、…と夜の中山道をひた走った。

洋食屋の“どんぐり”の入り口。松本駅の近くになる。

僕が注文した、ハンバーグエビフライ添え。ご飯は大盛り。

奥さんはエビフライを注文。僕のエビフライよりデカいぞ。当たり前か。
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