『実家じまいパーティー』&『小さな魚(モンテ・カッシノの陥落)新版出版記念パーティー』in 白州橋場文庫 2025年6月1日

Cafe Lagrange 雨読編

 2020年10月27日に姉が他界して以降始まった山梨の実家の整理は、2024年元旦の父の死と共に実家じまいへと格上げし、整理スピードを加速し、2025年3月に不動産売買契約を締結、翌4月に防人から買主への不動産登記変更・銀行による決済を経て、山梨との物理的なつながりは無くなったのである。

 防人家の母、姉、父の三人には”捨てる”という概念は無かったようで、二世帯型の大きな家の中は物品の貯蔵庫と化し、それだけでは足りず、家の周囲に8棟もの物置を建設し、そこにも大量の物資を詰め込んでいたのである。この度肝を抜くような彼らの生き様は、ガッしかし、魅力ある多くの人々が埋蔵されている鉱脈をも引き寄せてきた。姉の死後の実家の惨状を目の当たりにした防人は、無意識に、半ば条件反射的にこれらの鉱脈の一つにつるはしを振り下ろしていたのである。そこから湧き出てきた多くの人々が、この4年7カ月間の実家の整理においては手弁当で駆けつけてくれたし、困難に直面すると色々なアイディアを出してくれたり、関係各所に連絡してくれたりしたのである。防人家の三人は大量の物品(ほぼゴミ!?)を残した。それと引き換えに、お金は残さなかった。しかし(だからこそ?)、素晴らしき人的鉱脈を残して逝った。このようにして実家じまいの期間に知り合った人々は40人を下ることはない。この豊かな人間関係を、「実家じまい終了しましたのでさようなら」としてしまうのはもったいない。何か、永続化する方法は無いものかと考えだしていたのだった。

 9時30分に白州橋場文庫到着!奥さん、トクチンも一緒なので高速で諏訪まで来た。今日は忙しい一日になりそうだ。
 甲州街道沿いにある風流な佇まいの橋場文庫!この街道沿いにはおしゃれなパン屋さん、喫茶店、レストランが並んでいる。
 文庫の入り口に近づいてみると、今日の「出版記念」と「実家じまい」のパーティーのチラシが!

 父が他界して3カ月ほど経ったある日、冨山房(出版社)から連絡があり、父が翻訳した『小さな魚』が新版として出版されるという知らせがもたらされた。この本のおかげで父が児童文学にのめり込み、以後、世界中の児童文学の本を集め、薬師谷と言う東北の谷に児童文学館を造るという夢へと繋がっていったのである。残念ながら、この文学館建設と言う夢は潰えてしまうのだが、この物(本など)を集めるという彼の技術は損なわれることなく、より先鋭化されて行ったのである。その後は日本の古代史に興味の中心が移ったため、浮世絵、骨董、中国青銅器(すべて偽もだったけどね)達が父の精鋭化した物品収集の技術で集められ、家の中を埋め尽くすようになっていった。つまり、父と『小さな魚』という本との出会いが、困難を極めた『実家じまい』へと繋がっていったと拡大解釈できないわけでもないわけで、防人の中では『小さな魚 再版記念パーティー』と『実家じまいパーティー』は表裏一体の関係なのである。さて、このパーティーをどこでやるのか?最初、頭の中にあったのはレストランを借り切って行うというものだった。しかし、これだとパーティーに集まって、その後は解散と言うことになり、人とのつながりの永続化と言う観点から大きくそれてしまいそうに感じていた。しかし、パーティーと言うのはレストランみたいなところでやるものと言う固定観念に縛られていたので、中々自由に場所を決めることが出来ずにいたのだ。そんな時、たまたま”小さな魚再版”についての話を橋場文庫の原さんとしていた時、この文庫でやったらどうかと思い始めたのである。父の本の集積場所であるし、晩年の父が気に入って何度か勉強会も開いているし、そして、何と言ってもここであれば、パーティー後も「例の橋場文庫で落ち合いましょう」というやり取りが人々の間で自然なものとなり、関係の永続性が保証される最高の場所と確信したからだ。

 準備開始と言うことで、中に入ると…!
 原さんによってかなり準備が終わっていた。
 献本用の『小さな魚』を積み上げてッ!
 準備がいよいよ佳境に入ってきましたぞ。
 ここは橋場文庫の近くにあるZelkowa(ゼルコバ)という大変人気なパン屋さん。
 今回ゼルコバさんで注文したパンたち。美味しそうだ。
 旧甲州街道でゼルコバの対岸にあるのがサンドイッチ屋さんのピクニック
 栄養・ヴォリューム満点のサンドイッチ。通りを挟んで異なるタイプのパン屋さんが!
 父が高校の先生をしていたい頃の生徒さんのNさんからの差し入れ。Nさんのおかげで、若き頃の父の全貌が明らかになった。
 こちらのケーキは"台ケ原珈琲"で作ってもらったケーキたち。このケーキ以外にもザッハトルテもあって、防人好みであった。
 以下は"マイルストーン"からケータリングしてもらった夕飯用の料理群。まずはオードブルから。しまった、これ食べ忘れたぞッ!
 奥はチキンのトマト煮込み。そして、手前がマイルストーン自慢のハンバーグだ。とても美味しく、トクチンも気に入ったようだ。
 これは"たらこスパゲッティ"!時間が経っても美味しかった。夕飯では、このたらこスパ、五味ファームのおにぎり、ゼルコバのパンが主食としておかず群を盛り上げた。
 プリンプリンのエビフライ。タルタルソースとの相性がたまりませんなあ。ゼルコバのパンにはさんで食べてみたが、これがまた美味しかった。
 しまったーッ!このピザも食べるのを忘れていたぁー。
 これはステーキ。一連の料理を作ってくれたマイルストーンは韮崎にある。

 今回のパーティーは昼の部と夜の部に緩やかに分けて行った。4年七カ月の実家じまいでお世話ななった人(全員ではないが…)、新たにこの会で知り合いになった人など、とても大勢の方々に参加して頂いた。実家じまいの作業中は、本の上げ下ろし、掃除、荷物の運搬、…などで忙しくてほとんど会話を交わすことが出来なかったのだが、このような場であればゆっくり話すことが出来る。そこでわかってきたことは、皆さん、父の強烈個性に引き寄せられて、通常では起こりえない父との面白おかしい体験(奇妙奇天烈体験?)を経験された人々ばかりであった。息子の僕が知らない数々の父の姿が浮かび上がってくるにつけて、僕は骨董を集めていた父の姿に思いを馳せていた。父にとって骨董は本物とか偽物とか、その価値はいくらなのか?などと言うことはどうでも良いことであったのだ。その骨董がどのような雰囲気の露店で売られていて、売っている店主は、その奥さんは、そこではどのようなことが起こったか、等々も含めてすべてが物語の中に組み込まれ、彼の頭の小説としてその骨董が生き生きと動き出せば、それはもう本物と言う事だったのかもしれない。晩年、僕が「オヤジ、これはいくらだ?3万円?30万円?300万ッ?」などと質問を繰り返したことも、彼の中ではドタバタ喜劇の登場人物として息子を眺め、ニタニタ笑っていたのであろう。

 後半の夜の部では、実家じまいで本の救出に駆け付けてくれた岡埜葡萄さん(八ヶ岳を拠点に朗読活動を行っている方)による『小さな魚』の朗読と御主人の武藤哲也氏のリコーダー演奏とのマリアージュが場の雰囲気を引き締め、感動的なパーティーへと導いてくれた。この朗読を体験して、僕は『小さな魚』という児童文学作品のポテンシャルの高さを再認識し、これをもっと世に知らしめていかなくてはならないのではないかと言う使命感にも似た思いが心の奥底から湧き上がってきたのである。息子の僕が言うのもおかしな話だが、オヤジは良い仕事をしたし、この作品を世に生み出したホガードさんは凄い人だったということだ。

 武藤哲也氏(リコーダー奏者)によるリコーダー演奏をバックに、奥様の岡埜葡萄氏(朗読家)により、『小さな魚』の即興朗読会が行われた。あまりに感動すると、拍手とか、感想を述べるとか、そういう表層的なことが億劫になり、その余韻に静かに浸りたいと思ってしまうのだった。これは最高の『小さな魚再版記念パーティー』になった。今回目の当たりにした"音楽"と"朗読"の響きの前には、「美しい」、「素晴らしい」、「最高だ」…などの言葉の響きは陳腐に感じてしまう。僕の語彙力では形容のしようがない。リコーダーの音色を伴った岡埜葡萄氏の朗読が数日間にわたって僕の脳裏に鳴り響き続けたのだった。

 『小さな魚』の舞台は1943年のイタリアである。空襲が激化してきたナポリを離れ、グイド、アンナとマリオは山の上に修道院があるモンテ・カッシノ(モンテ・カッシーノ)を目指す。道中、泥棒に遭遇したり、親切な粉屋やお百姓夫婦に助けられたりと変化に富んだ場面が展開していく。そして、この旅の後半、戦争前は学校の先生をしていたルイージと言う人に出会い4人で助け合いながら、1944年1月頃に目的地にたどり着くが…。この時点でイタリアは降伏しており、ドイツ軍と連合軍がイタリアのリーリ川からガリリャーノ川に沿ったグスタフラインを挟んで合い対峙する状況にあった。そして、このグスタフラインの要衝としてモンテ・カッシーノがあったのだ。ドイツ軍精鋭部隊は修道院がある山の中腹に機関銃座を設け山を要塞化して連合軍との戦いに備えていた。1944年1月17日、戦いの火ぶたは切って落とされたが、身を隠すような障害物がない山の制圧は困難を極め、連合軍側は多数の死傷者を出した。特に日系アメリカ人から構成されていた第100歩兵大隊は1944年2月までに大隊の兵士約800人が死傷。その死傷者の多さから、「パープル・ハート大隊(戦傷章大隊)」と呼ばれた。地上戦の死傷者が増える一方であったため、連合軍側は2月15日に1400トンもの爆弾を山頂にある修道院に投下(連合軍側は修道院にドイツ軍が進駐していると考えていたのだが、実際は進駐していなかった)するも本質的に戦況を好転できず、最終的な制圧に至るのは5月になってからなのであった。そしてこのモンテ・カッシーノの戦いはイタリア戦線最大の難所と言われるようになった。物語には修道院の爆撃の記述がみられないことから、グイド達が修道院を脱出したのは2月15日以前であったと思われる。この修道院がある山の上から、中腹に陣取るドイツ軍と連合軍が集結しつつある麓の様子を眺めながら、グイドとルイージさんの以下の会話が交わされるのだが、ここが『小さな魚』という作品の中で僕が一番心に響いたところだったので、今回、リクエストして岡埜葡萄さんに朗読して頂いたのだ。

『小さな魚(モンテカッシノの陥落)』[新版]
エリック・C・ホガード作 犬飼和雄訳 冨山房 より抜粋!
 
ルイージさんは笑った。「わたしたちイタリア人はな、勝利の進軍を、栄光をのぞんでいただけなのだ」先生はためらっていたが、告白でもするようにしんけんにいった。「わたしはファシストだったのだ」 
 僕は肩をすくめた。「ぼくのおとうさんもそうだった。みんなそうだった」
「グイド、みんながそうだったわけではないのだ!そんなことをいってごまかしてはいけない…。わたしはくわしすぎるぐらい歴史の書物を読んだ。シーザーやローマ帝国のことを読んだ。わたしは、書物のなかの文章の間の余白になにが書かれているのか気づかなかった。その余白に書かれているものこそ、語られてもいないし書かれてもいない真実を、わたしたちに思いださせるものなのだ。言葉だけを読んで、書物に書かれていないものを読まないと、わたしたちはものごとを理解することができなくなるのだ」
 ルイージさんはよく、ぼくをめんくらわせる話し方をした。そんなときぼくは、ナポリを去るまえにぼくに十リラくれたあの伯爵を思い出した。「どうして書いていないことが読めるの?」ぼくは、もっと知りたくてたずねた。
「子どもが最初に読み方を学ばねばならないとき、言葉というものはどれもよくにた無意味な記号のジャングルに思えるだろう。それでも子供は、一つ一つの文字を、そして一つ一つの言葉を識別できるようになり、しまいには文章をそっくり読めるようになる。書かれていないことを読むのはそれよりずっとむずかしいし、骨の折れることだが、それでも出来るのだ…。ムッソリーニの演説を思いだしてごらん。わたしはムッソリーニがローマで演説するのを聞き、群衆といっしょに熱狂してさけんだものだ。わたしはそこで話されたことを考えていただけで、話されなかったことは考えてもみなかった。彼はイタリアの栄光について語ったが、死や飢えについては語らなかった。彼は悲惨な現実を語らなかった。彼は罪のない人々の流す血のことを語らなかったのだ」
「わかったよ」と、僕は熱心にいった。ルイージさんがなにをいいたいのかわかってきた。しかし、先生はそんなことにおかまいなく、一人でしゃべりつづけていた。
「わたしにわかっていたならな。語られない言葉がわたしに聞こえていたならな。わたしは群衆といっしょになって喚声など上げなかったろう。でもな、グイド、わたしには聞こえなかったのだ。ほとんどの者には聞こえていなかった。恥ずかしいことだ」ルイージさんは体をふるわせた。
「寒いよ」と、ぼくはいった。「もどろうよ」ぼくはルイージさんの腕をとった。
「語られなかった言葉が、今トランペットのように鳴りひびいている!」と、ルイージさんはささやいた。「トランペットのように鳴りひびいているのだ」

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