2024年 新年 あけましておめでとうございます。ブログ2年目に突入!

Defender購入後日記
富士山がきれいに見えたが、写真にしてみると…!
振り返ると、八ヶ岳が!少年時代から見慣れた景色だ。

 大晦日の日、甲府(山梨県)のルートインで見た”ゆく年くる年”では

「2023年、世界は戦禍に包まれ、物価高騰に庶民の生活は苦しめられた年でしたが、2024年は穏やかな年になりますように」

とレポーターが述べていた。元旦の日、甲府から帰ると緊急地震アラームが不気味な音を立てて鳴り響き、周囲に注意を呼び掛けた。能登地方の地震らしいので、こちらの名古屋は関係ないと思っていると、しばらくしてはっきりとした地震波が到達。我が家も割と揺れた。

「これは能登地方大丈夫か!」

と思ったが、その後、大変な被害が出ていることが分かってきた。二日には飛行機が衝突し、火炎に包まれる機体が画面に映し出されていた。

 個人的なことになるが(このブログ、防人個人のことしか書いていないか!)、大晦日の日、その年の最後のブログ記事を載せた後、僕の携帯電話が鳴った。父が入院している病院からだった。血圧が60台に降下し、酸素飽和度も80に急変したとのこと。「昇圧剤を使い、酸素吸入してもよいか」という問い合わせと、「こちらに来れないか」との連絡内容。1月4日には見舞いに行く予定だったが、どうなるかわからないから一応、早めに見舞いに来ておいた方が良いということらしい。

 トクチンはおばあちゃんの家に行ってもらい、奥さんと二人で大晦日の中央道を山梨に向けてひた走る。その日の父は朦朧としていて、こちらのことがわかるかどうか何とも言えない雰囲気。昇圧剤で血圧85、酸素吸入で酸素飽和度92となったらしかった。次の日(元日)の朝、再び父を見舞うと、こちらに視線を向け、話しかけに答えたそうな雰囲気。明らかに良くなっているようだった。血圧も100、酸素濃度も95なので少し安心。「また、1月4日に来るぞ」と声をかけ、夕方に名古屋に到着。夕飯を食べ、”年越しそば”ではなく、”年越しちゃったそば”をゆでていると、再び僕の携帯が鳴る。見ると病院から。アッこれはいい知らせではないなと覚悟を決めて携帯をとると、

「もう血圧とれません。病院に向かってください。くれぐれもお気をつけて」

とのこと。

「死亡確認は済ませて頂いて結構です。エンゼルケアまでお願いします。搬送はこちらで手配します。しかし、何時に着くのか分かりませんのでご迷惑おかけしますがよろしくお願いします」

と伝え、今度は僕一人で、夜10時過ぎに名古屋を出発。途中、東海北陸道へのルートには目立つ赤い色に光り輝く表示板が、白川郷から先の能登地方への通行止めを知らせていた。

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