4年半かけて実家を片付けてきた防人である。4年半前に姉が他界して大量の衣類、靴、ウィッグ、レコード、ランニングマシーン…etcの処分を1年半かけて行い、上の家の一階部分と二階部分の一部をほぼ空にした。リホームを施してその空いたスペースに、今度はオヤジが集めた数万冊の児童文学の本達を倉庫から運び出し、それらを並べて引き取り手を探し、受け渡しを行う事に1年半以上の歳月を要した。そして、2024年の元旦にオヤジが他界したので、今度は下の家の一階部分と二階部分を占める父が集めてきた大量の骨董(すべてがお土産程度のもので、価値あるものは無かった)、浮世絵などの絵画などの処分(これもほとんどが複製品で原画は数えるほどしかなかった!オヤジは質の高いものを集めるのではなく、量を集めたかった人だったのだ)を粛々と行ってきた。そして、”捨てる”という概念がなかった防人家のオフクロ、姉、オヤジ達の大量の物品の処分をこの一年間で加速度的に行ってきたのである。2024年の年末になり、やっと普通の家レベルの片付けが残るぐらいと思われたのも束の間、年明けには家の周囲に無造作に建てられた8棟もの物置の中にまだまだ大量の生活物資(布団、冷蔵庫、洗濯機、ストーブ、スキーの板、釣り竿、…更には便器なんかもあったし、その中から本は運び出したはずだったが、40箱以上の本が詰まった段ボール箱も発見。更には、レンタルビデオ屋廃業に伴い大量に譲り受けた50箱近いビデオカセットが納められた段ボール箱も新たに発見された。はっきり言って狂気の沙汰だ)があることが判明し、2トントラックをレンタルして、軽トラ、さきもりちゃんをも総動員して山梨の境川村にあるごみ処分場に何度も往復したのであった。そして今回は、3月初めに5日間の休みを取り、4年半に及ぶ実家整理に終止符を打つため、筋力と気力をみなぎらせて甲府入りしたのだ。
まず最初に立ちはだかったのが上の家の二階(下の家の一階から数えると三階になる)に鎮座するピアノ(アップライト型)の運び出しであった。高級なピアノであればお金がもらえるのであるが、防人家のピアノはお金にならないだけでなく、置いてある場所の困難性からクレーン車が必要になるかもしれず、見積もりでは10万円~15万円の費用が掛かってしまうらしい。一番安い業者でも7万円~?万円と言われ、安いのか高いのかはっきりしない状況だった。であるなら、防人が自分で分解して運び出せば安いのではないかと考えて、強力なバールとハンマーを購入し(合わせて4000円)、3月2日、朝7時に実家の三階のピアノ部屋に仁王立ちしていたのだった。

日頃は下道が好きな防人だが、年明けからは余裕がなくなり、オール高速で可能な限り早く実家につくように心がけたのだった。

ピアノの前に、バール、ハンマーなどを並べ、グレーシートを部屋中に敷き詰めて、万全の準備をして解体に臨む。

ピアノのふた、表面の壁は呆気なく外すことが出来た。

鍵盤も簡単に外すことが出来る。ピアノの原理が理解できて、なかなか勉強になった。

ここまではバールのみでとても簡単に到達できる。ここから先はやや大変。ハンマーでバールをたたいて隙間に入れて、てこの原理で左右の板を外そうとするが、中々うまくいかない。

ピアノの核心部分(アップライトピアノの背面の金属部分)を支えるサイドの板を外すのはかなり手間取った。これが外れた後は、核心部分を残して簡単に分解可能。

ピアノの核心部分が露になった。ここまで分解しても、この核心部分を持ち上げることは不可能だった。こうなったら背面の板を外すしかない。

途中からリサイクルの早川さん達二人も加わって三人で核心部分の板の取り外しを行う。電動のこがないので、手動のこで分厚い板を切断する。二時間以上汗だくになりながらの作業。

細かい板は取り除いたが、核心部分下部の分厚い板と金属を分離することは出来なかった。ここまで分解しても、この金属部分を持ち上げて上の家の二階(つまり、三階から)から降ろすことは出来なかった。さーて、この部分を運び出す手立てを考えなくてはいけなくなった防人である。毎回、実家の片付けでは未知なことが行く手を阻み、途方に暮れることを繰り返してきたが、それなりに解を見つけ出し、何とか切り抜けてきたのだった。今回も何とかなるだろう!
今回、実家に到着すると、近所の人から『リサイクルの早川』という業者のチラシを渡してもらった。わらにもすがる思いで連絡してみると、金属関係の物の処分(鉄、エンジン、農機具、自転車、スクーター、家電、エアコン、電子レンジ、ストーブ、物置…)は無料または格安で対応してくれるらしい。午後から時間があるとのことなので、早速、実家に来てもらうことにした。彼らが登場した時、防人はピアノの核心部分の金属と木材を切り離す作業に入ろうとしていた。しかし、この核心部分は難攻不落で、三人でバール、ハンマー、のこぎりで汗だくになりながら2時間ほど奮闘してやっと分離できたのだった。しかも、下部の金属と分厚い木材は結局分離できなかったのである。しかし、この過酷な作業をリサイクルの早川さん達(二人の元気なおじいちゃん達だ)はアンドーナツの差し入れだけでモクモクとやってくれたのだ。有難い限りだ。そして、この早川さん達のおかげで、未だ残っている骨董や本の処分も加速度的に進行することになっていくのだ。この出会いがなければ、この5日間をもってしても実家の片付けは終焉を迎えなかっただろう。
追記 ピアノの解体についてはそんなに生易しいものではなかった。最後まで分解しても、核心部分は一人でも、二人でも運搬は困難を極める(外なら運べるだろうが、室内で階段や壁を傷つけないように運搬するのは大変だ)。更には、ピアノは防人家の安いタイプであったとしても、ピアノ職人さんの魂のようなものを感じ、何ら技術を持たない防人がバールで分解していくことに何とも言えない申し訳なさ、残酷さ、醜さを感じてしまい、結構精神的に滅入ってしまうことが多々あった。バールの先端を木材の隙間に突入させるため、バールをハンマーで打撃するのだが、その時、ピアノからは断末魔の叫びのような、ピアノを丹精込めて作り上げた職人さんの悲鳴のような、何とも言えない悲しい音が周囲に響き渡るのだった。ピアノは、出来ることなら、分解などせず、ピアノが必要とされる世界に多少はお金がかかったとしても(5万円~15万円)、送り届けることが出来るならその方が良いと思ったのだった。
コメント